08-2.世界は優しくはない
* * *
「ライラ!! 兄さんが悪く言われているのよ!!」
「堪えてくださいませ、ガーナちゃん。貴女が慕っている彼は誰よりも残忍な方なのです。どうか、今は堪えてくださいませ」
ライラに言われ、ガーナは歯を食いしばる。
その腕を振り切り、イクシードを悪く言うアンジュの顔を殴り飛ばしたい。衝動のままに振る舞うことが間違いであることはガーナもわかっていた。
……兄さんのなにがわかるって言うのよ!
言い返したい言葉は山のようにある。
その手を振り切ってしまえたのならば、楽になるのだろうか。
……なんて、言う資格がないのもわかっているけど。
しかし、この場にいる誰よりも、イクシードのことを理解していたのはガーナであることも自覚していた。
始祖の一人として立ち塞がっているイクシードは、ガーナの知る兄ではなかった。
別人ではない。面影はある。それでも、退屈そうな表情を浮かべているイクシードは別人のように見えて仕方がなかった。
「おしゃべりなお口は縫い合わせてしまいましょうね」
アンジュはガーナの頬を掴む。
目の前に現れたアンジュに対し、ライラは驚いたように目を見開いたが、ガーナを助けようと全力でアンジュの腕を掴み、引き離そうとするがびくともしない。
「あらぁ? アタシの腕を引っ張ろうなんて考えが甘いのではなくて?」
アンジュはガーナの腹を蹴り、そのまま、手を離した。
まるで蠅を振り払うかのように軽く腕を振るう。それだけでライラの身体は浮かび、ガーナの上に叩きつけられ二人は地面に転がった。
……なにが、起きたの?
蹴られた腹部が痛い。地面に叩きつけられことにより腰や背中が痛い。ライラは瞬きをしていたものの、すぐにガーナの上から退き、体制を整えている。
……考えている暇じゃないわね。
ライラは学園で行われている戦闘訓練を受けているだけだ。
平和なアクアライン王国では魔力制御の授業はあったとしても、他人を攻撃することに特化した方法は教わっていないのだろう。
……ライラは大丈夫。きっと、身体が覚えているから。
ガーナはそれを知っている。
だからこそ、ライラに違和感を抱いてしまった。
……私は私のことだけを考えなきゃ。
「薄汚い鼠はお嬢さんたちだわ」
アンジュは武器を構えていない。
それなのにもかかわらず、ガーナたちに向けられている殺気は本物だった。
「鼠は鼠らしく溝の中に埋まっていなさい」
アンジュは態勢を整えたばかりのライラの髪を掴み、地面に叩きつける。目にも止まらぬ速さで移動をするアンジュに対し、反応ができなかったライラは呻き声をあげたものの、姿勢を戻せない。
「ご存じかしら? アタシ、アクアライン王国には恨みがありますの。本来ならばアタシに与えられるはずだった領地を横取りして独立したあの生意気な小娘の転生者を苦しめることができるなんて、ジャネット様から与えられたご褒美と同じくらいの喜びですわ」
アンジュは躊躇なくライラの髪を引っ張り、地面に叩きつけたばかりのライラの背中を踏む。
「あぅっ……!!」
鋭いヒールはライラの背中に穴をあける。
「安心をしてくださいね、お嬢さん。苦しいだけですから。殺しはしませんわ。ええ、簡単に殺してなんてあげませんわ。もっと、もっと、苦しんでもらわなくてはアタシの恨みは晴れませんもの」
「あぐっ!!」
「鼠らしい声をあげてくださるのね? ふふ、でも、それだけでは許してはあげられないの。ごめんなさいね? アタシを満足させられるようにがんばってくださると助かるわ」
痛みに声をあげるライラの表情は苦しそうだ。アンジュはライラの髪を引っ張り、そのまま抜いてしまうのではないかというほどに力を籠める。
「やめてっ!!」
ガーナは思わず叫んでいた。
そして、姿勢を立て直せていないのにもかかわらず、ライラの元に駆け寄ってしまう。不格好な姿勢は狙いやすい的でしかない自覚はないのだろう。
……真似をするのよ。
魔力を練る。
魔力量だけは普通よりもあるのだ。それを扱う才能がないだけである。
……創作魔法は私の味方だと信じて!
ガーナは飛び出した。
それはアンジュにとって標的が自らの意思で向かってきたのも同然だ。
「あら、狙ってくださいませと言いましたの?」
アンジュは笑う。
ライラの髪を掴んでいる手を左手に変え、自由になった右手をガーナに伸ばす。ライラを助けなくてはいけないということだけに意識が傾いているガーナはそれにすらも気づいていないのだろう。
「残念ですわ」
ライラを踏みつける足の力を強くする。
血が服を汚していく。苦しそうな声も悲鳴もアンジュには心地の良い鳥の声のように聞こえているのだろう。
「異国民を庇うのは帝国民の正しい振る舞いではありませんのよ」
ゆっくりとライラの上から足を下ろす。
それから握りしめていた髪を引っ張り、強引にライラの身体を持ち上げようとする。それに対して悲鳴を堪えようとするライラの表情は苦痛に満ちていた。
「ライラから手を離しなさいよぉっ!!」
ガーナは魔力を練っていることを悟らせないように叫んだ。
「この人でなしおばあさん!」
ガーナは拳を振り上げる。
それに対し、アンジュは待っていたと言わんばかりの表情を浮かべ、ライラの髪から手を離し、再び地面に叩きつけられたライラを蹴り飛ばした。
「【模倣】!」
ガーナはその隙を狙っていた。
振り上げた拳をアンジュに向かって、振り下ろす。その瞬間、練っていた魔力が爆発し、威力を増す。それはまさしく【模倣】だった。先ほど、アンジュに吹き飛ばされた技術をガーナは一瞬にして真似てみせたのだ。




