06-1.始祖の仕掛ける罠には餌が多すぎる
「おいおい、嬢ちゃん。質の悪い冗談はやめてくれよ」
ロヴィーノは呆れたように語り始める。
「そいつは、ミカエラ皇帝陛下がお選びになった高貴なる生贄様さ」
それは何度もリカに向けられてきた言葉だった。
マリー・ヤヌットとして生きた日々を思い出せる言葉だ。
リカはすぐに俯き、何も言わない。ロヴィーノの言葉が正しいのだと肯定するかのように俯き、彼の言葉を遮ろうともしなかった。
……吐き気がするわ。
ガーナは怒りを感じていた。
ロヴィーノの言葉に怒りを感じた。なにより、彼が当然のように聖女を生贄として扱ってきたのだとわかってしまう現実に怒りを抱いた。
「仲間だなんて吐き気のする表現はやめてくれよ。ヴァーケル嬢」
ロヴィーノは笑う。
まるでガーナに対しては敬意を払っているかのような振る舞いをしながらも、一度もリカに視線を向けることはなかった。
「そいつは、俺様たちとは違う。英雄に選ばれもしなかったくせに、呪われちまった哀れな生贄さ」
ロヴィーノは容赦の言葉を口にする。
それを遮る者はいなかった。
* * *
……最悪だよ。本当に僕は運がない。
イザトは心の中で後悔をする。
ロヴィーノに連れられてきた場所は応接間だった。
作戦会議を開いていたのだろう。各々、好きなことをしながら話を進めていたシャーロットたちの視線が一斉にイザトに向けられる。
……最悪だよ。
イザトは心の中で悪態を吐く。
どうしようもない現実を付きつけられているような気分だった。
「坊ちゃんを連れてきたぜ」
ロヴィーノは強引にイザトの腕を掴み、室内に放り込む。
そして、イザトが逃げ出すのを防止するかのように扉を閉めた。
「……僕になにか話でもあるの?」
イザトは重い口を開いた。
この場にいる全員がイザトの味方ではない。イザトの育て親であるアンジュは頑なに目を閉じており、助けを求めたところで返事の一つもしないだろう。
「坊やか」
ジャネットは期待外れだと言わんばかりに口を開いた。
この期に及んでもイザトが生きていることを残念に思っているかのような口調を指摘する者はいない。
……始祖だけで話し合いを進めているわけ?
イザトは違和感を抱く。
帝国の未来を憂い、帝国の為だけに立ち上がったはずの反王政軍は始祖の傀儡に過ぎない。それは今までの帝国の姿となにも変わらない。
……ジャネットたちの目的は?
イザトはジャネットに視線を向ける。
……帝国の基盤を揺るがすことじゃないのかな。
別の目的があるのだろうか。
そうでなければ、反王政軍を率いる意味がない。
「他の人はいないの? 僕は反王政軍を率いているのは、お偉い貴族様だと思っていたんだけど?」
「各自、持ち場にいる」
「へえ。作戦会議は貴族様の持ち場じゃないってことかな?」
イザトの言葉に対し、誰も反論をしない。
それを指摘されるとは思ってもいなかったのだろう。
……あの人たちにとって、それが当たり前なのか。
それに悲しみを抱くのはなぜだろうか。
始祖たちだけが話し合うのは当然のことだった。
反王政軍は始祖を支持する帝国民で構成をされている。その規模は日に日に巨大なものとなり、公に行動を始めてから数時間しか経過していないのにもかかわらず、反王政軍の規模はアーロンが率いる帝国軍の二倍以上に膨れ上がっている。
誰もが始祖は帝国に必要不可欠な存在だと主張している。
それはジャネットたちが望んでいるものではないと知る者は、両手で数え切れる程度の人数だろう。反王政軍に参加をしている多くの者たちは、始祖が帝国に尽くすのは当然のことであり、彼らの意思など気にかけていない。
「人の子など不要だ」
ジャネットは簡潔に意見を述べる。
「駒は駒通りに振る舞えばいい。それ以上のことを求めても時間の無駄になる」
ジャネットの考えは始祖の共通だ。
彼らは千年の月日をかけて学んできた。百年程度しか生きることができない人々の意見に耳を貸すのは、貴重な時間を無駄にすると受け入れてしまった。
帝国は戦争を繰り返す。
その理由は様々だ。権力に溺れた皇帝の我儘であったり、始祖の思惑通りに帝国を動かすであったり、世界情勢に巻き込まれたものであったりと様々な理由を当然のことのように並べ、戦争をする。
それは帝国が生き残る為の術であった。
帝国を生かす為ならば、始祖は手段を選ばない。
そこに帝国民の意思がなくとも、構わなかった。
「それは帝国の為なの?」
イザトは臆することなく意見を述べる。
「僕たちの意思は無視するわけ? そこまでして帝国を守る意味はあるの?」
イザトの言葉はジャネットたちの心を動かさない。
頑なに目を閉じているアンジュは動かない。
「国民がいてこその国じゃないの?」
イザトは思いを心に留めていられなかった。
感情のままに言葉を口にする。
……変なの。
それに違和感を抱く。
まるで別人が体を奪おうとしているかのような奇妙な感覚だった。
「始祖は帝国民を守る為にいるのに。帝国民を守る為には、帝国を維持しなければいけないのに。どうして、意味もなく、帝国民の命を犠牲にしようとしているのさ」
イザトの言葉に対し、ジャネットは口を閉ざしたままだった。
明らかに様子を伺っている。
その姿に気づきつつも、イザトは口を閉ざすことができなかった。
「この戦いに正義なんてない」
イザトは断言する。
ジャネットたちが反王政軍を率いている事情は知らない。
なにが彼らを動かしたのかも知らない。
それでも、イザトは黙って見守ることはできなかった。
「テンガイユリ一族も帝国民だよ。彼らは敵じゃない。始祖が守るべき帝国民だ。それなのに、どうして、敵であるかのように振る舞うのさ」
イザトはそこまで言い切って、ようやく、口を閉ざした。
……おかしくなりそうだよ。
気が狂いそうだった。感情的に振る舞うべきではないと頭の中ではわかっているつもりなのだが、体が思うように動いてくれない。
誰かに助けを求めることさえも、イザトには許されていなかった。




