07-3.それは聖女の仕掛けた罠だった
「わぁ、意外と種類があるね」
イザトは感心したかのような声をあげた。
「ミュースティさん。それをこの中に投げ入れてくれるかな?」
「お任せくださいませ」
「頼りになるね。さすが、ヴァーケルさんの親友だよ」
「ええ、ガーナちゃんの親友ですもの。私はガーナちゃんの為ならば、なんだってしてみますわ」
イザトの言葉に応えるようにライラは杖の先端をゆっくりと下ろしていく。
次から次に実体化していく水を纏った武器たちは渦の中に吸い込まれていく。
底に辿り着く前に消えてしまっているものもあるだろうが、一部は確実に渦の先に繋がっている空間に辿り着いている。
渦の中から金属音が響き、驚いたような声が聞こえた。
「これは、ヴァーケルさんを助ける為だよ。だから、二人とも、今日の出来事は誰にも言わないって約束してくれないかな」
それに対し、イザトは覚悟を決めたかのような表情を浮かべた。
「なにも聞かなかったことにしてほしいんだ」
……きっと、できないだろうけど。
ガーナの為ならば、戸惑うこともなく、魔法で作り出した武器を投げ入れるライラは納得をしたふりをするだろう。
リンは受け入れられないと拒否をするかもしれない。
それを理解した上での言葉だった。
「時間がないんだ」
両手が塞がっている為、汗を拭うこともできない。
「【幻想の指輪】を元の場所に戻さないといけない。そうしないと、ヴァーケルさんを助けられないんだ」
慣れていない魔法を維持する為の魔力の消費量は多い。一度、途切れてしまえば、しばらくは発動することができない。
「お願いだよ。今日のことは誰にも言わないと約束してほしい」
そうすれば、ガーナを救う術は途切れてしまう。
「アクアライン王国の名に誓ってお約束をいたしますわ。今日のことは決して誰にも明かさず、触れることもしないとお約束いたしましょう」
ライラは迷うことはなかった。
しかし、その表情は硬い。
「わかった、約束する。誰に言わない」
続けてリンも返事をした。
それを聞き届け、イザトは視線を渦に向ける。
「【空間転移魔方陣】」
渦の中央に魔方陣が広がる。
それは何重にも表れ、次から次へと姿を変えていく。
「ロヴィーノ・レテオ」
イザトが口にした名は始祖のものだった。
“暴食の厄病神”の二つ名を与えられた始祖は争いごとを好まない。
「僕の声が聞こえているね」
ロヴィーノは、七人の始祖の中では穏やかな気質をしている。
しかし、仲間以外には興味も抱かない。
「二つ名を取り上げられなくないのなら、僕の元に来て」
穏やかな口調で告げられる命令に対し、渦は大きく歪んだ。
「名無しになりたくないならね」
渦の中から両手が飛び出した。
その手は床を掴み、這いあがってくる。数秒かけて渦の中から這い出たのは二十代半ばの青年、ロヴィーノ・レテオだった。
「坊ちゃん」
ロヴィーノの眼は閉じられたままだ。
それでも、この状況を理解しているのだろう。
「【空間転移魔方陣】なんて物騒な魔術を誰に教わったのかな?」
首を傾げる幼い動作すらも圧を感じる。
「誰にも教わっていないけど?」
イザトは杖を右手に握りなおした。
それから迷うことなくロヴィーノの首元に先端を向ける。
「手段を選ばなかっただけのことだよ」
「そうかい、そうかい。それで? 坊ちゃん、杖なんてお飾りを手にして俺様を脅そうとでも言うのかい?」
「うん。そうだね、要求に応えてくれなら、その首を吹き飛ばそうかと思っているよ」
「ははは! そりゃあ面白い!」
ロヴィーノの両手を叩いて大笑いをする。
それだけで足元に広がっていた【空間転移魔方陣】は強制的に閉じられた。
「やってみろよ、坊ちゃん」
閉じられていた両目が開けられた。
「始祖の俺様に傷を与えてみろ。そうすりゃあ、明日には坊ちゃんの死刑が執行される」
その言葉を聞き捨てならないと言わんばかりにライラが一歩前に出たが、イザトが視線を向けて制止させる。
「挑発には乗らないよ」
杖の先端はロヴィーノに向けられたままだ。
「僕はお前には負けない」
一歩、前に出る。
「レテオ家は僕を傷つけられない」
余裕のある表情だった。
覚悟を決めたような眼をしている。
「お前はなにも言わずに僕の要求を呑むんだ」
杖の先端をロヴィーノの首元に当てる。
「僕に従え。ロヴィーノ・レテオ」
それは声変りをしていないイザトから発せられたものとは思えないような冷淡な声だった。
イザトの目には光がない。
現実逃避をすることを諦めてしまったかのような顔をしていた。
「なぜ?」
ロヴィーノは今にも笑い出してしまいそうな声だった。
「なぜ、坊ちゃんに従わなくてはいけない?」
次の言葉を待っていると言いたげな表情だ。
……全部、わかっている。
これは何者かの掌で踊らされているのだろう。
【幻想の指輪】を学園に持ち込んだ犯人の企みに乗せられている。
利用されているだけだとわかっていながらも、自分自身を守る為の行動をとるわけにはいかなかった。
……わかっているから、問いかけられているんだ。
ロヴィーノが召喚に応じたことも全て仕組まれていたのだろう。
「始祖は僕に従うべきだからだよ」
イザトは覚悟を決めていた。
一か月前、ガーナと二人で会話をした時には諦めていたことだった。
「僕はレイチェル家の子孫だから。始祖を従える資格があるはずだよ」
死ぬことを受け入れていた。生きる希望を捨てていた。
与えられた運命に抗うことを考えていなかった。
「それだけでロヴィーノが従うのには十分じゃないのかな?」
そんなイザトが変わったのは、ガーナの言葉によるものだったのだろう。