06-5.日常は人それぞれである
「うっ……、うぅ、ごっ、ごめん、なさい……っ」
「リカちゃん……。泣かないでくださいませ。ガーナちゃんもリカちゃんを泣かせるつもりはありませんでしたのよ。そのように泣いてしまわれてはガーナちゃんが困ってしまうでしょう?」
「う、うぅっ……」
今度は苛められたと言わんばかりに泣いてしまった。
身を隠すようにライラの背中に隠れていたはずだが、自然な流れでライラの横へと移動した。
「あらあら、困りましたわ。泣かないでくださいませ。リカちゃん」
それに気づいたのだろうか。
ライラはリカを慰めるように優しく頭を撫ぜている。
「わっ、わたしが、悪いの。ごめん、なさい」
……なによ、それ。
それは友人に対して初めて抱いた感情だった。
罪悪感ではない。絶望感でもない。
それは被害者であるかのように振る舞い、涙を流しているリカに対する怒りのような感情であり、リカを庇うようにして慰めるライラに対する悲しみのような感情でもある。
……悪いと思ってないくせに白々しい!
人間は理不尽なことが起きると怒りを感じる生き物なのだろう。
怒りを抱きながらも頭の中は冷静である。
……そう言って泣いてみせれば全部が味方になると思っているんだわ!
感情のままに振る舞えたのならば、大声で叫んだだろう。
踏み止まることができたのは友人を想うからこそである。下手なことを口にして混乱を招きたくはない。
「……別に謝らなくてもいいわよ」
なぜだろうか。
今はまだそれを指摘する時ではないと思ってしまうのだ。
涙を流すことにより他人を味方につけてしまうリカの行動は今までも何度も見てきた。
「私の言い方がきつかったんでしょ?」
ガーナもリカを庇うことが多かった。
それを自覚していながらも、なぜ、今になってそれが白々しい演技であると見抜くことができたのだろうか。
「泣かないでよ、リカ。アンタに泣かれるとライラが困るじゃないの」
沸々と浮かび上がる暴言を隠すかのようにガーナは笑ってみせた。
口角が引き攣った不自然な笑顔を浮かべてみせるガーナに対して違和感を抱くものはいないのだろう。
……まるで物語のヒロインみたい。
皆、泣いているリカに気を取られている。
それは悲しいことだった。
それを否定するような真似もせず、それを非難するような言葉も口にしない。
それが友人のことを大切に思っているからこその言動であるかと問われたら、それは違うとガーナは即答することができるだろう。
「それにこういう雰囲気は嫌いなの。もう強く言わないわ。だから泣くのをやめてよ」
ガーナらしくはない言い方だと思った友人はいないのだろう。
泣いているリカばかりが優先されている。
それが当然のようになっているのはリカと親しくなった頃からなにも変わらない。
それはリカを怯えさせる原因となった人物が誰であっても変わらないことだった。
……リカは神様に愛されているみたい。
リカを優先したくなるような呪いでもかけられているのだろうか。
そうだとすれば、その呪いがガーナにはかけられていないのはなぜだろう。
……別に今に始まったことじゃないんだけどね。私だってリカが泣けば庇ったことだってあるし。こんな風に思ったのなんて今日が初めてだもん。
それはその呪いの対象からガーナだけは弾かれたかのようである。
そのように感じるからこそリカに対して不信感を抱いてしまうのだろう。
友人として一緒に行動をしているものの、何一つ教えてはくれないリカに対して苛立ちを抱いてしまうのだろう。
……リカは何者なんだろうね。
しかし、それは今まで抱いてこなかったことがおかしいものばかりだった。
「変な言い方だね。まるでリカさんが噓泣きをしているみたいに聞こえるよ」
イザトの言葉は氷のようだった。
その言葉を耳にしたライラとリンの表情が硬くなる。
「は、ちょっ、ちょっと! なに言ってんのよ!!」
十分ほど前と同じような現象が引き起こされるのではないか。
イザトの言葉を耳にしたガーナは身体に雷が落ちたかのような衝撃が走ったかのように慌てて声をあげる。
挙動不審になりながらもライラとリンの表情を見たが、驚いたような顔はしているものの、表情が抜け落ちているわけではない。
ただそのようなことを考えたこともなかったと言いたげな顔をしていた。
「確かに、言われてみればそういう考えもできるけど。大げさじゃね? すぐに泣く奴がそんなこと考えてやるわけねえじゃん。この泣き虫が演技だっていうんなら帝国劇場で主演女優になれるんじゃね?」
「それは素敵だね。リンのくせに良いことを言うじゃないか。よかったね、リカさん。将来の希望が見つけられそうで」
「お前なぁ。嘘泣きを前提で話を進めんじゃねえよ」
リンとイザトの会話を聞き、ガーナは思わず口を開けたまま固まってしまった。
「いやいや、だって、その可能性もあるよ? 本当に泣いている可能性もあるけどね」
「友人なら嘘泣きの可能性を探るんじゃねえよ。見てみろよ、さっきより泣いてるじゃんか」
下手なことを口にすれば世界から弾かれると知ったばかりのガーナにとっては、イザトの発言が問題なかったことを理解できないのだろう。
……え、なんで?
