05-1.彼女は物語を紡いでいる
「実にくだらん言い訳だな」
シャーロットは呆れたような声を出した。
「見苦しい姿だな。ガーナ・ヴァーケル」
もう少しまともな返答を期待していたのかもしれない。
「英雄であるはずの聖女でありながら、全ての記憶を忘れるとは想定外だった」
聞いたことはある言葉だった。
だが、それは当然の様に自分を指す言葉ではない。
……英雄? 聖女様?
皇族の血を継ぐ大予言者により選ばれた七人の英雄。七人の始祖により滅亡の危機を乗り越えるだろう。
それは千年前に予言された実話だ。
「愚かなことをしてくれたものだ」
そして現在のライドローズ帝国が現存しているのは予言されていた滅亡を回避することができたから、だと言われている。
「貴様の罪はその愚かしさにあるのに違いない」
始祖信仰と呼ばれる伝説の数々はその時代の出来事とされている。
「呪われている自覚もない愚かな女だ」
幾度も訪れた帝国の危機を跳ね除け、帝国の繁栄を支えている七人の始祖。
彼らは帝国の為ならばどのようなことでもすると言われている。
……私はそんなすごい人なんかじゃない。千年前から生きていないし、前世の記憶なんてすごいものは持ってないし。
「やっだなぁ。私が神々しい美少女だからって、そーんな冗談、真に受けるお子ちゃまじゃないわよ?」
七人の始祖の中には、帝国民の歩む未来を照らすと信じられている聖女がいた。
「聖女様だなんて百年も前に言われたら大喜びだったでしょうけど、今じゃあ、裏切りの代名詞じゃない」
神聖ライドローズ帝国時代から帝国を支え続け、民の傍にあり続けた聖女は百年前に帝国を裏切り、自ら命を絶ったとされている。
「私はそんな非道な人間なんかじゃないわ」
だからこそ、なぜ、聖女と呼ばれたのか理解できなかった。
いや、理解することを心から拒んでいたのかもしれない。
「まったく、失礼しちゃうわね」
下手に名乗れば処罰の対象。
それを知っていて名乗るのは、理解のない子供くらいであろう。
当然、その名で呼ばれることはない。
あってはいけないのだ。
「己の立場すら忘れ、帝国を裏切ることで手に入れた平和の中で生きていようとも、同志を見つけたとならば本能が告げるとでもいうのか」
それなのにもかかわらず、シャーロットはそれが当然のことのように話を続ける。
「くだらないな。それがお前の求めた聖女の在り方だというのならば、そのようなものは敵国にでも投げ捨ててしまえばいい」
ガーナの言葉にはなにも意味がないかのようだった。
「惨めな姿だな。聖女ともあろうものが、望まぬ転生先で記憶を失うとは」
幼い子どもが憧れるのも、英雄ごっこで遊ぶのとも違う。
「笑ってしまうのも仕方がないだろう?」
過度な始祖信仰によるものでもない。
「貴様が英雄と名乗るのならばこの場で斬り殺さなくてはならないだろう」
必要ならばシャーロットはガーナを殺してしまうだろう。
「貴様の愚かな真似が世間に知られる前にしなくてはならないことだ」
それは始祖同士の争いではない。
帝国の為には仕方がないことだったのだと簡単に片づけられてしまうのだろう。
「これも帝国の為だと喜んで受け入れてくれるだろう? 貴様はそういう言葉には弱い正義感だけが取り柄の聖女だったのだから」
本気で言っているのだと伝わる雰囲気が漂っていた。
……私は違うって言っているのに。
シャーロットは、ガーナが聖女の生まれ変わりかのような話をする。
それが当然のことであるかのように話を進めていく。
「私は聖女じゃないわ」
「いいや。貴様は聖女だよ」
「違うわ」
そこには違和感はない。
しかし、簡単に信じられるような話でもない。
「私は聖女じゃないもの」
いや、信じてはいけないと、彼女の言葉に騙されてはいけないとなにかに囁かれている気がしてくる。
それはガーナを守ろうとしているかのようだった。
「それだけは何があっても譲れないわ」
……なんて嫌な言い方なんだろう。一方的に決めつけられて不愉快な言い方。
一歩、踏み出れば狂ってしまう世界。
踏み込んではいけない領域。
それを知っているのだ。嫌になるほどに見てきた世界の領域だった。
「勝手に決めつけないでよ。私は私なんだから」
……この人は、兄さんみたいなことを言うんだ。だから、逃げなきゃいけないってわかっているのに逃げられないんだ。
四歳上の兄はガーナの憧れだった。
誰よりも気高く、誰よりも美しい。
息を吐くように魔法を扱い、舞うように剣を振るう。
得意としている弓矢に関しては誰も敵う者はいないだろう。
……兄さんだってきっと同じようなことを言うんだろうね。
兄は厳しい人だった。
兄は他人に対して興味を抱かない人だった。
「私はガーナ・ヴァーケルよ。聖女じゃないわ」
「貴様が誰であるのかなんて些細な問題だ。気にかけることでもないだろう?」
「バカじゃないの? なによりも大切な問題よ!」
思い出すのは兄との思い出だ。
幼少期から年相応ではない言動をしていたらしい兄は魔法だけではなく、古の時代に扱われていた魔術も自由自在に扱う。
所有しているはずのない武器を召喚し、村を襲撃してきた魔狼を一撃で仕留めた姿は人々の恐怖を煽るものだったのだろう。
その話はガーナが両親から聞かされたものだった。
「名前はなによりも大事なのよ」
兄が始祖の一人であることはガーナの誇りだった。
両親から教えられたその秘密は兄に対する憧れを助長するだけだった。
「私にはパパとママが付けてくれたガーナって名前があるんだから!」
兄に対する家族や親せき、村人の態度を見て育ってきた。
畏怖、尊敬、敬愛、恐怖、畏れ。
それは、同じ人間として見ない両親や親族、村人たちから兄へ向けられていた視線だ。
「だから、私をそんな目で見ないでくれる?」
ガーナは怯えていた。
あの頃、兄に向けられていた視線の恐ろしさを知っている。
それが自分自身に向けられることには耐えられそうにもなかった。
「私はガーナ・ヴァーケルよ。聖女という名前の人間じゃないの」
……“人間ほどくだらない生き物は存在しない”か。
それは兄がよく口にしていた言葉だ。
その言葉には人間に対する憎しみすらあった。
「そうか。それでは貴様の意思を尊重しよう」
まるで自分自身を人間ではないかのように表現した兄の姿と、シャーロットの姿が重なって見えたのは、ただの偶然だろうか。