07-1.シャーロットの独白
* * *
……雨を降らせる程度の魔力か。
楽しそうに去っていたガーナの姿を思い出す。
攻撃を仕掛けようとしながらも、最後には全てを納得したかのように笑っていた。
……洗脳の影響を受けやすい体質も考え物だな。
異常なことを拒絶するような素振りを見せつつも、また会おうと一方的に宣言してから、立ち去って行った。
……簡単に術にはまってくれるとは。
その姿が異常なのだと指摘しなかったのは優しさではない。
現代では使える者が激減している魔術をガーナにかけただけだ。
……仕事は仕事だ。仕方がない。
異常だと気付いていないのならばそれを指摘せずにいた方が、ガーナは幸せだろう。
気付いた頃には手遅れになってしまっているかもしれないが、それはそれで自己責任として片付けられてしまうのだろう。
この世界はそういうものだ。
シャーロットは嫌になるほどに知っている。
……同情はしよう。哀れな子どもだ。
人込みから離れた路地裏で、シャーロットはため息を零した。
先ほどまで降っていた雨はもう止んでいる。
まるでガーナを逃がす為だけに振ってきたかのようである。
詠唱破棄で召喚した温風により濡れた身体と髪を乾かす。すると元通りの紅色の髪に戻った。
……好都合というべきか。役不足だと捨てるべきか。
廃棄してしまってもいいと思っていた。
しかし、都合が良いことばかりを言葉にする人間となっていたガーナに対して僅かに興味を抱いているのも事実だ。
……様子見を続けるだけの価値はあるだろうか。
知らないはずの記憶に戸惑いつつも、自分自身を手放さないようにと抵抗をする姿には興味を抱いてしまう。
シャーロットが知っている限り、抵抗を示した者はいない。
シャーロットもなにも抵抗せずに記憶と自我を取り戻した。
前世と呼ばれる記憶に引きずられたわけではない。前世から自分自身を引き継いだのだ。
本来、シャーロットの身体に宿っていた幼い人格はかき消されてしまった。
それは当然のことだった。
始祖として選ばれた限りには仕方がないことだった。現世においての両親もそれは喜ばしいことであると捉えている。
それに抵抗をする者がいるなどと思ってもいなかった。
「しかし、あれでは使い物にならないな。やるのならばしっかりしろというものだ。中途半端にするからあのような者になるのだ」
同じ時を生きる始祖たちから、それは聞かされていた話だった。
事の発端は百年以上も前の話だ。先の大戦にてシャーロットは命を落とした。
その後、聖女マリーによる裏切りが発生したのだ。
帝国の基礎を築いている【物語の台本】の改悪事件。公にすることはできない事件の為、真相知っている者は少ない。
世間には聖女が裏切り、命を絶ったとだけ公表されている事件だ。
けれども、それを妄想や悪夢であると切り捨ててきた。九百年もの間、聖女として振る舞い続けた女にはそのような真似はできないだろうと思っていた。
……まさに改悪事件だな。ジャネットもたまには正しいことを言う。
本来ならば五十年以上も前に転生する筈だった。
それが狂うことになったのはマリーが施した【物語の台本】の改悪による影響だ。始祖の転生を司る呪詛に何らかの影響を与えたのだろう。
それでも転生までの時間が延びるだけの影響しか与えることができなかったのは、マリーの魔力が足りなかったのか、なんらかの手違いが起きたのか。
どちらかだろうと、シャーロットは思っていた。
……あれでは、ただの人間ではないか。
始祖と呼ばれている特別な存在は、本来の人間として生を捨てた。
……ひ弱な存在になにができる。
千年前の大予言者に呪われた存在は人間としての生き方を捨てることしかできなかった。
呪いの上に呪いをかけられ、様々な呪詛により心身を支配されている。
その魂ですらも帝国に縛りつけられ、死の救いすら与えられない。
……抗うこともできないくせに。
帝国を守る為だけに存在することが許され、帝国の為に命を捧げる。
それだけの為に生きることが許されている。
その歪な姿をする始祖たちを崇める帝国民は、おかしいのかもしれない。
……なぜ、笑っていられるのだろうか。
始祖信仰こそが帝国を救うのだと生まれた時から教え込まれていれば、おかしくもなるだろう。
その思想から抜け出せないのは、始祖たちが生きていることにより帝国は負け知らずの大国になってしまったからだろう。
……恐れているのならば泣けばいいものを。
それは、人間にはすることの出来ない行為。
化け物だからこその行為である。
それは、罪や穢れを背負って生き続ける咎人に相応しい罰なのかもしれない。
「知恵を与えてやったとはいえ、実行するとは。愚か者め。半端に手を出しやがって、やるならば最後までやれというものを。あれでは贄にすらならん」
決して、仲間を信じていなかったわけではない。
ただ、直接見ていない事実を簡単には受け入れられなかった。
……贄にすらならないのならば、役に立たないではないか。愚かな奴め。
この世界には嘘や偽りで造られただけの情報も多く存在する。
だからこそ、シャーロットは仲間たちの言葉を嘘だと思っていた。
「役立たずが」
マリーに方法を教えたのはシャーロットだ。
帝国の歪さに気付いてしまったマリーを唆した。
……けれども、本当に全てを捨てたのだな。
九百年もの間、生きていると思えないほどに真っ直ぐな人間だった。
失うと分かっていながらも大切な人たちを守ろうと足掻く人間だった。
誰よりも愛しい人と再会をすることを願っている可哀想な人間だった。
だからこそ、シャーロットは利用をすることにした。
「バカな女だ」
マリーならばやれるかもしれないと囁いた。
「自身の存在理由を否定してどうするのだ」
シャーロットはただ可能性を見出したかっただけだった。
成功するとは思っていなかった。
「そこまで愚かな女だとは思ってもいなかったよ、マリー」
だからこそ、それが実行されたと聞いた時は笑ってしまった。
ここまで上手くいくとは思っていなかったのだ。
「お前は最高に愚かだ。昔からなにも変わらない女だな」
しかし、それは許される行為ではなかった。
だからこそ、シャーロットは自らの手を汚すことを避けたのだ。どのような罰が下るのかわからない限りは手を出すつもりはなかった。
……世界を捨てても願いを叶えようとしたのか。
そこまでして手に入れたい願いだったのだろうか。
……【帝国再生魔方陣】の第一段階は失敗に終わったが、人間としての生きる道を手に入れることができたのは成功として考えてもいいかもしれないな。
確証を得られていなかった出来事は、ガーナとの出会いにより事実となった。
百年前に死亡したことが確認されている聖女は転生をしている。