05-4.ガーナ・ヴァーケルは逃げられない
「そんなの、嘘よ」
ガーナは否定する。だが、その声に力はない。
「だって、兄さんが私を利用するはずがないもの!」
「ははっ! 最高だな、ヴァーケル嬢。本気でそれを言っているのかい?」
「当たり前じゃないの。誰が何と言おうと、兄さんは私の兄さんよ!」
ガーナにとって、イクシードは敬愛する兄である。
盲目的に信じ、兄の言葉を疑うことは神に逆らうのにも等しい行為だ。
それは誰かに教えられた言葉だった。
ガーナを守る為に、兄となった彼の言葉を疑ってはならないと涙ながらに言い聞かせていたのは、誰だったか。
「兄さんが私を騙すなんてありえないのよ。だって、私は兄さんのことを信じているんだから!」
ガーナは否定の声をあげる。
それはガーナの願いでもあった。
騙されているはずがないと力強く否定する声を聞き、ロヴィーノは悲劇を演じるヒロインの悲痛な叫びを聞いたかのように口角を上げる。
ロヴィーノに人の心はない。
始祖には他人を思いやる必要はない。
だからこそ、ガーナの兄を信じる気持ちを理解できなかった。
「兄が妹にしてやれることを知ってるか?」
ロヴィーノは問いかける。
淡々とした声だった。道化師のように様々な演出を心がける素振りもない。他人を不愉快な思いにさせて、大笑いをするような気分ではなくなったのだろう。
……怖い。
ガーナは恐怖心を抱く。
無意識だった。しかし、確実にロヴィーノの地雷の上で踊っていたのだろう。
「無知な妹に同情して、死から遠ざけてやることだけだ」
ロヴィーノは、その昔、兄だった。
千年近くも昔の話だ。ロヴィーノの妹が生きていた頃の話を知っている人間は誰も残っていない。生き残っているのは、ロヴィーノと同じように家族の命を踏み弄り、人の道を踏み外した始祖たちだけだった。
ロヴィーノも、シャーロットと同じように記憶を保持し続けられない。
帝国の歴史の闇に葬られたロヴィーノの家族のことを、彼はあまり思い出すことができない。
それでも、家族のことを忘れたことだけはなかった。
「それをしないような奴は、兄を名乗る資格はねえんだよ」
ロヴィーノに対し、ガーナは言い返せなかった。
……どうして。
ロヴィーノの言葉が重く感じる。
彼のことを何も知らない。
しかし、ロヴィーノが妹のことを案じていたのだと気づいてしまう。
誰からも理解されない方法だった。それでも、彼は妹を守りたかったのだろう。
……このことを教えてあげたい人がいないのに。
夢の中で出会ったティアラのことを思う。
二度と会うことはないティアラの知りたかった兄の真意は、あまりにも一方的なものだった。
「調子に乗るなよ、平民。お前が何と言おうと、ギルティアはお前の兄じゃない」
ロヴィーノはため息を吐いた。
余計なことを口にしすぎたと思っているのだろうか。
「ギルティアの予言通りに踊らされるか、それとも、死を覚悟で逃げ出すか! 好きな方を選べよ、ヴァーケル嬢!」
くるりと体の向きを変える。
「俺様はどちらを選んでもかまわねえぜ? 平民のすることに興味はねえからな!」
道化師のように振る舞う。
それから、視線をイザトに向けた。
「坊ちゃん」
本題に入るのだろう。
ロヴィーノは目じりを下げてて笑った。
「ジャネットが待ってるぜ。さっさと役目を果たせよ? 寝坊助坊ちゃん!」
本題はイザトを呼びに来たようだ。
そのついでにライラを連れてきたのだろう。
「……僕を呼んでるの? あの人が?」
イザトの言葉に対し、ロヴィーノは豪快な笑い声をあげた。
「もちろんだとも!」
それから、イザトの腕を掴み、歩き出す。
イザトの返事などロヴィーノには必要なかった。
「触らないでくれる? 僕、男の人に興味なんてないから」
イザトはロヴィーノの手を叩く。
始祖であるロヴィーノにとって、イザトの力など些細なものだ。痛みさえも感じていないかもしれない。
「奇遇だな! 坊ちゃん! 俺様もだよ!」
「うるさいな。静かに話せないの?」
「坊ちゃんには、このくらいがちょうどいいだろう? なんせ! 哀れな坊ちゃんに楽しんでもらわないといけないからな!」
ロヴィーノはけらけらと笑い声をあげながら、手を離した。
腕を掴んでいなくても、イザトは大人しく着いてくると知っているからなのだろう。
「人質の居場所は一か所の方が便利だろう? 坊ちゃん。わざわざ、色々なところに助けに走らなくていいんだからな! 提案してやった俺様に感謝の言葉を述べてくれてもいいんだぜ!」
ロヴィーノの言葉に対し、イザトは表情を曇らせた。
わざとらしく、ガーナたちに聞こえるように言ったのだろう。ロヴィーノの性格の悪い行動は、すべて帝国の為に演じられていることだ。
それは忠告でもあった。
イザトに逃げ道はない。逃げようとすれば、人質は殺される。
……人質?
その言葉がガーナとライラを意味していることはわかる。
……でも、リカは仲間じゃないの?
この場にはリカもいる。
リカは、マリー・ヤヌットの転生者だ。聖女であると認めてもいる。
……聖女は仲間じゃないの?
視線をリカに向ける。
……リカが悲しんでいるじゃない。あいつ、気づいていないの?
ロヴィーノの心のない言葉は、リカの心の傷を抉る。
視線を床に向けたまま、震える体を庇うように自分の腕を強く掴んでいる姿は、ガーナの知っている怖がりな友人でしかなかった。
「待ちなさいよ!」
ガーナは黙ってはいられなかった。
「人質は私とライラのことだって、ちゃんと訂正してからにしてくれる!? リカはマリー様でもあるんだから、あんたたちの仲間でもあるんじゃないの!?」
ガーナの言葉にリカは顔をあげた。
それはガーナの言葉に喜んでいるわけではない。露骨なまでに怯えた表情を浮かべていた。
「仲間?」
ロヴィーノは足を止めた。
振り返ることはない。しかし、何も訂正せずに立ち去ることはできなかった。




