04-3.兄は天才である。そして、帝国が誇る化け物である。
「私はね。始祖としての兄さんを信じるんじゃないのよ」
そうすればシャーロットの言葉が正しいものか判断することができた。
それをしなかったのは、なぜだろうか。
「私の兄さんを信じるの」
ガーナはそれをする必要性はないと判断したのだろうか。
「ギルティア・ヤヌットではなく、イクシード・ヴァーケルを信じるのよ」
十六年間、イクシードとガーナは兄妹だった。
信じるのにはそれだけの理由でいい。
家族を信じるのにそれ以上の理由は必要ないだろう。
……でも、誰かを不幸にするなんて私にはできないもの。
告げられた言葉を信じるのならば、ガーナは他人を不幸にすることになる。
告げられた内容を思い、ため息を零す。
泣き出してしまいたいほどに心が締め付けられる。
「それしか私にはできないの」
恐怖は消えない。
他人を不幸にする為に生きているのならば、早々に自らの手で命を絶ってしまえれば、どれほどに楽なのだろうか。
誰かを悲しませるのならばその方がいいのではないだろうか。
……でも、自殺願望なんてないし。それが、どれだけ周りを傷つけるのか知らないほどにバカでもない。
そう思いながらも、それは実行することが出来ない。
……私が死んだらパパ、ママ、兄さん、それにライラたちが悲しむわ。
実行すれば悲しむ人がいると言うことを知っている。
だから、生きていても命を絶っても結果は同じなのだ。
誰かが不幸になることは避けて通れない道だ。
……だから、私は死ねない。それ以外の方法を探さないといけない。
ガーナはそれが嫌だった。
それは、一方的に告げられた予言を回避したいと願うのには充分すぎるほどの理由になるだろう。
「ガーナちゃん。私にはガーナちゃんの言いたいことは難しくて理解することができませんわ」
ライラは困ったように微笑んで見せた。
「ただ、いつものような冗談ではないのでしょう?」
……そうよ。冗談なんかじゃないの。
心の中でライラの言葉に同意をする。
「ガーナちゃんのお兄様になにを言われたのか存じませんが、それで心を病んでしまうことだけは許されませんわ」
「別に病むようなことじゃないわよ」
「普段とは違う様子を見せているのはお兄様の言葉が原因なのでしょう?」
……ライラにはなにか見えているのかな。
ライラの手がガーナの頬に触れる。
その優しい眼差しと温もりに心が洗われるようだった。
……そういえば、シャーロットはライラのことを知っているようだったわね。精霊の愛しい子だとか言っていたような……。
そのような表現の言葉を聞いたことはなかった。
魔術や呪詛という言葉も口にしていたことを考えれば、古の時代に使われていた表現かもしれない。
「大丈夫よ」
ガーナの存在が他人を不幸にするというのならば、優しい眼差しを向けているライラもその対象かもしれない。
「私はなにも問題ないわ。だって、私は知っているもの」
それならばライラを巻き込む真似はしたくはない。
親友であるからこそ必要以上に話してはいけない。
……それに化け物だってみんなが知ったら、きっと、私を避けるわ。それでもライラだけは一緒にいてくれるかもしれない。そんなのダメだわ。私は私の親友を巻き込みたいわけではないのだもの。
普通ではない者に対して恐怖感を抱かない者は少ない。
恐怖の対象として怯えるだろう。
距離をとろうとするだろう。
……兄さんを避けるパパとママと同じようになればいいのよ。だって、そうすればライラを守れるかもしれない。
それは意地のようなものかもしれない。
素直に助けを求めれば運命は変わるかもしれない。
……私がライラを苦しめるようなことはあってはいけないもの。親友を傷つけるなんて親友失格よ。
しかし、それにより大切な友人たちが傷つくことになる可能性が現れることの方が恐ろしかった。
……だって、始祖は人間であって人間じゃないんだもの。私だって人間じゃないかもしれないわ。
「始祖っていうのはね。私たちが思っているよりも、ずっと、人間らしいのよ」
イクシードは、“普通”とは掛け離れていた。
その身に秘めている魔力も、扱う魔法や知識、全てが年相応という言葉が似合わない幼少期だった。
二人だけの兄妹として育てられたガーナはその幼少期を共有している。
……パパもママも、兄さんを家族じゃないって言うくらいだもん。
