07-4.それは聖女の仕掛けた罠だった
「は、ははははははっ!!」
ロヴィーノは腹を抱えて笑い出す。
可笑しくて仕方がないと言わんばかりの大笑いを否定することもなく、イザトは真っすぐな視線をロヴィーノに向けていた。
「あははははっ!! ははっ、ははははっ!!」
今にも転げまわりそうな勢いだった。
「あぁ、最高だぜ、坊ちゃん」
ロヴィーノは向けられている杖の先端を握りしめる。
魔力を杖に流してしまえば、暴発を引き起こすことを知っているだろう。
「それだけの言葉で始祖を従えることができるとでも思ったのかい?」
笑いを堪えきれない余裕の表情だった。
「不正解だ、坊ちゃん。俺様たちを従えたいなら心の声に耳を傾けろ」
杖を奪い取る。
そして、奪い取った杖を点検するかのように隅々まで目を向けていく。
「こんな棒切れを頼りに俺様を呼び出せたのは褒めてやろう。良い子だ、坊ちゃん。そのまま欲望のままに振る舞えば文句の付け所がなかったのに。良い子ちゃんには厳しかったか?」
杖を投げ捨てた。
「まあ、いい。俺様を呼び出せた褒美はくれてやろう」
道化師のように表情が変わる。
今度は心の底から同情すると言わんばかりの表情になった。
「願いはなんだ? 言ってみろよ」
ロヴィーノは寛大さを表現するかのように両手を広げた。
まるで古い物語に出てくる魔法使いのような振る舞いだった。
「……【幻想の指輪】の再封印と解呪をして」
イザトはそれに対してなにも触れない。
ただ用件だけを告げるのが正しい対処方法だと知っているのだろう。
「んん? 【幻想の指輪】だって?」
ロヴィーノはまるで初耳だと言わんばかりに首を傾げた。
……白々しい。
【幻想の指輪】がガーナの手に渡ってしまったことは偶然ではない。
……確信犯の癖に。
悪意のある人物によって引き起こされたのだ。
ロヴィーノはそれを知っているからこそ、イザトの声に応えたのだろう。
「なんだって、そんなものが魔法学園にあるんだい?」
舞台を演じているかのような声だった。
そのまま踊りだしそうな声に対し、イザトは眉を潜めた。
「困ったなぁ、坊ちゃん。困るんだよ、困る。そういうものを簡単に持ち出すような犯罪者を庇っちゃいけないよ」
ロヴィーノの視界には眠りに落ちているガーナが入り込んでいる。
「彼女が持ち出したわけじゃない。彼女は被害者だ」
「被害者? あぁ、確かに。【幻想の指輪】の毒の被害にあっている」
大きな一歩を踏み出す。
それから散歩をするかのような優雅な足取りでゆっくりとガーナのいるところに向かおうとする。
「ロヴィーノ・レテオ! それ以上、彼女に近づくのは許さない」
両手を広げ、ロヴィーノの目の前に立ち塞がる。
それに対し、ロヴィーノは困ったように首を傾げた。
「なぜ? なぜだい、坊ちゃん。始祖の歩む道を邪魔するのは重罪だって習わなかったのかな?」
苛立った素振りはない。
純粋に疑問を抱いているようにも見えない。
「彼女は立派な犯罪者だ」
ロヴィーノの言葉に対し、ライラは不快感を示した。
非難の声をあげないのはガーナを守る為だろう。
「【幻想の指輪】は心のない者に盗まれた。俺様たちは一昨日から行方知らずとなった国宝を寝る間もなく探していた。それが、まさか、坊ちゃんのご友人の手元にあっただなんて!!」
ロヴィーノはイザトの目の前で足を止める。
「なあ、坊ちゃん」
口先が裂けてしまうのではないかと思うほどに歪んだ。
「ご友人を犯罪者にしたくないんだろう?」
……目的がわからない。
ロヴィーノは始祖の一人だ。
眠りに落ちているガーナが聖女の転生者として持ち上げられていることを知らないはずがない。
……ヴァーケルさんを傷つける必要はないはずなのに。
与えられている情報だけでは足りない。
意図的に隠されている真実を探し出さなければいけない。
……国宝を誰が与えたんだ?
