05-4.抗うことすらも許されないのだろうか
なぜ、エルフ族が暮らしていなかったはずのアクアライン王国の王族が加護を与えられているのか、知っている者はいない。
ライラも加護を意識したことはなかった。
しかし、王族を守ってくれる精霊の加護があったからこそ、魔術に抗うことができたのだろう。
「ガーナちゃんを傷つけるような真似は二度としないでくださいませ」
右の頬にも平手打ちをする。
怪力を誇るライラの全力だった。常人ならば頬の骨が折れてしまってもおかしくはない力を込めた。しかし、イクシードは驚いたように目を見開くだけで痛みを感じていないように見える。
「……そんなにあの女が大事かァ」
イクシードの目はすぐに細められた。
信じられない言葉を聞いたかのような表情だった。
「当然でしょう。ガーナちゃんは誰よりも大切な親友ですわ」
それに対し、ライラは涼しげな表情を浮かべる。
まるでその問いかけが来ることがわかっていたかのようにも見えてくる。
「彼奴は不幸しか呼ばねえぞ」
「私はガーナちゃんと一緒にいることで幸せしか感じたことがありませんわ」
「気の迷いだなァ。王族のないものねだりは不幸の連鎖だ、わかってんだろォ?」
それは十六年間、感じたことのない恐怖だった。
殺気にも似ているだろう。帝国が誇る英雄の一人として、始祖として、数々の戦場を渡り歩いてきたイクシードの目線は氷のように冷たい。
「そうだとしても、なにも問題はありませんわ」
真正面からその視線を向けられているライラは生きた心地がしなかった。
それでも、それから逃げるわけにはいかなかった。
「理解できねえなァ」
イクシードは自身の髪に触れる。
普段ならば身に着けているバンダナはない。血の繋がっている兄だと心の底から信じているガーナから贈られたものだった。それを身に着けているのは妹想いの兄を演じる為には必要なものだった。
身に着けていなかったのは、この場には相応しくはないものだからである。
帝国が誇る始祖の一人としてこの場にいる。シャーロットの相棒として立つのには偽物の家族は必要なかった。
「どいつもこいつも彼奴に過剰な期待を寄せてやがる。外れた人間なんかに出来るようなことはなにもねえんだよ。まだわかんねえのかよ。くだらねえ。くだらねえことばかりだ。アンタもそれを俺に強要するつもりかァ?」
ライラの手首を掴む。
その力は愛を語ったとは思えない。理想を語ったとは思えない。
強烈な憎しみだった。ライラは手首が折られそうな痛みに顔をしかめた。
「ははは、なにも出来ねえよなァ。弱いだけのただの人間にはなにもできねえ。なにもさせねえ。邪魔をするつもりならその首をへし折ってやろうか」
「なにを――」
「親友? 家族? だからなんだっていうんだよ。人間のくだらねえ感情論なんてもんは聞き飽きた。俺の邪魔をするなら殺すぞ」
イクシードは本気だ。
それは殺意を向けられているライラも理解をしているだろう。しかし、手首を折ろうとしているかのように力が込められている彼から逃げることも許されない。
……なんて、悲しい目をされているのでしょうか。
ライラの目には涙が浮かぶ。
それは恐怖からくるものか、痛みからくるものかわからない。
「先ほどまでは愛を語られていたとは思えませんね」
声が震えてしまっていることはイクシードにも伝わっているだろう。
それでも、ライラは引くわけにはいかなかった。
「イクシード様」
返事はない。
その名を呼ばれることも不本意なのだろう。
「イクシード様にも守りたい方はいらっしゃったことでしょう」
ライラは容赦なく言葉を続ける。
それは窮地に立たされているとは思えない言葉だった。
「それをすべて捨てるような真似はなさらないでくださいませ」
イクシードは帝国を守る始祖の中でも唯一の存在だった。彼だけは変わることが許されないとでも言わんばかりに、死の運命を回避してきた。
何度も輪廻転生を繰り返しているシャーロットたちとは異なり、イクシードは一度も死を味わっていない。
彼の中に流れているのは人間とエルフ族の血だ。
与えられたエルフ族としての名は彼の誇りだった。
半身に流れる人間の血を否定するように生きることしかできなかった化け物になる前の記憶を維持している彼にとって、人間として与えられたイクシードの名は必要のなかったものなのだろう。
「貴方がどのように考えられているのか、私にはわかりませんわ」
ライラの言葉はイクシードの心には届かないだろう。
千年近くの年月を生きてきたイクシードは孤独を知っている。人間を愛したとしても取り残されることを知っている。
「それでも、これだけは言わせてくださいませ」
それはライラには想像すらできない苦しみだったのだろう。
それでも、逃げることは許されなかった。
「貴方がどのような振る舞いをしようとも、ガーナちゃんは貴方のことを嫌うことはないでしょう」
イクシードもシャーロットも、ライドローズ帝国に縛り付けられている。
例え、その命を失う日が来たとしても、彼らは再び蘇り、帝国の為に命を捧げることだろう。
「貴方の手を取ることも、願いを叶えることも出来ない私をどのように思っていたとしても構いません」
ライラは覚悟を決めていた。
交わることのできない恋心によく似ている感情は心の奥底に沈める。二度と浮かび上がってこないように厳重に鎖を巻き付けて、心の中に封印する。
「ですが、どうか、ガーナちゃんのことだけは信じてくださいませ」
それでも、ライラはイクシードの行く末を案じてしまう。
……優しい貴方たちが救われる日を願わせてくださいませ。
繰り返される歴史の中、命を懸けて戦うことを強いられている彼らに救いがあればいい。
それを声に出して伝えることはできない。
異国の民であるライラには、帝国の在り方を否定する言葉を発することはできなかった。