普通ではない兄を慕う妹。仲の良い兄妹。
それは無垢であるからこそ、恐怖感がないだけのだと何度も言われてきた。
両親は顔色を悪くして何度も二人を引き離そうとした。
それは生きることだけに必死だった幼少期の中でも、色濃く、残っている記憶だ。
「好き嫌いもするし、昼寝だってするし、特訓だってするのよ」
両親は、ガーナがイクシードを慕うことをよく思っていない。
それどころか、恐れているかのように思えた。
「本だって読むし、勉強だってするわ」
その異常な光景はガーナの心の中にいつまでも残るだろう。
「ただ年相応な振る舞いができないだけなのよ」
イクシードも人間らしい姿をしていることがあった。
人間らしさを演出するイクシードに対して両親は怯えていた。
「なのに、パパもママも、兄さんを人間として見なかった」
両親にすら恐怖の対象として見られていることを、ガーナは知っていた。
「兄さんのことを息子だって言ったことがないのよ?」
それが正しい振る舞いであるかのように両親の行動を肯定する村人たちのことは好きではなかった。
「兄さんの写真だって私が撮ってほしいって強請ったものしかないの」
ガーナのことは可愛がってくれる村人だからこそ納得することができなかったのかもしれない。
……私は兄さんのようにはなれないわ。みんなから怯えられるなんて嫌だもの。
恐れられることを当然と受け止める兄の姿を見るのは、悲しかった。
認めてもらおうとしない兄の姿は理解することができなかった。
まるで一人でも構わないと言いたげな表情をしている兄のことを少しでも理解したくて、時間の許される限りは兄の後ろを付いて回った日々を思い出す。
「パパとママの兄さんを見る眼はね、すっごく怖いのよ」
兄のことを理解することはできなかった。
尊敬する兄のことを恐怖の対象として見ることしかしない両親や村人のことも理解することはできなかった。
「家族にそんな目をする人なんて想像できないだろうけどね」
……あの中で生きるなんて、私には無理だよ。
自慢の兄であった。
それでも、両親は兄を恐怖の対象として見ていた。そんな視線を知っている。
……化け物を見る目は嫌いだよ。
強かに生き、笑って行こうと心に決めたのは、兄がそうであったから。
心の悲鳴は聞かないふりをする。
心の声は言葉にしない。
そうすることでしか、生きる術はなかった。
そうすることでしか、なにも主張することは出来ない。
恐れていない仮面を被らなければ泣いてしまう。
そんな幼少期の頃の自分が哂っている気さえしてきた。
今の姿はなんだと指を差して笑われているような気さえしてきた。
「私はなんなのだろうね」
人間であり人間ではない。化け物である可能性。
それを否定する材料は、あまりにも少なすぎた。
「私は私だと思うのに、兄さんは、私は私じゃないっていうんだよ」
……聖女様とは縁がない性格だと思うのだけど。
自分自身でも分かっているのだ。
帝国を正しき道へと誘うとされている聖女は、清らかな存在。
邪心を抱く者も、自己を愛する者も違う。
普通の人間とは違う存在なのだ。
「それなら、一体、私はなんだろうね」
……きっと――。そう、私の周りなら、リカみたいな人が選ばれるべきなのに。
清らかな存在であるべき聖女は、最後の最後で帝国を裏切ったのだ。
「兄さんのような人にはなれないし、私は私でしかないのに。それを否定されたら、私はどうしたらいいんだろうね?
一体、なにをしたのかは知られていない。
知られているのは、帝国を呪いながら命を絶ったという話だけだ。
それも伝承に近く、真実ではないのだろう。
それを探る術は残されていないのだろう。
……だって、聖女様は帝国を救ってくださるのだから。
「わからなくなっちゃったのよ」
だからこそ、聖女は、信仰の対象となっている。
「兄さんのことを信じないなんて選択はないし」
帝国が危機に陥る時が来れば、聖女は人々の前に姿を見せるだろう。
「でも、私は私を捨てたくはない」
再び帝国を導いてくださるだろう。
そうして宣言をするのだ。帝国の勝利を。
人々はそんな期待を抱いている。かつては、ガーナもその一人であった。
……ああ、でも。裏切った聖女様なら私でもなれるかもしれないね。
期待を裏切るのは得意だ。
それならば聖女と崇められている人との共通点にもなり得るかもしれない。




