08-1.真実は夢の中に隠されている
* * *
「いつまで寝ていらっしゃるのかしら」
その声でガーナの目が開かれた。
視界を埋め尽くす花畑。鳥の声が聞こえるが姿は見えない。
その中央にある豪華な飾りが施された椅子に腰を掛け、優雅に紅茶を飲んでいた女性に声をかけられたことに気付き、ガーナは何度も瞬きをする。
……誰?
心当たりがなかった。
花畑に埋もれるように倒れていた身体を起こす。痛いところはない。
違和感すらもなく、不自由なところはなかった。
「久しいわね、マリー。何世紀ぶりの再会になるかしら?」
女性はガーナの方を見なかった。
ただ紅茶を飲み、並べられている豪華な菓子に手を伸ばす。その何気ない動作ですらも気怠そうに見えるのはなぜだろうか。
「ふふ、そんな顔をしないでちょうだい。少しだけ意地の悪いことを言ってみたかったの。貴女がマリーではないことは知っているわ」
女性の向かい側に椅子が現れる。
魔法を使った素振りはなかった。延々と補充され続ける菓子や飲み物。しかし、運んでくる人の姿はなく、ここには女性だけが取り残されているようだった。
「こちらにいらっしゃい。お嬢さん。わたくしのお喋り相手をしてくださるのでしょう?」
ガーナは不信感を隠さなかった。
しかし、反抗をする気持ちにもならない。
「私、貴女のことを知らないわ」
用意された椅子に座る。
無作法な振る舞いを気にしていないのだろうか。時代遅れの華やかなドレスを身に纏う女性は優しく微笑んだ。
「えぇ、そうでしょうね。わたくしは歴史に名を残しておりませんもの」
「……また聖女様関係なの?」
「どうかしら。わたくし、マリーとはそれほどに親しい関係ではありませんもの。あの礼儀知らずの子はわたくしを姉様と慕ってくださりましたけど、わたくし、それを一度も受け入れたことはありませんでしたわ」
「へえ、そう。意外と聖女様って嫌われていたの?」
「あら、どうしてそう思いますの?」
「だって、貴女、聖女様のことを嫌いで仕方がなかったって顔をしていたもの」
ガーナの言葉に対し、女性は口元を隠して静かに笑った。
その仕草ですらも古いものだった。
……シャーロットと話しているみたい。
確信はなかったが、おそらく、目の前の女性はシャーロットと同世代なのだろう。
嫌味を隠そうともしない言葉には心当たりがある。
他人を見下す仕草もよく似ていた。
「ねぇ、貴女は誰なの?」
ガーナの問いかけに対し、女性はゆっくりと菓子を咀嚼していた。
「私はここにいるつもりはないの」
応えるつもりがないのだろうか。
「出る方法を知っているなら教えてほしいんだけど」
「もう出て行ってしまうの? せっかちな方なのねぇ」
「私も忙しいのよ。親友たちに心配もかけたくないの」
「まあ、そうなの」
女性はゆっくりと口角を上げる。
「それは残念だわ」
鳥たちの声が遠ざかっていく。
咲き誇っていた花々は自然ではありえない宝石のような色に変わっていく。
「ご友人たちを大切になさっているのは幸せなことね」
ここが現実ではないのだと知らしめるかのように風景が変わっていった。
「それならば、早くここから出ていきなさい。大切な方々を悲しませたくはないのでしょう?」
女性は空になったティーカップを指で撫ぜる。
ティーカップは紫色に変わり、それは短剣の姿に変わった。
「この短剣でわたくしを刺し殺してちょうだい」
「は? なにを言ってるのよ」
「お嬢さんの問いかけに応えただけよ」
「どうして私が貴女を殺さなきゃいけないの? 他の方法だってあるんでしょ?」
ガーナは眉を潜めた。
例え、ここが夢の中だとしても他人を手にかけることはしたくなかった。
「まあ、素敵。まるでお砂糖のような思考回路をしていらっしゃるのね」
女性は短剣に触れる。
「抵抗があるのならば言い回しを変えましょうか? わたくしをこの箱庭から連れ出してくださらない?」
ゆっくりと短剣を撫ぜる手は動物を慈しむかのようだった。
「名前も知らない人のお願い事を叶えるつもりはないのかしら」
「……そうね。名前くらいは教えてほしいわ」
「下手な嘘はお止めになって」
「嘘じゃないわよ。ここから出たいのも本当だけど。でも、貴女の名前を何回も問いかけているのも本当だもの」
「そうね、先ほどから何度も問いかけてくださるもの」
女性は短剣をガーナに差し出す。
それを受取ろうとしないガーナに対し、なにを思っているのだろうか。
「わたくしはティアラ・セレーヌ・レイチェル。偉大なる神聖ライドローズ帝国第四代皇帝陛下の第一后妃と名乗ればおわかりになるかしら?」
「……レイチェル王家なんて九百年以上も昔に滅びたわよ」
「そうでしょうね。今も残っているとは思っていないわ」
「それなら、どうして誇らしげに名乗るの? 教科書にも載っていないわよ」
差し出された短剣を受け取らないと言わんばかりに両腕を組む。
それに対し、女性、ティアラは短剣を手渡しするのは諦めると言わんばかりの大げさな表情を作ってから机の上に置いた。
「わたくしには、それしか誇るものはありませんもの」
それからゆっくりと姿勢を戻す。
「家族も、友人も、愛した人も、伴侶も、子どもすらも手放してしまいましたわ」
ティアラは懐かしそうに語りだした。
「わたくしの生きた証の一つも残せないまま、皇帝陛下の命じられたままに最期の時を過ごし、気づけば千年近くもの間をこの箱庭で過ごしてきましたわ」
それは生き地獄のような日々だっただろう。
時の流れもわからないような空間に一人だけ取り残される日々は恐ろしいものだっただろう。
「わたくしが誇れるのは偉大なる皇帝陛下の妻だったということだけですわ。それすらも望んで手に入れたものではなく、苦痛に満ちた日々でしたが、箱庭に閉じ込められることを思えば幸せだったのでしょう」
初めて出会ったガーナに殺してほしいと頼んだのは、この箱庭のような空間から抜け出す唯一の機会だったからなのかもしれない。
「シャーロットの友人が招かれたのも、なにかの縁でしょう」
「やっぱし、これもあのバカが関わっているの?」
「どうかしら。わたくしのことなんて忘れていると思うわ。あの子は昔から変わっていたもの」
ティアラはゆっくりと菓子に手を伸ばす。