06-4.弱いだけの少女では生き抜けない
「残念です。貴女では誰も救うことができません。……お嬢さん、来世があるのならば、このような形ではお会いすることはないことを願いますわ」
ハンカチから手を離す。
地面に落ちたハンカチを女性は踏みつけた。
「千年近くの年月を聖女として過ごした戦友に心の底から同情をします。彼女は予言された七人の英雄ではなかったからこそ、貴女にすべてを賭けたのでしょう」
涙が頬を伝う。
まるでこうなることを知っていたかのような声色だった。
「神様が直々にお選びになった聖女はマリー・ヤヌットなのだと、ここに証明してみせましょう。亡き友に捧げてみせましょう」
女性の言葉を理解できなかった。
それはシャーロットやイクシードが口にする内容とは異なっていた。まるでガーナ以外にも聖女の転生者がいるかのような内容だ。
「そうすれば、眠りについている聖女の目も覚めることでしょう」
女性は涙を流しながら、祈るように呟いた。
……どういうこと?
女性はガーナが利用されていると言っていた。
遠くに逃げるようにと忠告をしたのは嘘ではなかったのだろう。
……私以外にもいるの?
目の前で涙を流している黒髪の女性はなにかを知っているのだろう。
それはシャーロットたちが明かしていない百年前の真実である可能性が高い。かつて、聖女マリー・ヤヌットが引き起こした事件の裏側には、ガーナが知らされていない事情が隠れているのかもしれない。
それを問いかける時間はなかった。
「さようなら、予言者に選ばれた英雄」
女性の目が歪んだ。
ガーナは反射的に地面を転がるようにして移動する。そして、少し離れたところで姿勢を立て直した。
「お逃げにならないでください。アタシは貴女にも同情をしているのですから」
先ほどまでガーナが座っていた地面が抉られている。
一瞬の出来事だった。何が起きたのか、頭が追い付かない。
「来世では幸せになりますように。アタシからの贈り物です」
その瞬間、得体の知れない寒気が、ガーナを襲う。
柔らかい雰囲気を持つ女性から放たれているとは、思えない強い殺気だ。木々の間からは、鳥たちが一斉に飛び立った。
心臓が飛び跳ねた気がする。
恐ろしい寒気の中、何かが逃げろと叫ぶ。
「苦しむことがないように導いて差し上げます」
「……何を言ってるのぉ? お姉さん」
「そのようなことを問われても困ります。ですが、このような人気のない場所に居る方が悪いのですよ。まるで、殺してほしいと願っているようではないですか」
鋭い殺気に包まれる。身体中を針で刺されたかのように痛い。
その中でガーナは、身体を丸めて勢いよく横に転がった。ドレスが土で汚れるが、それよりも今は女性から距離をとる方が大切だと判断した。
「あら、残念です。一思いに仕留めるつもりでしたのに」
その判断は、正解だったようだ。
ガーナが先ほどまで座っていた場所には、幾つもの長い針が突き刺さっている。魔法の力を纏った針だったのだろう。
地面は、数十センチほど円形に抉られている。
直撃をすれば即死だっただろう。
「お姉さん、誰? なんで私を殺そうとするのよ」
体を起こして女性を睨む。
何かあった時の為にと胸の中に潜ませてあったナイフを手に取る。魔方陣が彫られたナイフを握る力を強める。
護衛用として習っているだけの剣術や武術は、まだ基礎の段階だ。相変わらず、座ったまま微笑んでいる女性には、傷一つ負わせることが出来るか怪しい。
それでも何もしなければ簡単に命を奪われてしまうことだろう。
「死に逝く帝国の民に応えるのも始祖の役目です。その問いに答えましょう」
避けられたことに対してなにも感情を抱いていないのだろう。
「改めて自己紹介といたしましょう。アタシは、ライドローズ帝国が擁する始祖の一人、“嫉妬の女神”アンジュと申します。少しの間ですが、お見知りおきを」
女性の名を聞き、ガーナは口元を引きつらせた。
それは二世紀前に勃発したヴァイス魔導連邦国との戦争から、その姿が確認されている始祖の名だ。彼女の凶暴性は、イザトから聞いている。
……アンジュ・ホムラ!
イザトを貧困街から連れ出した育て親であり、虐待とも取れる行動をしている危険人物だ。
……よりにもよって、遭遇するなんて!
目の前で優雅に微笑んでいる美貌だけでは想像することも出来ない残酷な性格をしていることは、ガーナも知っていた。
イザトが生きることを諦めてしまっているのも、目の前のアンジュが関係しているのだろう。
「これは裏切り聖女の目を覚まさせる為の必要悪なのです。貴女の犠牲は帝国を正しい方向へと導くことでしょう。安心して死んでください。貴女の死は帝国の為には必要なことなのですから」
アンジュは自身の正義を信じているのだろう。
理想を語る彼女に対し、ガーナは眉を潜めた。
……まるで私が偽物みたいな言い方じゃないの。
それならば聖女の記憶に振り回された日々はなんだったのだろうか。親友と仲違いを覚悟してまで前世に向き合おうとした努力は無駄だったのではないか。
すべて、見当違いな行動だったのだろうか。
脳裏を過った可能性を否定する。今、行うことはシャーロットたちへの不信感を強めることではなく、ガーナの存在を否定するアンジュと向き合うことだ。
「そんなことで納得すると思っているわけ?」
ナイフを握る手が震える。
勝てる保証はない。第一、ガーナだけでは傷の一つも付けることはできないだろう。それは向き合っているだけでも伝わってくる。
「私を殺せば兄さんが怒るわよ!!」
それすらも確信はなかった。
ガーナの親友だとわかっていながらも、ライラを利用していたイクシードが助けに来る保証はない。
「シャーロットだって怒るわ!」
心のどこかではわかっている。
ガーナが殺されたとしても、シャーロットの心は揺らぐことはないだろう。




