09-1.物語の裏側には悪役が潜んでいる
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薄暗い墓地に佇む緑色の軍服を着こんだ男性は、名を刻まれた墓に花束を捧げる。何百年も前に建てられた墓に彫られた名前は消えかけている。今となっては墓に眠る彼女の為に墓参りに来るのは男性だけになっていた。
男性の名はクラウス・ローリッヒ。帝国の始祖の一人であり、七百年前からアントワーヌが叶わぬ恋心を寄せ続ける人だった。
「……何用だ」
「妙なことを言うものだな。それは私の台詞ではないか?」
「問い直そう。どの面を下げてきた」
クラウスは、いつの間にか背後に居たシャーロットに声を掛けた。
その声は、地を這うように低く、苛立ちすら感じられるものだ。しかし、声を掛けられたシャーロットは気にした素振りすら見せずに彼の隣に並ぶ。
そして、様々な花で作られた花束を置く。
祈りを捧げるようなことはせず、ただ、過去を懐かしむような表情で墓を見つめていた。
「シャーロット」
クラウスは忌々しいと言わんばかりに名を呼ぶ。
「何十年も墓参りをしなかったお前が何用だ」
「墓参りをする必要性がなかっただけだ。今となっては、このような墓石に意味があるとは思えないのでな」
「……貴様、それでも、母親か」
クラウスの視線はシャーロットに向けられる。
視線だけで人を殺すことができるのならば、シャーロットは殺されていたことだろう。それほどに強い殺気が混じった視線を向けられているというのにもかかわらず、シャーロットは気にした素振りも見せなかった。
「一般的な母親だったのならば墓に縋り泣いていたことだろうな」
その言葉がクラウスの地雷だということを知っていた。
「そうすることで娘の魂を留められるのならば、そうしていただろう」
シャーロットの中に存在する様々な知識や経験が邪魔をする。素直に死を悼むことすらも出来ず、七百年前に埋められた棺の中には骨すらも残っていない現実を受け入れてしまう。
そこには魂は存在しない。
シャーロットの愛する娘、アントワーヌは既に転生をしていた。
魂は新たな身体に宿り、その身体が消滅した後も隠れて生き続けている。
それを知っているからこそ、墓参りに意味を感じられなくなったのだろう。
「アントワーヌは転生をした」
転生者は忌むべき存在である。
それを受け入れる時がきたのかもしれない。
「そして、死んだよ。私の手が届かぬところで殺されてしまった」
「……なぜ、そのようなことになった」
「欲深い人間の行動によるものだ」
前世の記憶を所持しているのならば、始祖たちの邪魔になる可能性を秘めた存在である。それはクラウスもシャーロットも知っていることだった。
「貴様はそれを見逃したのか」
「仕方がないだろう。間に合わなかったのだから」
「嘘だ。ありえない言い訳だ」
同じ紅色の髪と目を持っている彼らは、似ている。
だけども、同じ色を持つだけの他人だと言われてしまえば、納得できるだろう。
「アントワーヌは死を望んだ」
クラウスの目が見開かれた。
それほどにシャーロットの言葉は想定外のものだったのだろう。
「目にいれても痛くないほどに可愛い娘は運命を呪ったのだよ。叶わぬ恋に障害が増えるくらいならば、死して、次の機会を望むと笑っていた」
その言葉に心当たりがあるのだろう。
クラウスは再び墓石を見つめた。
そこに眠っていると信じていたアントワーヌに思いを寄せているのだろうか。
「だが、次の機会に恵まれるのは何百年後かもしれない」
シャーロットは言葉を続ける。
「私は最愛の娘を待ち続けることはできるが、可愛い娘の願いをそこまで長引かせるのも気が引ける。だからこその提案だ。クラウス。私の可愛いアントワーヌを一途に思い続けている化け物ならば協力をしてくれるだろう?」
懐から一枚の紙を取り出す。
それはジャネットから受け取ったものだった。
「私たちの計画に賛同をしろ」
百年前の裏切り聖女による【物語の台本】改悪事件が引き金となり、始まってしまった【帝国再生計画】。
千年の間に変わってしまったライドローズ帝国の在り方を元に戻す為にジャネットが計画をした反逆行為に賛同をしている始祖は全員ではない。
現状を保つことができればよいと考え、保守的な立場を貫こうとするクラウスたちは計画を邪魔しかねない。
だからこそ、シャーロットはクラウスの心を揺さぶることにしたのだろう。
すべては帝国の為である。そう信じているからこその行動だった。
「……あの方を取り戻すのは帝国の為にはならない」
「それはお前の意見だろう。私たちとは違うものだ」
「始祖の意思を捻じ曲げるつもりか」
クラウスはシャーロットたちが推し進めようとする作戦に反対だった。平穏を自ら壊すような真似はするべきではないと考えていたからだ。
「優先されるべき始祖の意思は、ジャネットと私のものだ。偶然、選ばれただけのお前たちの意思を尊重する理由がないだろう」
「横暴だ」
「あぁ、そうだとも。貴族というのは横暴な生き物だ」
ジャネットとシャーロットの野望は同じである。
彼女たちの目的は、転生を繰り返す化け物となってしまった元凶である神聖ライドローズ帝国の皇帝だったミカエラ・レイチェルを復活させることだ。
その為には、なにも知らずに転生をした魂を揺さぶる必要があった。
誰よりも帝国を愛したミカエラの魂は、帝国の危機を見過ごせないだろう。
そういう人だったとシャーロットたちは知っている。
だからこそ、ジャネットとシャーロットは帝国の危機を引き寄せることにした。すべては帝国の最高権力者として君臨するべきミカエラを取り戻す為の犠牲でしかない。
「マリーも言っていただろう」
裏切り聖女は帝国を呪った。
最愛の人に会えないのならば生きている価値さえも見失ってしまったマリーは暴走した。それを煽ったのはシャーロットであり、その引き金を引いたのはジャネットだった。