02-1.夢の中の二人はいつも笑っていた
* * *
それは違和感のある夢だった。
ガーナは地面に足をついていることを確認する。両腕を上げたり下ろしたり、片足ずつ動かしてみたり、何度も飛び跳ねてみる。地面に触れた感触はないのにもかかわらず、ガーナの意思が反映されている夢は初めてだった。
周囲を見渡すと見慣れた風景が現れた。
ガーナが生まれ育った故郷、フリークス領ヴァーケル村。
数週間前に帰ったはずの故郷の景色は懐かしいとすら感じてしまう。
魔法学園に通う前は毎日のように走り回っていた手入れのされていない道を歩く。慣れた足取りで歩いていく。見知った人の姿はなく、季節ごとに植えられている野菜の元気もない。
「――誰?」
どこから現れたのだろうか。
ガーナの目の前には黒髪の女性が立っている。
顔ははっきりと見えない。背はガーナと同じくらいはあるだろうか。腰まで伸ばされた真っすぐな黒髪が美しい幻想的な雰囲気を持つ女性だった。
「誰なの?」
夢の中で問いかける意味はない。
それでも、ガーナは女性に近づこうとする。
「どうして泣いているの?」
女性に触れようと腕を伸ばしたが、届かない。
距離を縮めようと足を動かそうとするが、動かない。
「ねえ、どうして、辛そうなの?」
なぜだろうか。
ガーナは目の前にいる女性が泣いているように思えて仕方がなかった。
「私でもいいなら、話を聞くよ!」
声が届いていないのならば、大きな声を出せばいい。
「貴女は一人じゃないから! だから、一人で泣かないで!」
手が届かなくとも、両腕を伸ばす。ガーナから触れられないのならば、その手を取ってもらえるように促せばいい。
「 」
女性の口が動いた。声は聞こえない。
「 」
女性の頬に涙が流れる。
ガーナの言葉が届いたのだろうか。
「待って!!」
悲しそうな顔をする女性の腕を掴もうと必死に手を伸ばす。
「行かないで!!」
辛そうな表情を浮かべる成人女性の知り合いはいない。
「リカ!!」
思わず、同い年の友人の名を叫んだ。
黒髪以外の共通点はないはずの女性の眼からは大粒の涙が流れ落ちた。
ガーナの声に応えようと手を動かした女性の足元には大きな穴が開く。底が見えない大きな穴の中に女性は引きずり込まれ、抵抗をしようとする女性の身体には巨大な鎖が絡みつく。
「待って! 今、助けるから!!」
ガーナは女性を助け出そうと身体を動かそうとする。
先ほどまでの自由はない。ガーナは地面に縫い付けられたように動けない。足掻いている間にも女性の身体は穴の中に引きずり込まれていく。
「 」
また女性の口が動いた。声は聞こえない。
相変わらず、女性の頬は涙で濡れている。
「そんなことを言わないで!!」
なにを言ったのか、ガーナの耳には聞こえなかったはずだ。
それなのにもかかわらず、ガーナには女性の気持ちが伝わってしまった。
「“もう、いいよ”なんて言わないで! 諦めないで!!」
ガーナの目には大粒の涙が溜まる。
「私が絶対に助けて見せるから!!」
それは根拠のない叫びだ。
それでも、ガーナは引きずり込まれていく女性を励ますように叫んだ。
「泣くほど辛いなら、私が、助けて見せるから!」
身体が軽くなる。
縫い付けられたように動かなかったはずの身体が動くようになり、ガーナは迷わず、穴の中に引きずり込まれていく女性の腕を掴んだ。
「もう、大丈夫よ。私が一緒にいるんだからね!!」
ガーナも一緒に穴の中に引きずり込まれそうになるが、それでも、離さないと言いたげな表情を浮かべる。
それに対し、女性は涙を流した。
それから静かに首を横に振った。
ガーナの身体は宙を浮き、離さないようにと必死に掴んだ腕の自由を奪われ、手を離してしまう。宙に浮かびながらも必死に助けようと手を伸ばす姿を見届けた女性の目は閉じられ、穴の中に消えていった。
* * *
景色が変わった。
いつもの夢だ。一か月間、毎日のように見せ続けられている聖女の記憶だ。
「――ねぇ、シャーロット。貴女の夢って何だったかしら」
灰色の髪をした女性、マリーは問いかけた。
転生を繰り返していく始祖たちの中でマリーだけは毎回のように異なる色素を持っていた。聖女に選ばれた時の面影のない色だ。
マリーはその色のことが嫌いだった。
つまらなそうな顔をして書類を見つめているシャーロットから返事はない。
シャーロットは、マリーとは異なり、いつの時代も血のようだと揶揄される紅色の髪と眼をしていた。その身にフリークス公爵家の血が流れていなくとも、魂は変わらないと訴え続けるかのような色だ。
「夢――。いえ、理想と言うべきかしら。手が届きそうなところにあるのに、決して、届かないその先にある話よ。私たちにもあったはずなのに。忘れてしまったの。ねえ、シャーロットは覚えているかしら?」
始祖は不老不死の存在であり、帝国を守る為に神から遣わされた存在なのだと、いつしか広まった噂に便乗するように君臨し続ける。
誰もが恐れ、指摘をしようとしない罪は膨張する。
膨れ上がれ、いつか訪れてしまうであろう断罪の時を待つかのように君臨し続ける始祖たちは退屈な日々を過ごしている。
「私ね、夢みたいな願い事だって笑っていたのは覚えているのよ。でもね、その内容がどうしても思い出せないの」
マリーは机に置いてある書類に目線を落とす。
戦争好きの皇帝を讃えるような文章ばかりが並んでいる書類は、マリーの心に影を落としていくだけだった。
「ほら。昔、話してくれたでしょう? 覚えてないかしら」
「幼子の語る絵空事のようなものだっただろう」
「そうだったかしら。私、とても、素敵な夢だって絶賛していた覚えがあるわ。だから、きっと、それはシャーロットの記憶違いね」
「貴様の記憶違いであろう。仕事の邪魔をするのならば、早々に立ち去れ」
「良いじゃないの。暇なのよ、私」
「暇なのは今だけだ。せっかくの休暇を楽しんでおくべきではないか?」
読んでいた書類を机の上に投げる。
数時間に渡り、同じ姿勢を保っていた為だろうか。伸びをしたのと同時に、身体の節々が音を立てた。その音を聞いて、マリーは仕事のし過ぎだと笑った。




