06-1.知っているのに知らない。それは恐れである。
「知らぬとは言わないであろう? 帝国守護神の名を。始祖の名を。帝国が誇る最強の軍隊だ。その名を知らなくては学生などやっていけないだろう」
……もちろん。知っているわ。
身分も性別も関係のない。
必要となるのは魔法とそれを補う武術、そして時と場合によっては人を殺す覚悟。
その三点があれば、最低限の年齢さえ超えれば、誰でも入隊することが出来る。
……だって、兄さんがいるもの。
軍隊の規律は厳しいが入隊をする者にも利益はある。
特に実家を継ぐことができない貴族や平民から成り上がりを狙う野心家の魔法使いや魔女にとっては、そこが厳しい世界だと分かっていても飛び込まなくてはならないのだろう。
魔法学園の授業でも嫌になるほどに聞かされてきた内容だ。
……知りたくなんかないけどね……っ!
兄は始祖である。
だからこそ、始祖に関わる話は嫌になるほどに聞かされて育ってきた。
「ガーナ・ヴァーケル。これは忠告だ。聖女の転生者としての自覚がなくとも関わらないわけにはいかない。帝国で生きていくのならばそれは避けることはできないことだ」
「なによ、それ。そんなのバカみたいな話だと思わないの? 私は私よ。始祖とか聖女とか私には関係がない話だわ!」
「それならばそう思っているといい」
始祖は特別な存在だ。
「私は強制をするつもりはない」
彼らは千年前から続く特殊部隊に所属をすることが義務となっている。
全ては帝国を守る為だ。
その為だけに命を捧げることが当然だとされている。
「ただ事実を告げただけだ。後のことは自分自身で判断をすればいい話だ」
彼らは帝国の為ならばどのようなこともすることが許されている。
魔物討伐、敵国の制圧、密偵行為、民間人の殺害なども帝国の為ならば罪とはならない。
一方的な搾取だったとしても、始祖の行為ならば正しいことだとされてしまうのだ。
「なにが事実を告げただけよ。軍人の言うことなんて命令と一緒じゃないの!」
彼らは特別な存在だからこそ、権力を有している。
各々の思惑があるだろう。
共通点は帝国を護ることだけである。
「兄さんを連れて行った連中がいるところなんて嫌というほどに知っているわよ。シャーロットがその連中だってことも知っていたわ!」
それは、ガーナから兄を取り上げた存在でもあった。
抵抗の一つもしなかった兄の姿を思い出す。兄――、イクシード・ヴァーケルは軍が迎えに来るのを待っていたかのようだった。
「兄さんを苦しめている連中の仲間だっていうことも知っていたわ!」
それでも、ガーナは受け入れられなかった。
人間のことを嫌っているイクシードを連れて行かないでくれと縋りついた幼い頃の自分自身の姿を思い出してしまう。
「どうして知っているのか分からないけど。でも、私は知っているのよ」
彼らが、公開している名は、偽名であるとされている。
本名は帝国の基盤を築き上げた始祖の名である。
そう知られている為、一部では偽名を名乗る意味がないのではないかと言われている。
「私は聖女じゃないわ。それだけは自信をもって言えるもの」
ガーナはわざとらしく胸を揺らしながら言った。
「人違いよ」
その為、始祖の名を使う者もいるのだ。
シャーロットもその一人なのだろう。
冷静に分析にし、現実逃避を図ることすら、限界だった。
「そんなのことも気づかなかったの? お子ちゃまね」
だから、幼い子どもの過ちを指摘するような動作をしながら、否定した。
偽名であろうが本名だろうが、そのようなことは関係ない。
……わからない。
ただ、目の前で口元を歪めるシャーロットは異質だった。
……でも、言えることだけは言っちゃわないといけない気がするのよ。
ガーナの現実逃避のような言葉も、シャーロットの心には届いていないのだろう。
「強制するつもりはないって? それが本当なら最高だわ。でも、どうせ私に話をした時点でそんなの意味がないんじゃないの?」
「さあ、どうだろうな。言葉の取り方にもよるだろう」
「アンタ、少しは隠そうとしたらどうなのよ」
ガーナは呆れたように言ってみせた。
「表情は変わんないのに私のことはバカにしてるんでしょ? アンタたちみたいな特別な存在と一緒にしないでよね。私はどこにでもいる田舎出身の魔女候補生なの。魔法学園の生徒なの。アンタみたいな化け物とは違うのよ」
「ふふ、化け物か。間違ってはいないな」
……少しは表情が変わると思ったのになにも変わらないっ。
口元だけが歪んでいる。
氷のような冷たい眼さえ見なければ、笑っているようにも思えただろう。
ガーナにはそのような器用なことはできなかった。
……そうよ。これは、質の悪い夢なんだわ。そう思うのよ、ガーナ。大丈夫。だって、これは質の悪い夢なの。だって、私はシャーロットのことを知らないのだから! だからしっかりするのよ! がんばるのよ、私!
思い出したかのように震える身体を叱咤する。
簡単に認めてしまうわけにはいかなかった。
知らないはずの知識がガーナの頭の中で弾けていく。どこまで知っていたことなのか、どこまで知らなかったことなのか、区別すらつかない。
……私は私よ。他の誰でもないわ。
それがなにを意味していることなのか。
そのようなことを考える時間もない。
「そういえば、私のことを聖女と言ったわね!」
相手を見下したかのような言葉を口にする。
「つまりは、私のことを聖女様だと崇めていたいという願望でもあるのかしら?」
警戒心を解くことができないのならば、怒らせてしまえばいい。
冷静な判断ができないように煽ってしまえばいい。
「一世紀前に生まれたのならば名誉のことでも、今は願い下げよ! 裏切り聖女は帝国を捨てたのよ!」
自ら声を掛けたと言うことを忘れたかのようだった。
ガーナはスカートのポケットに手を突っ込む。
そして常備している小刀を掴む。
あらかじめ、荷物は自然な流れで地面に置いてある。
「そんなものに私はなりたくなんかないわ! 願い下げよ! ばーか!」
いつでも攻撃を加えられるように魔力を込めた。
攻撃を加えることができるのは一度だけだ。二度目はない。
相手の隙をつく形ではなければ意味がない。
……やるのよ、私。流されてなんかやらないんだから!
ガーナの身になにが起きているのだろうか。
知らない筈の知識が溢れ返っている。
関わりをもったことのないシャーロットとの思い出が頭の中を過る。幼少期に起きた出来事のように思い出せる。
……断ち切らなきゃ。私が、私である為に!
それはガーナの記憶ではない。
明らかに別人の記憶だった。