リカは愛されなくてはならない。
世界はリカを愛するようになっている。
……そんなこと許されるわけがないのに。
なぜ、そのようなことを思ってしまうのだろうか。
誰かに答えを聞いたわけではない。
確信を得たわけではない。
言ってしまえば、それは唯の勘である。
「困ったお二方ですわね」
「ライラ! ライラはどう思うの!?」
「あら、ガーナちゃんも同じようなことを言いますの? 私はリカちゃんのことを悪くは思いませんわ。ですが、それはガーナちゃんが謝るようなことではないとも思いますのよ」
ライラは迷うことなくそう言った。
普段と変わらない真っ直ぐな眼を見ればわかる。嘘を吐いているわけではない。それはライラの本心なのだろう。
「え? なんで?」
「なぜと言われましても。ガーナちゃんはなにも悪いことはしていません。それなのにもかかわらず、謝るというのはおかしな話でしょう」
それは世界的に見てみれば、たいしたことではないだろう。
しかし、帝国全土に渡って古から続いている呪詛が広がっている帝国にとっては、大きな意味を持つことになる変化であった。
ガーナはそれを知らない。
知らないからこそ、違和感を抱きつつも、小さな亀裂を見逃してしまった。
「それよりさ、桜華人って大変だよね。リカさんみたいに泣いてばかりの人間が、普通に生活できることが僕としたら不思議でしかたがないんだけど」
「おい、イザト。お前、それは偏見だろ」
「えー、だってさ。奴隷商人に捕まって売りさばかれていてもおかしくはないじゃないか。帝国にはまだ奴隷制度は残っているし。それを考えたらここにいるのが不自然だって思わない?」
イザトは笑顔で恐ろしいことを言っていた。
その発言はガーナの大声よりも恐ろしいものだろう。
それなのにもかかわらず、リカはライラの後ろから離れてイザトの傍に寄っていく。
「まあ、別にどうでもいいことだけどね。僕には関係ないことだから」
イザトの隣へと移動したリカには視線を向けることもない。
……あれ?
しかし、その様子を見つめていたガーナは違和感を抱く。
イザトの隣に寄り添うリカに対し、イザトはいつもと変わらない笑みを向ける。
その視線の先にはリカの姿は入っていないのにもかかわらず、リカは満足そうに並んでいる。
それが拒絶の意思ではないことを知っているからだろうか。
リカに対して興味がないのではないかと疑う心を持ち合わせていないのだろうか。
……うーん。なんだろう。
リカは当然のように頬を緩め、柔らかな笑みを浮かべるのだ。
イザトの隣に並ぶのは自分だけだと思っているかのような笑顔だ。
……見覚えがあるのだけど。なにも思い出せない。
その光景をどこかで見たことがある気がした。
それは一体どこで見たものだっただろうか。心当たりはない。
なにかを思い出そうとガーナは眉を潜めて考えるのだが、思い出せなかった。