10-3.リンとシャーロット
「ネイディア」
懐かしい人と会ったかのような表情を浮かべるシャーロットと幼き日々が重なって見えたのは気のせいだろう。
「話を聞かせておくれよ。可愛い坊や」
幼馴染が戻ってきたかのように思えて仕方がない。
それはありえないことなのだと割り切ろうとしても、一度、そう思ってしまったら、そうとしか見えなかった。
……違う。違うんだ。
重なる過去を否定する。
認めるわけにはいかなかった。
戻ってきたかのように感じるのは気の迷いでなければいけなかった。
……シャルルはもう戻ってこねえんだから。
十年前、誰よりも苦しい思いをしたのはレインだと知っていた。
誰よりも、あの日のことを認めていないのも、誰よりも過去を思い苦しんでいるのもレインだということを知っていた。
そして、手がかりを探しては落胆しているレインの姿も何度も見てきた。
大切な人を取り戻そうと足掻いて苦しんでいるレインと共にいることができず、逃げ出したのはリンだ。
幼馴染の関係が崩れ去ったのはリンが逃げ出したからだ。
現実を受け止めることができなかった。
現実を否定する為の術を探そうと足掻くこともできず、それをすればするほどに現実を見せられて泣いているレインの姿を見続けることもできず、一人で逃げたのだ。
それがリンの心の枷になっている。
「立派になったものだ。ジューリア公爵家の次男坊はもう少し幼いものだと思っていたのだよ」
……でも、もしかしたら。
自分たちの勘違いかもしれない。
まだなにか見つけていないものがあったのかもしれない。
……また、一緒に笑いあえるかもしれない。
そうやって、期待してしまう。
期待するだけ無駄だとわかりつつも、忘れることなど出来なかった。
……なあ、シャルル。
いっそのこと、突き放してくれたら楽になれるのだろうか。
……お前はどうして笑えるんだよ。
都合の良い方へと運ばせようとする思考を振り切るように、――現実逃避は充分だと言い聞かせるように、笑みを浮かべたシャーロットを見つめる。
「許しておくれよ。ネイディア」
懐かしそうにシャーロットはリンの頬に手を当てる。
触れられた箇所からは体温が伝わる。
「百年後も思い出すことができるように見せてくれ」
シャーロットは幸せそうにそう言った。
その言葉は僅かに抱いてしまったリンの希望を叩き壊してしまう。
……シャルル。
これから先、リンよりも長い時を生きるのだろう。
帝国の民が始祖を望み続ける限り、シャーロットは生きていく。
それをシャーロットは義務として受け入れ、役目を果たす為だけに生き続けるのだろう。
それはリンには想像することも出来ない未来だ。
……なんでお前はそんなことを言うんだよ。
過去に囚われて生きることは辛い。
死にたくなるほどに苦しい。
それは十年前までの日々に囚われてきたリンだって知っていることだ。
「……なんだよ、結局、俺のことなんて覚えていなかったじゃんか。つか、いつまで触ってんだよ。子どもじゃねえんだからやめろよな」
いつも通りに振る舞うつもりだった。
それでも声が僅かに震えてしまっている。
「そうか。素直に撫ぜさせてくれるような幼子ではないのだな」
それに気づいたのだろうか。
シャーロットはゆっくりと手を離した。
「そうだよ。俺だってもう子どもじゃねえから」
リンは必死に表情を繕おうとするのだが、上手く笑うことが出来ない。
呼吸が正常に出来ているだけでも良い方だろうか。
「許せよ。ネイディア。人の子に対する記憶は曖昧なところが多くてな」
シャーロットの穏やかな表情を見たからだろうか。
緊張が和らいだかのようにリンは小さなため息を零した。
「ネイディアのことをすぐに思い出せなかったことは悪いと思っている」
安心したかのように息をついたリンを見て、シャーロットが笑っているようで笑っていない眼を細めていたことには気づくことができなかった。
「……別に気にしてねぇよ。つか、それで呼ぶのなんかお前くらいだぜ?」
「同じ名の奴がいるからな。区別をする為には必要なことなのだよ」
「は? 俺か、叔父か、爺さんくらいだろ。区別つくんじゃね?」
