01-2.聖女は二人もいらない
「聖女は二人もいらねえんだよ」
イクシードはリカと視線を合わせるかのように屈んだ。
「戻るつもりがねえなら、帝国の邪魔だ。さっさと死んでくれねえか」
それから短剣を差し出す。
それで自分自身の首を切り落とせと促すのは兄を自称する人の言葉ではないだろう。平然と死を促すイクシードに対し、リカは怯えた表情を向ける。そして、短剣を払い除けた。
「や、やだ、死にたくないよ」
何度も死を体験した。
苦痛な思いをしながら命を落としてきた。
「わたし、死にたくない」
それでも、許されることはない。
ライドローズ帝国の始祖の一人として表舞台に引きずり出されるのは苦痛でしかなかった。千年前、予言をされた七人の英雄ではなく、偶然、巻き込まれてしまっただけのどこにでもいる村娘には耐えられない日々だった。
それでも、千年近くの日々を耐え抜いてきた。
心が壊れてしまう度に命を落とした。そして新しい身体を与えられ、再び、帝国の始祖の一人として表舞台に立たされる。聖女として多くの人々の死を見送り、戦地に送り込み、誰も救えない日々に絶望をする毎日だった。
……怖いよ。
助けを乞うことも許されない。
自らの意思で命を絶つこともできない。
……わたしには、できないよ。
「死にたくねえなら殺せ」
「……で、できないよ、そんなこと」
「出来ねえなら死んじまえよ」
「や、やだ、死にたくないよ」
「チッ。めんどくせえなァ。幼児返りでもしてんのかァ? 堂々とした聖女気取りの姿はどこに捨ててきやがった。駄々を捏ねるようなクソガキを相手にしてやるほど優しくねえのは知ってんだろォ?」
イクシードの言葉に対し、リカは口を閉じた。
……わかっているよ。でも、わたしにはできないよ。
不意に頭を過ったのはガーナの姿だった。
……ガーナちゃんは怖いけど。でも、わたしのことを友達だって言ってくれた。
百年前、マリーの命と引き換えに実行をした【物語の台本】を改変する為の魔方陣は失敗だったのだろう。それを理解したのは十六年前、リカがこの世に生を受けた時だった。
……わたしは、ガーナちゃんを利用しようって、思ってたのに。
時間を引き延ばすことしかできなかったのだと絶望したことを思い出す。
その絶望を簡単に吹き飛ばしてしまったのはガーナの存在だった。
……友達にならなければよかった。
関わらなければ自分自身の命を守る為に刃を突き付けられただろうか。
……わたしの正義の為に、死んでもらおうと思ったのに。
聖女として得た力の大半を魔方陣に費やしてしまった。
今のリカに残されているのは帝国の聖女として生きた日々の膨大な記憶だけだ。夢という形を通じてガーナに見せ続けている記憶を管理する為だけに使われている魔力の残量は少なく、一般的な魔女にも劣るだろう。
「今すぐ、決断をしろ」
先延ばしにすることは許されなかった。
「ガーナ・ヴァーケルを殺して生きるか」
振り払われた短剣を拾い上げ、今度はリカの手に握らせる。
「この場で自害をして、ガーナ・ヴァーケルを生かすか」
突きつけられた現実を拒絶することは許されない。
リカは握らせられた短剣に視線を落とす。
「今すぐ選べ」
一度では死にきれないだろう。
何度も何度も痛みを味わいながら刺し続け、死に至る出血をするまでは意識を手放すことも出来ない可能性も高い。
それに耐え続けられる自信はなかった。
「わ、わたし、は」
声が震えてしまう。
それをイクシードは情けなく思っていることだろう。
「死にたくない」
選んだ答えを後悔し続けることになるだろう。
「死にたくなんかないよ、お兄様」
リカとして生きた日々を捨てることになるだろう。
それでも、リカは自らの手で死ぬことはできなかった。
「そうかァ。それなら償わねえとなァ」
イクシードはリカの頭を撫ぜた。
まるで正しい選択をしたのだと褒めるかのような行為だったが、リカは怯えてしまっている自分自身を慰めるように唇を嚙み締めた。
「安心しろ。今まで通り、指示は出してやるからなァ」
イクシードはリカの手にあった短剣を受け取り、鞄の中に仕舞う。
「軍に戻るぞ、マリー。シャーロットたちが待っている」
「……はい、お兄様」
「言葉は直さなくていいぞォ? リカ・ナカガワを演じ続けろ」
屈んでいた姿勢を戻したイクシードは歩き始める。
それに従うようにリカも立ち上がり、後ろをついていく。充血をした目を隠すように前髪を手櫛で直し、誰にも見られないようにしていたことにイクシードは気づかなかったのだろう。
……ガーナちゃん。
心の中で問いかける。
……わたしのこと、見捨ててくれないかな。
友人ではないのだと突き放してはくれないだろうか。
そうすれば、リカはイクシードが望む通りの行動をすることができる気がした。罪悪感を抱くことも、同情をすることもなく、帝国の聖女に戻ることができるかもしれない。
……ライラちゃんは怒るかな。
リカのことを庇ってくれる優しい友人を思い出す。
異国の王女とは思えない優しいライラに対して好意を抱いていた。何かと甘えてしまったのはライラに母性を感じていたからなのかもしれない。
「マリー」
「な、なに、お兄様」
「他人に縋るような真似を止めろ」
「……そ、そんなこと、しないよ」
声に漏れていたのだろうか。
リカは思わず、自分自身の口元に手を当てた。
「白々しい嘘を吐くんじゃねえよ。テメェの考えることは単純なんだよォ」
イクシードは振り向かなかった。
歩みを止めることもしない。
「ご、ごめんなさい、お兄様」
リカの言葉に対して慰めの返事はない。
足早に進んでいくイクシードに縋りつくかのように、リカはイクシードの腕に手を伸ばした。そして、それが合図だったかのように二人の姿は闇に飲み込まれ、学園から姿を消した。