ロヴィーノは盗まれたと口にしていたが、それは嘘だろう。
軍に所属をしている者の中でも限られた人しか知らない国宝の一つだ。
呪われた力を秘めている【幻想の指輪】は厳重管理下にあるということは、イザトも聞かされていた。
……違う。国宝の貸し与えができる人物なんて限られているじゃないか。
考える時間は限られている。
ロヴィーノも悠長に待っていてはくれない。
「彼女はマリー・ヤヌットの転生者だよ」
それはガーナが聞けば血相を変えて否定するだろう。
「記憶はなくても、力はなくても、聖女の資質はあることには変わりはないんじゃないのかな」
それは心から思っている言葉だった。
「だから、彼女を犯罪者にするのは帝国の在り方を否定するのと同じだよ」
イザトはガーナの言葉に勇気をもらった。
生きたいと口にすることはまだ出来ていないが、運命に大人しく従うだけの人生は違うのではないかという疑問を抱きつつある。
それはイザトの運命を大きく変えてしまう言葉だった。
「誰かが聖女を貶めようとしている。これは帝国の危機に繋がることだ」
言葉遣いが乱れていく。
心の声に従い、周囲の状況に合わせることなく、そのまま声に出す。
それをするだけなのに、なぜ、これほどにも胸が苦しくなるのだろうか。
「帝国の危機は、避けなくてはならない」
……なんだろう。
帝国が滅びの道を歩もうとも興味がないはずだった。
……変な気分だ。
胸が痛い。頭が痛い。
身体中を弄られているかのような不快感を覚える。
……ヴァーケルさんが言っていたのは、こんな感じなのかな。
逃げ出してしまいたくなるのに身体が動かない。
吐き出してしまいたくなるのに、口から飛び出すのは威圧的な言葉ばかりだ。
「危機を払い除けるのは始祖の役目だ」
帝国について語る自分自身の声は堂々としたものだった。
「ジャネットに伝えろ。“レイチェル家”はガーナ・ヴァーケルを聖女として認めた。ただちに賛同し、自らの役目に従事しろ」
そう言い切ると、イザトは足の力が抜けたかのように座り込んでしまった。
呼吸が乱れている。顔色も悪く、今にでも意識を手放しそうだ。
……違う。僕じゃない。
先ほどの言葉は他人の声がしていた。
イザトの身体が発せられたとは思えない威圧的な声と口調だった。
……今のは、僕じゃない。
それを自覚すると身体の震えが止まらなくなった。
「その言葉をお忘れなきように」
座り込んだイザトの髪に触れる手は優しかった。
「おやすみなさいませ、我らが主よ」
その言葉と共にイザトの身体を支配しようとしていた不快感が消えた。
しかし、脱力感が酷い。
動かなくてはいけないと頭の中では理解をしているのだが、身体を動かすことができなかった。
「【幻想の指輪】は回収した。……それと解呪だったな? 得意な奴を呼んでやろう。ジューリア公爵家の小僧。お前は坊ちゃんを運べ。丁重に抱き上げろよ」
ロヴィーノは伸びをする。
「アクアライン王国の第二王女殿下か」
今になってようやくライラの存在に気付いたのだろう。
「第二王女殿下はヴァーケルの娘を運べ。そして、俺様についてこい」
ロヴィーノは怠そうに命令を下し、歩き始めた。
リンもライラも、ロヴィーノに対し不信感を抱いていたものの、今にも気絶をしそうなイザトと夢の中にいるガーナを救い出す方法は彼に従うことだけだとわかっているのだろう。
文句の一つも言わず、大人しく従っていた。
その目は露骨なまでに冷たいものだった。