08-7.真実は夢の中に隠されている
「使わねえ魔道具を壊しちまうのはなァ? 手が滑って物を割っちまうのと同じだ」
イクシードは他人に対する優しさなど持ち合わせていない。
「ん? そう考えると、お前も同じだなァ。聖女の転生者だと持ち上げて、利用するだけ利用して、使えなくなったら捨てちまおう。そしたら、また最初からやり直せよ。今度こそ上手く使ってもらえることを期待しながら死んでくれ」
倫理観の抜け落ちた独特な思考回路から導き出される歪な答えは、始祖だからこそ、許されてきたものなのだろう。
「すべては帝国の為になる。良かったなァ、田舎娘の命で帝国を支えられるんだぜ? 立派な帝国民じゃねえかよ。田舎の両親も泣いて喜ぶだろうよ」
それすらも、帝国の為に命を懸けて戦っているアンジュたちとは大きく異なり、自分自身の欲を満たす為に都合の良い場所に留まり続けているだけでしかない。
「どうしたァ、ガーナ」
イクシードの表情は穏やかなものに変わる。
ガーナから向けられる得体の知れない者に対する恐怖心を待っていたかのように笑っている。
「お前が兄だと信じていた奴の本性を知れたんだ。喜べよォ」
暴力は振るわない。
暴言も吐かない。
そのようなことをしなくても、ガーナの心を踏み弄るのはできるからだ。
「……兄さん」
ガーナは笑ってみせた。
「私はそんなことを言われても、兄さんを信じるのを止めないよ」
断言する。
盲目的な感情だと否定されたとしても、信じることが間違いだと糾弾されたとしても、ガーナは自分の心に従う。
「私は兄さんが大好きだからね」
イクシードのエルフ族特有の方言が混じった言い方を真似した口調ではなく、わざとらしい口調にも変えない。
「兄さん」
ガーナの言葉が理解できないのだろう。
不愉快で仕方がないと言わんばかりの表情を浮かべるイクシードに両腕を伸ばす。
その手が受け入れられないと知っていた。
「私は私だよ。兄さんの妹のガーナ・ヴァーケルだよ。だから、兄さんがなにを言っても、私は妹として兄さんを信じるよ」
イクシードに触れようと伸ばされた手は払い除けられた。それでも、ガーナは怒ることはなかった。
「気色悪い真似をするんじゃねェよ」
イクシードは拒絶する。
「俺はテメェの兄じゃねェ」
その言葉に対してガーナは反発をしなかった。
「イクシード・ヴァーケルなんて奴はもういねェんだよ」
「兄さんなら私の目の前にいるじゃない」
「俺はテメェの兄じゃねェんだよ」
イクシードは拒絶をした。しかし、その拒絶をガーナは受け入れた、
「私が知っている兄さんは兄さんだけだよ」
ガーナは何度払い除けられても腕を伸ばし続ける。
いつの日か、その手が触れることが許されるようになると信じているかのような行動に対し、イクシードは耐えられなかったのだろう。立ち上がり、移動をする。座っているガーナの腕が届かないところに移動し、冷めた視線をガーナに向けた。
「血の繋がりなんてもんはねェんだよ」
その言葉に対し、ガーナは何度も瞬きをした。
……血が繋がっていなくても、兄さんは兄さんなのに。
イクシードとガーナが隣に並んでも二人が兄妹だと思う人は少ない。
似ているようで異なる青の髪と目の色以外は共通点がない。
ガーナのことを拒絶しながらも身に着けている迷彩柄のバンダナは、イクシードの誕生日にガーナが少ない小遣いを貯めて買ったものだ。それはイクシードの鋭く尖った亜人種特有の耳を隠す為のものだった。
……どうして、今になってそれを言うの?
意図を考えてしまう。
その為、すぐに反応をすることができなかった。
「チッ、わざとらしい真似をしてんじゃねェよ。気持ちが悪い奴だなァ」
イクシードは舌打ちをする。
「私は――」
「“血の繋がりだけが家族の証だとは思わない”だろ?」
「――えっ。なんで、私の言いたいことが分かったの!?」
ガーナの声に被せるようにイクシードは言い放った。
イクシードの目の色が深い青色に変わる。
「“兄さんはなんでもわかるのね”、か。マジで気持ち悪い発想をしやがるなァ」
今度はガーナが言おうとした言葉を言い当てた。
「会話の必要はねェな」
そう言い切って笑った。
自分から距離を取ったことを忘れたかのように、ガーナの元に大股で向かう。ガーナを見下ろすように立ち、無遠慮にガーナの頭を右手で掴んだ。
「“ガーナ・ヴァーケルは予言を告げられる”」
それは予言だ。
「“ガーナ・ヴァーケルは予言を回避できない”」
回避する方法が存在しない予言。
千年前に選ばれた七人の英雄としての特殊能力。かつては未来を予知だけだった力は長い年月をかけて変化し続けていた。
「“ガーナ・ヴァーケルは予言から逃げられない”」
条件を満たすことにより、イクシードは相手の行動を予言することができる。
魔力を乗せた言葉を口にすることにより、【物語の台本】に記されていない予言を新たに生み出し、人々はそれ通りに振る舞うことが強制される。
「“ガーナ・ヴァーケルは、体内に【幻想の指輪】を取り込む”」
イクシードの手がガーナの頭頂部から離れた。
拳を握りしめ、五秒ほどしてから手を開く。イクシードの掌の中には【幻想の指輪】があった。
「い、いやっ、兄さん、やめて」
ガーナはなにかを察したのだろう。
拒絶をするように首を左右に振るう。身体が拒絶を示すように震えてしまう。それなのにもかかわらず、ガーナの右腕はイクシードの掌の中にある【幻想の指輪】に向かって伸ばされる。
「やめて! ねえ! 兄さん!! 止めてよ!!」
ガーナの右腕が操られているかのようだった。
感覚はある。意識もある。それなのに拒絶をするガーナの心身に従わない。
「や、やだ、やだよっ!!」
【幻想の指輪】を掴む。
そして、そのまま、ガーナは自分自身の口元に指輪を運ぶ。拒絶する為に、口を閉じようとするのが上手くいかない。
食べ物を食べるかのように【幻想の指輪】を口の中に入れ、飲み込んだ。
金属に似た違和感があった。それなのにもかかわらず、喉に引っかかることもなく、【幻想の指輪】はガーナの体内に取り込まれていった。
「うっ」
反射的に吐き出そうとする。
吐き出してしまいたいと思う心に反するかのように身体は動かない。吐き戻すこともできない。
「“ガーナ・ヴァーケルは予言を告げられる”」
イクシードはガーナが苦しんでいる姿が見えていないのだろうか。
そうとしか思えないような淡々とした声で言葉を続ける。
「“【幻想の指輪】を取り込んだことを忘れる”」
ガーナの動きが止まった。
「“周囲の影響を強く受けるようになる”」
それは呪いのような予言だった。
「“ガーナ・ヴァーケルは革命を望む”」
イクシードは笑った。
それから、ガーナから視線を外し、見上げる。
「夢は終わりだァ。ガーナ。今度は現実で会おうなァ」
【幻想の指輪】により構築された箱庭が崩れた。