「それでも大切なことだ。なにより、昔、約束をしたからな。それを果たすまではお前のことを名で呼ぶことはないだろう」
「なんだよ、それ。意味わかんねぇ」
険悪な雰陰気になることもなく、昔話には触れることもなく、他愛のない話に花を咲かせる。
友人同士の会話は盛りあがるが、リンもシャーロットも昔の話はしない。
してはいけないという禁句というわけでもない。
……十年前のことを聞けば教えてくれるんだろうけど。
しかし、リンには聞く勇気はなかった。
……聞けねえよ。
穏やかな幼馴染との時間を壊したのはリンだった。
シャーロットが手の届かない人になってしまったことを認めたくはなかった。
それはあまりにも甘すぎる考えだと知っていながらも、リンはその優しすぎる現実逃避から抜け出したくはなかったのだろう。
……少しだけだ。今だけだから。
シャーロットは始祖として生きている。
始祖として振る舞うことが許されたシャーロットは幼い頃の日々など覚えてもいないかもしれない。
なによりも、始祖として生きることを選択したシャーロットの十年間を聞けば、離れていた時が正当化されてしまいそうで恐ろしかったのだ。
……今だけは傍にいたい。また、一緒に三人で過ごしたいんだ。
届かないところにいる人間かも知れない。
共に過ごした年月以上に離れていた彼女はもう関わりを持っていい人ではないのかもしれない。
そう思えば胸が締め付けられる。
「……どうかしたか、ネイディア」
少し黙ってしまったリンを心配したのか。
僅かに俯いている彼の顔を覗き込む。
「俺の忠告を一切聞かないとは良い度胸ですね」
「いってぇぇっ!!」
リンの頭に真っ直ぐと拳が振り下ろされる。
リンを殴ったのはレインであった。
その後ろには面白そうに笑うガーナたちの姿がある。
「いてぇ」
リンが口を閉ざした時を機会として判断したのだろう。
「なにしやがるんだよ!」
リンは殴られた場所を庇うように右手で押えながらも、慌てて横を見る。
怒りに震えているのか、それともただ単に機嫌が悪いだけなのか。
レインはもう一発殴ろうとしたのだが、流石にリンに受け止められた。
「忠告を全て無視して仲良くした気分はどうですか? 一族を裏切るような行為をしてまで話したいものとは思えませんけどね。フリークス公爵家と全面戦争でもしたいのですか? それなら、そう手続きでもしておきましょう。真っ先に殺してやるから覚悟しておきなさい」
「はあ!? なんで話しただけでそんなとこまで発展するんだよ!? つか、大げさすぎるじゃん!! って、殴ろうとするんじゃねえし!」
「黙りなさい。もう一発、その役に立たない頭に叩き込んであげます」
「ちょっ、ちょっと、待てよ! レイン! お前、眼が本気すぎて怖いじゃん!? 幼馴染と話しただけで抗争を引き起こそうとするとか心が狭いのにも限度があるんじゃね!? な、な、落ち着こうぜ!」
殴る蹴るの暴行を繰り返そうとするレインの腕を抑えているリンの姿を見てシャーロットは楽しそうに笑っていた。
「ふふっ」
その場に似合わない笑い声をあげているシャーロットに対して、レインは引いたような視線を向けていた。
「なんだ。今も仲が良いのだな」
目の前で繰り広げられているやり取りが見えていないのだろうか。
シャーロットの言葉を聞いたリンはありえないと言わんばかりに首を左右に振った。
レインはなにを言われているのか理解できないと言いたげな表情のまま、動きが止まっている。
……そういや、昔からそうだった。
幼い頃から変わらないものがある。
レインとリンはなにかにつけて言い争いをしているのは、仲が良かった頃から変わらない。
言葉だけではなく暴力も混じるようにはなったものの、互いの主張を通す為だけに言い争いになるのは十年以上も前からのことである。
シャーロットの眼にはその頃と同じように映っているのだろうか。
……でも、それはねえよなぁ。
リンはそれでも構わないとも思っている。
しかし、レインの心情を考えるとシャーロットのその言葉は残酷なものでしかないのだろう。




