08-6.世界は優しくはない
* * *
「レイン。一人で戻れるか?」
「当たり前でしょう」
「そうか。見栄を張りたい年頃になったのか」
「……子ども扱いは止めてください。実家で迷子になるような真似はしません」
レインは不服だと言うかのようにシャーロットの腕の中から抜け出した。
「まだ子どもだろう」
長い月日を生きるシャーロットたちと比べれば、最高齢の老人も子どものようなものだ。たかが百年ほどしか生きることができない人間の感覚などなくなってしまっている。
「子どもは親に甘えておけばいい」
それはシャーロットの願望だ。
「もうじき魔術は解かれる。母様は少しだけ仕事があるのでな。一緒には戻ってあげられないが、何も心配はいらない」
レインの髪に触れる手は優しいものだった。
先ほどまでガーナたちを貶めるような指示出していたとは思えない。
「なにも知らない父様が迎えに来てくれるだろう」
シャーロットの言葉をすぐに理解をすることができなかったのだろう。
レインは驚いたような表情を浮かべていた。
「……は?」
シャーロットの手が離れた。
その瞬間、周囲を取り囲んでいた魔術からレインが弾きだされる。反射的に姿勢を崩しそうになったが、倒れる前に誰かに背中を支えられた。
「急に飛び出してくるんじゃねえし! びっくりしたじゃんか!」
驚いたような声をあげながら、レインを支えたのはリンだった。
耳元で騒がれるのは不愉快だと言わんばかりの表情を浮かべ、レインは慌てて姿勢を戻して向き合う。そして魔術からはじき出される直前、シャーロットが言っていた言葉の意味を理解した。
……本当に母様は性格が歪んでいますね。
ただ会場を飛び出していった友人たちを探しに来ただけなのだろう。
……これのどこが迎えなんですか。
問いかけたくても弾きだされてしまったレインにはどうすることも出来ない。
シャーロットはこれから始祖として仕事をするのだろう。それに巻き込むわけにはいかないと一線を引かれてしまったことを理解する。
……質の悪い冗談でしかありませんよ。
彼女の息子であった前世でも同じようなことがあった。
その時も魔術から弾き出されると迎えに来ていたのは決まって同じ人だった。
「……最悪ですね」
レインは自身の拳を固く握りしめた。
振り絞った言葉はかわいげのないものだった。
* * *
【結界】の外に弾き出されたレインの様子を窺うこともせず、シャーロットは満足そうな表情を浮かべていた。傍にいるイクシードから呆れたような視線を向けられても気にすることなく、誰にも気づかれることなく採取したライラの血を瓶に詰め替えている。
「少量でいいのかよォ?」
「実験には支障ない」
「そうじゃなくてだなァ。色々と便利だろ? お望みなら身体中の血を採ってきてやってもいいぜ」
「それでは死に至らしめてしまうだろう?」
「それこそ問題ねえだろ。帝国の敵に情けをかけることもねえだろうしなァ」
イクシードの言葉に対し、シャーロットは笑みを零した。
それから採取した血が入った瓶をポケットに入れる。
「生きていてもらわなくては困る」
それは友愛の感情からくるものではない。
「これはジャネットから頼まれた貴重なものだ」
「ただの血液に何の意味があるんだよォ?」
「使い方次第では国を亡ぼす意味になる」
「へえ? そんな大したもんを持っているとは思えねえけどなァ。まあいい、こうも平和だとつまらなくてな。そろそろ大暴れをしたかった頃だぜ」
「私もだよ」
ガーナが傷つけば、ライラは身を挺して庇うだろう。
それは全て計算された行動だった。簡単にシャーロットの作戦通りの行動をするライラたちに対し、笑いが止まらなくなる。アンジュと敵対しているかのようなやり取りもガーナたちの警戒心を緩め、始祖が帝国民と異国民に対して暴力を振るう口実を作らせる為の演技だった。
「行くぞ」
シャーロットとイクシードの姿が闇の中に溶け込んでいく。
二人の姿が消えたのと同時に魔術は解かれ、痕跡は何も残らなかった。