11-3.穏やかな時間は訪れない
始祖であるイクシードの本名はギルティア・ヤヌットであり、彼の妹だったと言い伝えられているマリーの姓もヤヌットだ。
彼らの血を継ぐ者はいないとされている。
……兄さんが噓を吐いた?
そのようなことはないと信じている。
それならば、シャーロットの発言が噓なのだろうか。
「はは、なんだ。本当に無自覚なのか。それでは身体が辛いだろう。始祖を先祖に持つ一族は魔力過多の傾向を持つ者が多いとはいえ、それを宥める術を知らなくては話にはならない」
ガーナの戸惑いには気付いていないのだろう。
いや、気付いていたとしてもそれに触れることはないのだろう。
「さあ、レイン、眼を閉じて深呼吸をするといい。始祖の気配に不慣れな子どもたちを思うのならば、溢れ出している魔力を身体に戻す努力をするべきだ」
シャーロットの言葉にレインは反発をしなかった。
「ゆっくりと息をするんだ。なにも怖いことはない。それはお前の魔力なのだから」
魔力が溢れ出していることに対する自覚はあったのだろう。
しかし、それが他人にどのような影響を与えるのかまでは知らなかったのだろう。
……今は兄さんのことを考えている場合じゃないわ。
それは現実逃避のようなものだった。
……私がどうしたいのかを考えるのよ。私は、二人に仲良くしてほしいんだから、なんとかしないと。でも、シャーロットとレイン君の意見を聞かずに勝手に決めつけるのはよくないわ。仲を壊したいわけじゃないんだもの。
険悪な雰囲気は、嫌いだ。
もっとも、仲良してもらいたいのはそれだけが理由ではない。
……笑い合ってなさいよ、二人とも。言い争いなんか似合わないのよ。
シャーロットに感じた懐かしさと似たようなものをレインからも感じるのだ。
それが何を意味しているのかは、わからなかった。
懐かしさを抱いてしまっては見てみぬふりをすることはできない。
……笑っていてよ。アンタたちは笑っている方が素敵なんだから。
ガーナは知っている。
この二人が仲好く、笑い合っていた光景を知っている。
それは、見たことも聞いたこともない。
それでもその光景を心の底から望んでしまうくらいには、心の中に刻み込まれている。
「落ち着いたか?」
レインの身体から溢れ出していた魔力の光は見えなくなる。
「私にはわからないよ。レイン」
言われた通りに深呼吸をしていたレインは眼を開き、シャーロットを見つめる。
なぜ、魔力を抑える方法を知っていたのか聞きたいのだろう。
「なぜ、そこまで必死になっている?」
左手の中指で机を叩く音は止んだ。
シャーロットは本気で言っているのだろう。
「私はフリークス公爵家の没落を望んでいない。数世紀前に手放した家督を相続するつもりもない」
からかっているわけでも、この場を誤魔化そうとしているわけでもないということは黙って見守っていたガーナにだってわかる。
「それこそ、家族のような振る舞いをするつもりもないことは父母から聞かされているだろう」
なぜ、レインが無意識の内に魔力を放出してしまうほどに必死になっているのか、理解していないのだろう。
「それなのにもかかわらず、なぜ、お前は私を困らせようとするのだ」
不意に確信をついたその言葉にレインは肩を揺らした。
彼女の言う通りだった。レインは知っているのだ。
知っているからこそ必死になっていたのだろう。
「なぜ、そこまで必死に足掻こうとするのだ」
シャーロットが学園に通う目的は別にある。
それがどのような内容かは、明かされなかったが、決して、――家族に戻るつもりはないと宣言していたとは、伝えられた。
甘い期待を抱くなと忠告も受けていた。
「レイン、私はお前の家族になるつもりはない」
それは、彼らが関わりを持つ必要性を否定していた。
「それを求めているのならば、早々に私のことを忘れてしまえ」
関わる必要も義務もない。
――誰もがそれを望まないのだから。
「そうすれば、お前はお前としての人生を歩み、幸せになることができるだろう」
関わってはいけない。
――誰もそれを望んではいないから。
「私は誰よりもそれを望んでいる」
雰陰気が変わった。凍り付いた雰囲気から殺気が消えた。
それに気づいたのであろうガーナは、静かにレインの隣から離れる。
殺し合いになる危険性は回避されたと感じ取ったのであろうか。
それとも、関わってもいい範囲は、超えたと判断したのだろうか。
* * *
「家族のような振る舞いは望まないと?」
レインは静かにシャーロットの言葉を繰り返した。
声が震える。笑みすら上手く作れない。
凍った表情のまま、必死に自身の中を蠢く感情を押し殺そうとしていた。
「貴女に幸せを願われてもなにも思いません」
身体が震えている。それは恐怖心からくるものだろうか。
……俺らしくないですね。
ふと、ガーナが離れたのに気づく。
飛び退きながらも傍にいた彼女が離れたことに淋しさを抱く。
自分でも気づかない間に頼りにしていたのだろうか。
傍に誰かがいたからこそ、シャーロットと向き合うことができたのだろう。
「俺は俺の意思で物事を選択することができます。貴女に道筋を示してもらわなくても生きていけます」
……ヴァーケルさんには後からお礼をしなくてはなりません。俺だけだったのならば、きっと、言い負かされて終わってしまいました。
シャーロットを見る。
彼女は静かに返事を待っていた。
「俺だってそれを望んでいるわけではありません。言ったでしょう。貴女は始祖の名を騙り、妹の身体を乗っ取っているのです」
……あの子を取り戻す為には彼女に勝たなくてはならないのですから。
そのように思わなくては生きていこうと思えなかっただろう。
レインの記憶の中で生き続けている双子の片割れは、いつだって、レインの手を引っ張っていた。
「そのような相手と家族のような関係になるなんて吐き気がします」
引っ込み思案のレインを導くように前を歩く妹の手の温もりを思い出せず、命を絶ってしまいたくなるほどに辛い思いをしても、その温もりがレインの傍に戻ってくることはなかった。
……あの子が戻ってこないということはわかっています。
それはレインが弱いからだったのだろうか。
いつまでも妹を頼りにしている情けのない兄だからだろうか。
……それでも、俺に出来るのはそれだけなのです。あの子を取り戻さなくてはなりません。
「そのような望みは叶うことはない。早々に諦めよ」
「諦めません。何度、言われようとも俺の心は変わりません」
「叶わぬ望みを抱き続けることできるわけがない。お前は弱い子だ」
シャーロットの表情はなにも変わらない。
それはこのやり取りを無駄な行為だと思っているからなのだろうか。




