04-3.記憶のない転生者は矛盾に苦しむ
……前もこんなことがあった気がする。
それは記憶にはない思い出だ。
それを手にすることを誰も望んでいない。
「やめろよ。泣くんじゃねえよ」
レインの頬から手を離す。
それから数歩下がる。
「泣かせたいわけじゃねえのに」
ありえない記憶を拒絶するかのようにレインから目を反らした。
「辛い思いをさせたいわけじゃねえのに」
リンは前世に囚われることを拒絶するだろう。
僅かな変化に対して過敏に反応をするのは、心の奥底に秘めている前世の記憶が拒絶をしているからだ。
「どうして――」
「もう充分です」
「――なにもしてやれてねえだろ!」
「俺が充分だと言えばそれで終わりです。そういうことにしてしまえば、良いだけの話でしょう」
「そういうわけにはいかねえよ! 泣き顔を見たくはねえんだよ!!」
リンの表情は恐怖と絶望が入り交ざっている。
必死に抗っているのだろう。ありえない記憶を望んでしまわないように抗う姿は痛々しいものだった。
「俺だって同じですよ。貴方を苦しめたいわけではないんです」
レインは頬を伝った涙を拭い、ぎこちない笑みを浮かべる。
「先に戻っています。シャーロットと喧嘩はしないでくださいね」
背を向け、早足で立ち去る。
リンはレインの腕を掴もうと手を伸ばしたが、その手はなにも掴むことなく、力なく降ろされた。走り去っていくレインの背中を見る目は辛そうだった。
「……あの子は大人びているところがあるだろう」
無力な自分自身を嘆くかのような表情を浮かべていたリンに対し、シャーロットは懐かしそうに口を開いた。
「心配になるのはお前だけではない。私もあの子の優しさを心配している。大人びた顔をする時には恐怖を抱く。また、あの子を失ってしまうのではないかと思うと怖くて仕方がないのだよ」
「失いたくねえなら守れよ」
「それは私のするべきことではないだろう」
「違う。シャーロットがすることだろ。お前だけができることだ」
「私に期待をしてくれるのかい? それは有り難いが、止めておけ。私は期待に応えられるような実力者ではない」
「嘘だろ。お前よりも強い奴なんて知らねえんだよ」
リンは拳を強く握りしめる。
……感情的になったらダメだ。
自分自身に言い聞かせる。
それは走り去っていったレインの願いを叶える為だった。
「強いだけでは守れないものだってある」
「それならレインの手を離せ。彼奴を利用しようとするんじゃねえよ。危険な場所から遠ざけることくらいはできるだろ」
「それを望むような子ではないのは知っているだろう?」
「知ってるから言ってんだよ。俺が言っても聞かねえなら、お前から言ってくれよ。望みを叶えるより、生き残ることを優先するべきだ」
リンの言葉に対し、シャーロットは大げさに頷いた。
わざとらしい仕草に対して懐かしさを覚える。
「それも一理ある。だが、あの子は全てを見捨ててまで生き残る道を選ぶような子ではない」
シャーロットの髪が風で揺れる。
そのまま、風に吹かれて消えてしまいそうだった。
「私も遠ざけようとした。だが、意味がなかった。あの子は自分で考え、最善策を探り、それを実行するだけの力を持っている」
目の前にいるのは都合の良い幻覚ではないだろうか。
リンは頭を過った考えを否定するように、自身の掌に爪を食い込ませる。余計なことを考えようとする心を阻害するような痛みを与える方法はそれしかなかった。
「あの子はあの子らしく生きる道を選んだ。それを邪魔するのは私たちがするべき行動ではないだろう」
それは双子の片割れに対する評価ではない。
リンもそれを察していた。
「……俺は、シャーロットのことが嫌いだ」
視線を逸らしたくなるのを堪え、シャーロットを見る。
「理解できねえことばかり言いやがるのも、妙に悟ったような態度をしやがるのも、全部、全部、嫌いだ」
驚いたような表情を浮かべることさえしないシャーロットがなにを考えているのか、リンにはわからなかった。
「お前が諦めるなら、俺は絶対に諦めねえ。レインが抗うことを止めたなら、俺は意地でも抗ってやる。他に方法があるはずだって何度も言ってやる。無駄だってわかっていても、探し続けて、他の方法を見つけて見せる」
その顔を見たくないと訴える心の声を無視する。
血が滲んだ掌をゆっくりと開いた。
「邪魔はさせねえ。俺は俺のやり方で、二人を守ってみせる」
リンは言いながらも、眼を反らした。
これ以上は、シャーロットを見つめていることが出来なかった。
……説得力がねえことはわかってる。
大した反応も見せずに、シャーロットは口元を緩めて笑み浮かべていた。
その異常な光景を望んでいたわけでは無いのだと、心の奥底から訴えて来る感情に従うことは出来なかった。
……俺だって、俺のことがわからねえ。
心の声に従ってしまえば、自分自身も変わってしまうような気がした。
それだけは、恐ろしかった。
周りの変化に置いていかれることを拒みつつ、自身の変化を受け入れるわけにはいかなかった。
……でも、この気持ちだけは本物だ。
もしも、受け入れてしまえば、二度と平穏な日々には戻れないだろう。
幼い頃から、他人と自分の関係性に対しては敏感だった。特に、自分自身の変化により、他人の眼が変わることには異常なまでの拒絶感を抱いていた。
……俺を見る目が変わるのは、あの時だけで充分だ。
幼少期には魔法が使えていたのだと、両親や兄に何度も言われ続けて来た。
魔力を失ったのと引き換えに、生きることが出来たのだと言い聞かされてきた。
その体質を誇りに思えと何度も言い聞かせる両親や兄の眼は、リンを見ているわけではないのだと幼いながらに感じ取っていた。
「だから、二度と、お前を好きにならねえよ」
声が震えてしまう。
手を取り合う未来を想像したことがある。ガーナたちと過ごす日々の中にシャーロットとレインが一緒にいたのならば、どれほどに楽しいだろうかと想像したことは一度や二度ではない。
「二度とお前には奪わせない」
十年前、シャーロットが公爵邸を立ち去った日から夢を見続けてきた。
ただの夢だと切り捨てしまうことができない優しい夢だった。シャーロットもレインも、サニィも笑っている日々だった。
繰り返される夢の中は幸せが詰まっていた。
目が覚める度に叶うことのない夢なのだと自覚するのは苦痛でしかなかった。
その夢の正体を探ろうとはしなかった。変化を恐れたリンは、夢は願望が変化したものだと自身に言い聞かせて、深入りをしようとはしなかった。
「そうか。それは良い選択だ」
シャーロットは優しく微笑んだ。
その言葉を待っていたかのようにも見えたのは気のせいだろうか。
「貴様は、貴様の好きなように生きよ」
寮とは反対側に歩みを進める。
「私は始祖として、その生き様を見届けよう」
リンと距離を縮めるかのように歩き始めた。
反射的に数歩下がったリンには目を向けることもなく、そのまま、校舎に向かって歩いていった。




