04-1.兄は天才である。そして、帝国が誇る化け物である。
「仕方ないね! 教えてあげようじゃない!」
待っていたとばかりに声を張り上げる。
それに対して優しい笑みを浮かべるのは、ライラだけではなかった。
「ええ。教えてくださいませ」
「うふふっ。あのね、最高な休暇だったのよ。最終日はライラとお買い物に行けたし。帰郷していた時はね、珍しいことに兄さんが帰って来てくれたのよ!」
「まあ、お兄様が帰られていたのですか。よかったですわね」
「うん! えへへ、ライラには何度か話したことがあるけどね。私の兄さんは王都で働いているから、滅多に会えないのよ」
ガーナが生まれ育った故郷、フリークス公爵領ヴァーケル村は辺境の地だ。
昔から公爵領の中でも特別な待遇を受けていたとはいえ、作物が育ちにくい土地では豊かな生活をすることは難しかったのだろう。
「実家にも帰って来てくれないし。それなのに今回はほとんど兄さんと過ごせたのよ!」
ヴァーケル村は知名度こそあるものの、生活する人々はその日暮らしを続けている貧しい農村だ。
ガーナは貧しい農村である故郷のことが好きだった。
千年近くもの年月を凍り付いたまま存在していると伝承されている森に囲まれているからだろうか。
夏場でも涼しい風が吹く農村のことが好きだった。
「よかったね。で、ヴァーケルさんのお兄さんはどんな仕事をしているの?」
「よく聞いてくれたね!!」
今まで見せたこともないほどに、楽しそうな笑顔を浮かべながらガーナは言う。
「私の兄さんはね、軍人なの」
ガーナが兄の話をする時はいつでも楽しそうである。
誰よりも慕っている兄のことを非難する人たちがいないからだろうか。
兄を恐怖の対象として見る人がいないからだろうか。
「それも誰もが聞いたことがある有名な部隊に所属をしているのよ!」
ガーナは嬉しそうに兄との思い出を語る。
「うふふ、聞いて驚くがいいよ!」
幸せそうに頬を赤らめ、身体を左右に動かしながら笑い声をあげた。
「私の兄さんは帝国人ならば誰もが憧れる偉大な軍人なのよ。兄さんが弓を扱えば百発百中、兄さんが占えば百発百中、古の魔術と呼ばれている偉大な力だって扱えるの」
軍事に関わる人間で名が通れば、呪詛の対象になる。
その対策の一つとして、本名を隠す為に、大佐以上の地位にいる者だけが皇帝より贈られる名がある。
「帝国を代表する偉大な人なの。私の大好きな兄さんはすごいのよ。皇帝陛下から異名を頂いているんだから!」
ガーナはそれを知らないのだろう。
王族や軍部に関わる者だけがその風習を守り続けている。
古の時代に使われていた呪詛や魔術を使う者が少なくなり、劣化版である魔法を使う者も多くはないこの時代にはその風習は必要のないことかもしれない。
「色欲の悪魔、七人の始祖。運命の塔に祀られている偉大なる始祖、ギルティア・ヤヌット。兄さんはその生まれ変わりだと言われているのよ」
神聖ライドローズ帝国時代からこの国を守っているとされている七人の始祖。
しかし、彼らの名を知らない者はいない。
歴史の教科書に堂々と載せられているのにもかかわらず、彼らは一度も呪詛をかけられたことはないとされている。
「そして、始祖の名を継ぐことが許された偉大な魔法使いなの」
人間であることを捨て、守護神として帝国を護ることが義務付けられた彼らを呪うことのできる実力を持った魔法使いや魔女はもういないのだろう。
「どうよ? すごいでしょ! 私はその偉大な兄さんから直々に魔法を教わったのよ!
だからこそ、彼らは異名ではなく堂々と名乗るのだろう。
呪えるものならば呪ってみろ、と、言いたげな態度を貫くのだろう。
「ギルティア・ヤヌット!? あの人嫌いで有名な始祖がお前の兄!? いやいや、そんな冗談はやめろよ。まじで。お前、不敬罪で捕まった方が良いぞ。始祖信仰者に殺されてもしらねえからな!?」
「リンは食いつくねぇ。さすが、始祖オタク。どうせ休みの時には兄弟と一緒に始祖のグッズでも買い漁っていたんでしょ?」
リンの額を指で弾く。
軽く触れただけのそれに対し、リンはめんどそうな表情を浮かべていた。
「それとこれは関係ないだろ」
それでも、軽い文句は忘れない。
否定をしなかったのは事実だからだろう。
「……よく考えてみれば、ヴァーケルなんてそんなに多い苗字じゃねえよな」
……まあ、別に信じてなくてもいいだけどね。
貴族の生まれである人ほど始祖信仰の傾向が強い。
それも熱狂的な信者であることが多い。リンも例外ではないだろう。
「今は別の名前を名乗ってるって聞いたことがあるし。……冗談でもそういう噓は言わねえよな。お前」
「大好きな兄さんのことに関しては嘘も冗談も言わないわよ」
故郷のヴァーケル村は小さな農村だ。
始祖の加護があるとされているわりには寂れた村だ。
だからこそ村人同士の協力関係は強いのだろう。
「兄さんはね、とっても素敵な人なのよ?」
人間関係はなによりも大切なことであるとガーナですらも知っていた。
「始祖信仰で伝えられている人とは違うわ。私の兄さんは私にもとっても優しいカッコイイ人なの。そこは誤解しないでよね。まあ、自慢の兄さんの写真は見せてあげないけどね! 見たければ軍で売っている始祖関連の雑誌を買いなさい!」
そんな村で育ったイクシードは意図的に距離を保っているようにも思えた。
それを思い出しながら、ガーナは言い切った。
「兄さんは素敵な人なのよ。誰も信じてはくれないけど」
誰よりも強くて、誰もよりも美しい。
人間相手に負けることはないだろう。
例え、敵対する相手が見知った相手であろうと、戸惑うことなく倒してしまう強靭な精神の持ち主である。そう信じて疑わない。
「でも、リンみたいな追っかけは好きじゃないわ。始祖だって人なのよ。追いかけ回さないでちょうだい」
「追いかけ回してなんかいねえし」
「でも、聖地巡礼とか言って村に来るじゃないの。来るなら関連のもの以外も買って行きなさいよね!」
ガーナは両親に止められても兄のことが好きだった。
「兄さんの予言は当たるのよ」
……誰よりも素晴らしい兄さんなんだから。
なにもかも理想的な人だった。
その容姿も力も性格すらもなにもかも特別だった。
そう思わずにはいられない程に、強い憧れを抱いていた。
「だって、私の兄さんだもの」
……私の理想の人なんだから。
そんな兄に憧れるのは、必然的だった。
兄のような人になることを夢見て、故郷から遠く離れた魔法学園に来たのだ。
「兄さんの言ったことを疑うなんて私には出来ないわ」
先日、シャーロットによって伝えられた言葉を思い出す。
……“全てを不幸に変えるだろう”。なんて、最低な予言なのかしら。
化け物だと言われた時には、身体が凍ってしまうかと思った。
「兄さんはいつだって私の手を取ってくれる優しい人なのよ?
直接、イクシードから伝えられたわけではない。
「兄さんが私に嘘を吐いたことなんて一度もないわ」
シャーロットが噓を吐いている可能性だってあるだろう。




