04-2.親友の声は届かない
「お前は誰だ?」
「私よ、わからないの?」
帝国領土内、様々な場所に建てられている始祖を模した石像のように作られた笑みでは無い。
目が合った人間を魅了する魔性の笑みだ。
それが少女、シャーロットに通じないことを理解していないのだろう。
「誰だ。名乗れ」
「だから、私よ。私。ねえ、わかるでしょ。シャーロット」
シャーロットの言葉に対してガーナは答えを出せなかった。
「私の名前を呼んでよ」
そこで初めて疑問を抱く。
自分の名前がわからないのだ。
「あれ……?」
それに気づけば、次から次へと違和感を抱く。
どうして会ったことのない少女の名を知っていたのか。
どうして少女を追いかけて来たのか。
数分前の自分自身の行動を理解できない。
……私、誰だっけ?
まるで幽霊に憑かれたかのようである。
誰かに操られているかのようである。
それを自覚した途端に冷や汗が流れる。眩暈すらしてくる。
「わっ、わたし、わたしは……」
身体が震えてしまう。
恐怖からくるものなのかわからない。
なにもかもがわからないからこそ、恐ろしい。
「わ、わ、たし、は」
ガーナの様子が変わったことを見抜いたのだろうか。
シャーロットは迷うことなくガーナの額に手を伸ばした。
「落ち着くといい。簡単に名を失ってはならない。名を手放せば傀儡になるぞ」
僅かに触れられたところが熱い。
震え続けるガーナを見ていたシャーロットは困ったように笑った。
「なるほど。そうか、お前はアクアライン王国の王女の知人か。では、簡単な方法がある。精霊の愛しい子の力を借りるといい。そうすれば呪詛は弾かれるだろう」
頭の中身を覗き込まれている。
それを拒むことさえもできないガーナに対し、シャーロットは僅かに口角を上げた。
「アクアライン……?」
「なんだ。それも思い出せないのか」
「……うん。なにも、わからないわ」
頭が働かない。
そのままゆっくりと眠りについてしまいたい衝動すらある。
「そうか。お前、どこでそのような呪詛をもらったのだ。古い道具か本に触れたのではないか? 古い魔術がかけられている」
シャーロットは呆れたように触れている部分に魔力を込める。
「……これは失礼。お前に言ってもわからないか」
ガーナの記憶を覗いたのだろうか。
文句を言いながらも、ガーナも抱いているだろう違和感の部分を解いていく。
……頭が、ぼんやりしてくる。
覗かれているからだろうか。
眩暈が酷くなっていく気がする。
「これでいいだろう」
……あれ、でも、安心する。
ゆっくりとガーナの額からシャーロットの手が離れていく。
それに縋りたい気持ちは消えていた。
「それではもう一度、問いかけよう。お前は誰だ?」
シャーロットは確認するように問いかけた。
少しだけ低い声で呼ばれたからなのだろうか。
心臓が飛び跳ねた気がした。
「ゆっくりで構わない。名を口にしてみろ」
それは、なにかを忘れているのではないかとガーナに訴えているかのようだった。
「そうすれば呪いは解ける」
もしくは名を思い出すことを抵抗しているかのようにも思える。
……違う。違う。こんなことがしたいわけじゃないの。
心の中で言い訳をする。
誰に対して、言い訳をしているのだろうか。
……本当に違うの。
それは、ガーナ自身も分かっていなかった。
ただ、再会を嬉しいと感じる心を信じようと思っていただけなのだ。
……私は、懐かしいだけなのよ。
シャーロットを一目見た時に感じたものは懐かしさだった。
世界を見定めているかのような表情をしていたシャーロットを見たくはないと思ってしまった。
世界に絶望しているかのような表情は似合わないと思ってしまった。
……ただ、それだけだもん。
シャーロットの存在自体に気づいていないかのように、通り過ぎていく。
それは、この世界から切り離されたかのようだった。
……でも、それは私のするべきことじゃない。
中性的な顔立ちは、口元以外は動かなかった。
眼を逸らせば消えてしまいそうな儚さを持つシャーロットは口元を歪めた。
まるで動くことすら知らないのではないと思わせてしまうほどに、表情が何一つない。
そんな彼女に恐れすら抱けない。
「ガーナ。ガーナ・ヴァーケル」
口から零れるように自身の名を呟いた。
思い出せなかったのが噓みたいだった。
「そうよ! ガーナ様よ! あんた、足が速すぎなのよ!! 私でも追いつくのに疲れちゃったわよ! まったく、どうしてくれ――。あ、れ?」
続いてシャーロットに対して文句を口にしている最中だった。
言おうとしていた言葉を忘れたわけではない。
ただ、気付いてしまったのだ。
……待って。どうして、私は、この子を知っているの?
初対面であるシャーロットのことを知っていると思い込んでいた。
始祖であると自信を持っていた。
それはどこから見てもおかしいことだった。知っているはずがないのだ。
……なんで、見たこともない子を知っているの?
特徴的な髪と眼の色合いではあるものの、それを継承している一族がいる。
始祖とも呼ばれている魔女や魔法使いの血を継承している稀有な一族、フリークス公爵家。ガーナはフリークス公爵家の者と親しい間柄ではない。
知っていたとしても、気軽に声をかける間柄ではない。
そんなことをすれば、不敬罪によりこの世から姿を消していただろう。
「そうか。やはり、貴様がガーナ・ヴァーケルか」
シャーロットは初めて気づいたかのような口調で言った。
「話に聞いていたよりも単純そうだな。我を失うようでは話にならない」
……それに、どうして、この子は私を知っているの?
知り合いでなければ、その名を知る人はいない。
市民階級出身であり、フリアグネット魔法学園都市からは、数十キロも離れている田舎の生まれであるガーナに対して興味を抱く者は少ないのだ。
「なぜ、私を覚えている?」
シャーロットは驚いた様子もなく、淡々と問いかける。
ガーナが困惑していることなど気にすることもなく、シャーロットは本題だと言わんばかりの言い方である。




