10-1.リンとシャーロット
* * *
……信じられるわけねえじゃんか、そんなの。
堂々とした振る舞いをするシャーロットをリンは見つめていた。
リンにとっては、シャーロットの簡単に自己紹介をしようと口にした言葉はどれもが重いものだった。
……別人になるわけねえじゃん。だって、十年前までは一緒にいたじゃん?
心のどこかでは期待を捨て切れずにいたのだろう。
……俺たちが一緒にいたことはなくなんねーじゃんか。
教卓の前で始祖として振る舞うシャーロットのことをなにも知らない。
軍人として振る舞うシャーロットの威厳ある姿を目にしたのは初めてだった。
彼女から溢れ出す威圧感に圧倒されながらも、幼馴染として過ごした幼い頃を思い出す。
……なかったことにしないでくれよ。
それは貴族に生まれた子どもの宿命だろうか。
リンたちは優秀な兄や姉をもって生まれた。
末っ子として生まれた彼らは親から期待の眼を向けられない幼少期を過ごしていた。
親の期待が向けられなかった幼少期は、彼らがなにをしていても、問題はなかった。
リンたちが親しくしていることに気付く者などいなかったのだ。
誰からも期待されなかった三人は家の事情に巻き込まれることはなかった。
三人が仲良くしていることに対して文句を口にするものなどいなかった。
それは親から見放された子どもたちの日常だった。
……稀代の悪女も、英雄も、七人の始祖も、全部全部、お前には似合わねえじゃんか。
机の下で拳を握り締める。
演説のように話しをしているシャーロットを見つめてはいるものの、眼が合うことは一度もない。
……そんな奴にならなくてもいいのに。
自分を見てほしいわけではない。
気付いてほしいわけでもない。
ただ、シャーロットの感情のないような眼が気になって仕方がなかった。
……なあ。シャルル。
今の彼女ならば、双子の片割れから死人扱いされても傷つかないだろう。
それどころか、その表現は正しいと口にするかもしれない。
……お前はそれでいいのかよ。
幼い頃を忘れられないのは愚かなことだろうか。
優しい思い出に縋ってしまうのは情けないことだろうか。
……レインはお前のことを死んだようなものだって言ってんだぞ。
心が痛い。
割り切ったような振る舞いをしている幼馴染の本音を知っているからこそ、リンは認めるわけにはいかなかった。
……そうでもしねえと気が狂いそうだから。
リンはレインのようにはなれない。
レインのように事実として受け入れ、諦めた振りをすることはできない。
……俺たちには受け入れる覚悟もねえけど。
しかし、ガーナのようにもなれない。
告げられた真実を受け止め、立ち向かっていく勇気はない。
……それでも、なんとかしてやらねえと。
優しい思い出を心の奥に封じるようなことはできない。
その思い出に縋りつき、情けのない姿を晒すことになったとしても楽しかった日々をなかったことにはできない。
……こんなの意味がねえってことはわかってるけど。
十年経った今でも夢に見る。
友人たちと笑い合っている時も思い出してしまう。
幼い頃は共にいた二人が一緒にいないことへの違和感を抱いてしまう。
……今のお前は見たくねえよ。シャルル。
今のシャーロットには、誰よりも優しくて気弱だったレインと手を繋ぎ、広大な敷地を走り回る活発な幼女の面影はない。
……だって、お前は恐ろしい奴なんかじゃねえ。なにもかも滅茶苦茶な奴だったけど、いつも楽しそうにしてたじゃんか。
それを知らないわけでもないだろう。
それに拘り続けるのは無駄と知らないわけでもないだろう。
……それが噓なわけがねえだろ?
力強く拳を握り締め、リンは眼を閉じる。
挨拶を終えたシャーロットは席に着く為にリンの隣を歩いて行く。
その姿を見たくはなかった。
* * *
挨拶等の事務的な話を終えたリーリアは教室から出て行った。
これから先の必要となることを決める為の準備をしにいったのだろう。
少なくとも十分以上は自由な時間となる。
リンはこの時間が来ることを待っていた。
……俺がすることに意味なんてねえかもしれないけど。
いつもならば、迷わず友人たちの元に行っただろう。
すぐにガーナの元に集まって騒ぎ始めている友人たちの視線が痛い。
……でも、俺だけが逃げるわけにはいかねえじゃん。
なにかあったのかと言いたげな視線に振り向いてしまえば、リンはこの場から逃げ出すことができるだろう。
それからいつも通りにふざけて笑い合えばいい。
そうすれば、以前と変わらない日々が待っていることだろう。
……覚悟を決めろ。
リンは椅子を少しだけ引いて、身体ごと後ろを向く。
机一杯に荷物が広げられている。
見慣れた教科書、筆記用具、古びた本、何に使うのかわからないものまで山のように積まれている。
席に着いてからリーリアの挨拶が終わるまでの間に広げられたのだろうか。
話を聞いている最中、背後から聞こえていた物音の正体がわかったことに安心感を抱くべきか、なにをしているのか理解が出来ないと距離をとるべきか。
どちらが正しいのだろうか。
一瞬、声をかけるのを戸惑ってしまった。
「あっ、あのさ!!」
そして、意を決したように声をかけた。
「なんだ」
それに対し、シャーロットは荷物を机一杯に広げながら返事をした。
「あ、のさ」
前置きをする。その声は僅かに震えていた。
普段から青白く、今にも貧血を起こしそうなリンの頬は赤みを帯びていた。
「違ったら、悪いんだけどさ」
全てが五歳の頃で止まっている思い出の中の姿とは、何一つ重ならない。
別人だと言われた方が納得できるだろう。
色だけが同じだと思えば気が楽だっただろうか。
「シャルル」
記憶の中での幼馴染との印象とは異なる。
記憶の中に留まり、年を取らない彼女の印象とは掛け離れている。
彼女は活発な子どもだった。
走り回り、魔法を展開して驚かせ、困らせ、笑っていた。
それを思い出して、胸が痛くなる。
もうどこにもいないのだ。
あの幼くも明るかった子どもはいない。
「シャルル、なんだよな?」
十年前の雨が酷い日だった。
両親の言葉に対して反論したのはあの日が初めてだった。
それ以来、リンはシャーロットの姿を見たことがない。
……変わらない。
それでも確信だけはあった。
本人であることを聞かされていた。
……何も変わっちゃいないんだ。
それでも、心のどこかでは否定したいとでも思っているのだろうか。
それとも、ただ単に現実を受け入れられないだけなのだろうか。
……姿が変わったのは十年経ったからなんだ。
「名乗った筈だが、聞こえていなかったのか?」
「聞いてた! 聞いたけど、その、俺が言いてえのはそうじゃなくて!」
「そうか。だが、先に名乗るのが礼儀であろう。貴族ならば礼儀を大切にしなくてはならない。末端貴族であろうと公爵家や伯爵家といった名の知れた貴族であろうと礼儀作法の知らぬ者は許されない」
「そういう難しい話がしてーんじゃねえの! 俺のことを覚えてねえのかよ!? シャルル!」
貴族としての振る舞い方を淡々と語るシャーロットの言葉を遮り、リンはシャーロットに詰め寄った。




