11-1.穏やかな時間は訪れない
* * *
楽しげに口元を歪めているシャーロットを見て、ガーナは思わず笑みを零す。
……ちゃんと笑えるじゃないの!
眼が合ったのは一瞬であった。
そして合った瞬間に露骨に嫌そうな表情をしてから、眼を逸らされてしまった。
それでも、ガーナは嬉しそうに笑う。
……心配して損しちゃったわ!
シャーロットの眼には二人の姿が仲良くじゃれ合いをしているように見えているのだろうか。
安心したと言わんばかりの笑顔をリンとレインに向けている。
それに気づいたのはガーナだけではないだろう。
「ふふっ、レイン君。少しは落ち着いたらどうかしら! それとも、シャーロットとリンが話をしていたことが気になっちゃう!? 気になって気になって仕方がないのね!」
今がチャンスだと言わんばかりに乱入する。
「わかるわよ。私も兄さんと話をしていると気になって仕方がないもの!」
ガーナはレインの背中に乗っかる。
レインは思わず悲鳴を上げるが、すぐに冷静だと言わんばかりの表情を作る。
……リンってそんな顔をして笑うのね。知らなかったわ。
レインを見て笑ったのは、リンとシャーロットであった。
……リンはレイン君のこともシャーロットのことも大好きで仕方がないのね。
彼らは共にいることは許されなかったのだろう。
彼らの関係が元に戻ることはないだろう。
……悲しいね。リンもシャーロットも楽しそうなのに。レイン君だって心の底から怒っているわけじゃないのに。
それは同情にも似た感情なのかもしれない。
ガーナは思わずレインの頭を撫ぜた。
レインは離せと文句を言っているものの、レインを背後から覆うことができるほどの体格差のあるガーナを振り払えないのだろう。
貴族ということもあり、女性に対しては紳士的に振る舞うように教育をされているのも、ガーナに対して乱暴な行動が出来ない原因の一つかもしれない。
「うふふっ。豊富な胸が当たった感想はどうだい?」
……初心だねぇ。耳まで真っ赤になっているよ。
貴族の子息ならば、女性からの積極的な行動には慣れがあると踏んでの行動であったのだが予想外だった。
だが、それはそれで満足であった。
「……君は黙っていてもらえますか? それに、いつまで俺の背中に乗っているつもりですか。重くて仕方がないのですが、早く退いてもらえませんか?」
「ふふふっ、もう、素直じゃないんだから! 本当は胸が当たって嬉しいって思ってるんじゃないの? いいのよ? 男の子だもんねぇ。思春期だものねぇ。それが正常なのよぉ!」
胸を押し付ける。
それに思わず頬を赤らめるレインであったが、肩を震わせる。
「勝手な妄想は止めてください。不愉快です」
「うふふ。良いの、良いのよ! なにも知らない純粋な男の子って、私、嫌いじゃないわよ? 正直な話をしましょう? 私の胸が乗っていて嬉しいでしょ? 嬉しいよね?」
「冗談でしょう。淑女として見られないような下品な女性に対して、そのような感情は一切生まれませんので、ご安心を」
怒りからか、それとも羞恥心からか。
もしかしたら自尊心が傷けられたからなのかもしれない。
「またまた、そんな照れ隠しばかりしちゃって! もう、可愛いんだから。むふふっ……、兄さんと私の次くらいには可愛いんだからぁ!」
それをなんとなく理解したものの、ガーナはレインを離す気にはなれなかった。
「そんなに可愛いならシャーロットだって――」
「退いてやれ」
口元に指を当てて嘲笑うような笑みを浮かべるシャーロットは、声を掛ける。
そして、静かに目線をレインからガーナに向けて、不気味な笑みを浮かべて見せた。
「うっ」
数秒程度の笑みであったのだが、ガーナが震えあがりレインから飛び退くのには、十分すぎる程の効力のある笑みであった。
……あ、これは言っちゃいけないのね。
露骨なまでに殺気が込められた笑顔だった。
レインは気付いていないのだろう。
急に飛び退いたガーナに対して不審そうな眼を向けたものの、すぐにそれは害のない行為だと判断したようで視線を元に戻す。
その頃にはシャーロットの表情は元に戻っていた。
……やっだー、怖い怖い。
心の中では軽口を叩きながらも、震える腕を撫でる。
……殺されるかと思ったわ。
笑みに込められた殺意は、鳥肌を立てるには十分だ。
レインから離れること選択したのは正しかったのだろう。
ガーナの両腕は斬り落とされていたかもしれない。
「私に話があるのだろう?」
「……ええ、話があります。場所を変えましょう」
「ここで話をすればいい。聞かれて困るようなことはなにもないだろう」
「聞かれて困るような話でしょう。俺ではなく、お前が困るような話です。それならば場所を変えた方が良いと判断をしたのです。大人しく従ってください」
レインの言葉に対してシャーロットは笑顔を消した。
無表情のままレインを見つめているシャーロットに対してなにかを感じたのだろうか。
……逃げたい。
思わず下がりそうになってしまう自身の足を叱咤して堪える。
……逃げてどうするのよ。私のバカ。
その場にい続けるだけでも意味があるはずだ。
「私が困るような話とは?」
それは一瞬だった。
教室中の雰囲気が変わる。
氷のような冷たい視線を向けられたのはレインだけだというのにもかかわらず、その様子を見守っていたライラは小さな悲鳴をあげた。
リカは恐ろしいものを目にしたと言わんばかりに泣いている。
「言ってみろ。場所を変えなければ話す勇気がないのならば、話をする価値もない。私を困らせるのには相応しい話題を持って来たというのならば、この場で口にしてみろ」
「ちょ、ちょっと、シャーロット? そんな言い方はないんじゃないの? もう少し落ち着いた方が良いわよ。ね、ね、レイン君だって怖がっちゃうでしょ?」
「部外者は口を塞いでいろ」
雰囲気が悪くなったからだろう。
ガーナは場の空気を和ませようと声をかけたものの、シャーロットに相手にもされなかった。
……ごめん。
ガーナに出来ることは身を引くことだけである。
そこまでシャーロットに言われたわけではないものの、部外者と言われてしまえばそれまでの話である。
「話してみろ。私を困らせるだけの話題があるのだろう?」
催促をされたレインは静かに息を整えた。
場所を改めて問いただそうとしていたのだ。
「……いいでしょう」
その場所が変わっただけだ。そのように自分自身を説得しているのだろう。
「お前は、始祖ではない。始祖を名乗る偽物だ」
言葉遣いは乱れたものの、それを指摘する人はいない。
教室中に響き渡ったその声には迷いはなかった。
「シャーロット・シャルル・フリークスの身体を使ってなにを企んでいるのか知らない、ですけど。それを止めるのが俺の役割といったものでしょう」
言い切ってしまえば、戸惑いは消え失せてしまったのだろう。
途中から丁寧な言葉遣いに戻ったのは戸惑いがなくなったからだ。
……始祖じゃない?
それがレインの話をしようとした内容なのだろうか。
それはリンと話をしていた内容とは矛盾している。
……それじゃあ、彼女は誰だって言うのよ。




