03-4.魂に刻まれた罪は引き付けあう
「……私は、貴方の手を取るわけにはいきません」
ライラはそれを知っていた。
だからこそ、イクシードから離れるように数歩だけ後ろに下がる。
口元を隠していた手をゆっくりと下げる。
「他人行儀はやめてくれよ。アンタは俺のライラなんだろ?」
「ギルティア様のライラだったのでしょう。しかし、私には、その根拠がなにもないのです。ただ、心が貴方と共にありたいと叫んでいるだけなのです」
「それは立派な根拠じゃねえのか」
涙が止まらない。
イクシードは手を下げない。
「いいえ。これは、ただの感情です。貴方との関係を示すものではありません」
その手を掴むことを待っているかのように、差し出されたままの手を掴みそうになる。
「俺の手は取れねえのか、ライラ」
「その手を掴んでしまえるのならば、幸せなのはわかっているのです。でも、私にはその手を掴む資格などないのではないでしょうか?」
……どうして、意地を張ってしまうのでしょう。
差し出されている手を取ってしまいたい。
そうすれば、イクシードは笑うだろう。
待っていたと囁きながらライラを抱きしめるだろう。
そこまで想像することができてしまう。
「どうしてそう思うんだよ」
「私には貴方との記憶がございません。ただ、貴方の名前を知っているだけなのです。貴方とこうして向き合って、言葉を交わしているだけで心が苦しくなるのです。ただ、それだけでは、貴方の傍にはいられないでしょう?」
「それなら、これから知っていけばいいだけの話だろ?」
イクシードの言葉は甘い。
その手を取ることが最善であったと思わせるような言葉だ。
「教えてくださるというのですか?」
「アンタが望むならなんでも教えてやるよ」
イクシードは笑った。
……私は、欲深いのです。
彼の目に映っているのは、目の前にいるライラではない。
アクアライン王国の初代女王の面影を重ねているのだろう。
イクシードは、ライラと七百年前の初代女王が同じ魂を持っていることに気付いていた。
だからこそ、ライラの心を揺さぶるような真似をするのだろう。
それらがわかってしまうのは、他でもない初代女王の魂を引き継いでいるからだということをライラもわかっていた。
……敬愛する初代女王陛下ではなく、私を見てほしいと願ってしまうのは、いけないことなのでしょうか。
ライラには他人の記憶はない。
性格も趣味も思考もなにもかも異なっている。
同じなのは怯えることもなく、イクシードを見上げる強さだけだった。
「それならば、教えてくださいませ、ギルティア様。私は貴女にとってどのような存在だったというのですか?」
その言葉にイクシードは下を向いた。
肩が僅かに震えている。どうやら笑っているようだ。
……どうして、笑うのですか。
悲しむわけでもない。どちらかといえば、嬉しそうに見える。
「はは、最高だなァ。アンタは変わった、それなのに、俺が愛したライラだ」
「変わったというのは語弊があります。私は貴方の知るライラではありません」
「そうだなァ。中身は同じでも、人格が違えば別物だ。アンタに言われなくてもよくわかってるんだよ」
イクシードは手を下げた。
その手を掴ませるのは諦めたのだろうか。
それとも、別の目的があるのかもしれない。
どちらにしても、彼は油断ならない相手であることをライラは知っていた。
「どう足掻いたって、アンタは俺の手を取らねェ。俺もアンタの手を取って逃げることはできねェ」
差し出した手を握り返されることはないと知っていたのだろう。
「厄介なもんだと思わねえか」
それなのにもかかわらず、手を差し伸べた。
「これが魂に刻まれた罪だっていうなら、それは運命だ」
その手が今度こそは触れられることを願ったのか、意味のない行為だったのか。イクシードは笑っていた。
「俺たちの運命は共にあることさえも許されてねェ。結ばれねえのに引き寄せあうのは、皮肉なもんだと思わねえか?」
……どうして笑えるのですか。
ライラの心の中には何かがいる。
それは他人の感情だった。
目の前にいる彼の手を取ってしまいたいと、心の奥底から叫ぶ声がライラの自我を奪おうとしている。
それこそが、イクシードが指摘した初代アクアライン女王の意思なのだろう。
「ライラは愛を語っても国を見捨てられねェ」
「……私は王国に縛られ続けなくてはいけない状況ではありませんわ」
……こんなにも、陛下は、泣いているのに。
それは明らかに異質なものだった。
徐々に存在が大きくなっていくのを感じる。
強い意志を保たなければ、それはライラの存在を書き換えてしまうのだろう。
「はは、そりゃあ今だから言えることだ。未来を見てみろ。アンタには兆しを教えてくれる精霊がついているだろ」
イクシードの目には、やはり精霊の姿が見えているようだ。
……精霊さんたちに関する認識が間違っていたようですわ。
精霊の姿を認識することができるのは、心が清らかな人だけである。
ライラは学者たちが唱えてきたその言葉を信じていた。
しかし、それは間違いだと悟る。
「未来は教えていただくものではありませんわ。自らの手で掴み取るものなのです。それなのに私だけが精霊さんに教えていただくことはできませんわ」
「そうかァ。平和な国で育つと危機感はねえんだなァ?」
イクシードの言葉に対して、ライラは眉を潜めた。
アクアライン王国は戦争とは程遠い平和な国だ。
豊富な資源を持つ王国は、数百年もの間、他国からの侵略の危機に晒されることはなかった。
それは、ライドローズ帝国と結んでいる同盟のお陰だと言われてきた。




