02-2.「初恋は叶わない」と誰かが言った
「あいつが公爵邸を出ていった時、俺は生死を彷徨っていたらしいからな」
リンはガーナから目を逸らす。
積極的に語りたいような話題ではないからなのだろう。
「なんとか回復した時には、もう、あいつは家を出た後だった」
「生死を彷徨った? どうして? リン、風邪の一つも引いたことがないような元気じゃないの」
「風邪くらい引いたことがあるのに決まってんだろ。昔は難病だったんだよ。詳しいことは覚えてねえけど、少なくとも十歳にはなれないはずだった」
リンの言葉を聞き、ガーナは眉を顰める。
……貴族に病はつきものだって聞いたことはあるけど。
昔、兄であるイクシードが話していた言葉を思い出した。
歴史の長い貴族は病に倒れることが多い。
その体に流れる血の濃さが原因なのか、魔力と身体の調律が上手くとれていないのか。
様々な原因が重なった結果、若くして命を失う貴族は、現代においても数えきれないほどである。
「え? でも、どうして、それが治ったのよ?」
「だから詳しくは知らねえんだよ」
手を離された。
リンは面倒そうな表情を浮かべながらも、当時のことを思い出しているのだろう。
「シャーロットは難病を治す方法を知っていた。俺が生きているのも、レインが走り回れるようになったのも、全部、あいつが治したからだ」
……まるで望んでいなかったみたいな言い方をするんだね。
生き延びる術を与えられた。
それは、始祖の加護を受けたものだと喜ばれたことだろう。
一族から見放された子どもだったリンもレインも、急激に変わっていく環境の中で孤立をしていった。
二人の命を救い上げたシャーロットは、子供らしさを捨て、過酷な日々を生きる道を選ばなければならなかった。
彼らはそれを望んでいたわけではなかったはずである。
「俺は魔力欠乏症候群を患っている。でも、それはシャルルが施した魔法の副作用によるものなんだと。あいつは難病を治すだけじゃなくて、俺が魔法による攻撃を受けても無傷でいられるように呪っていきやがった」
リンは忌々しい呪いだと口にした。
魔法使いとしては致命的な呪いを受けた。
それが、生き残るための唯一の方法だったと聞かされても、簡単に受け入れることはできない。
「それだって、難病の一つじゃないの?」
「一応な。それでも、俺が生き残るのにはそれしか方法はなかったんだと」
「どうして? 病気を治せるなら、全部、治してもらえばよかったのに」
「アホか。それができねえから、難病指定になってるんだろ」
魔力欠乏症候群は珍しい病だ。
自分自身の限られた魔力を使うことはできず、魔法による攻撃を受けた場合、瞬時に魔力に分解をして吸収をする。
発症する人間は限られている為、現在も治療法がわかっていない。
……シャーロットが意味もなく呪うとは思えないのよね。
しかし、それによって命を脅かすことはない。
少なくとも、魔法による事故で命を落とす可能性は低くなる。
……リンを守る為? でも、公爵家の人間が命を狙われることなんて、よっぽどの大事件が起きない限り、ありえないと思うんだけど。
シャーロットの狙いはそこにあったのだろう。
魔法によって、引き起こされる様々な事故からリンを遠ざける為だけに、彼を呪ったのだ。
「俺が意識を取り戻した時には、シャルルは公爵邸を離れていた」
リンは命を救ってもらったお礼を告げることも、幼馴染に別れを告げることもできなかった。
「だから、俺はあの時、なにがあったのか、知らねえんだよ」
幼馴染が手の届かない存在になってしまったのだ。
それは幼い心を酷く傷つけたことだろう。
「……あいつは、昔はあんな性格をしていなかった」
リンは寂しそうだった。
十年ぶりに再会をした幼馴染の変貌に驚いたのだろうか。
それでも、傍にいたいと願ってしまった自分自身に嫌気がさしたのだろうか。
「十年前の話でしょ? それ。十年もあれば、人なんて簡単に変わると思わないの?」
「そりゃそうだろ」
「えー! 意外! ちゃんとわかってるんだねえ!」
「バカにしてんじゃねえよ。その辺の区別はついてるからな」
リンは苦笑する。
真面目に話すつもりは元々なかったのだろう。
「へぇ。本当に意外だねぇ! 私は、てっきり、初恋の思い出をいつまでも引きずるようなタイプだと思っていたよ! まあ、シャーロットのことを愛称で呼び続けているんだし? 実は今でも好きなのかなぁーって、思っていたんだけど」
ガーナの言葉を聞き、リンは思わず目を逸らした。
……図星?
命を助けてくれた幼馴染に恋心を抱くのは、ありえなくもない話だ。
その相手が血の繋がりのある従兄妹だとしても、帝国の法律では貴族に限り結婚することも許されている。
「……関係ねえだろ」
「なーに! 今、言い淀んだでしょぉ!?」
「うるせえな。話は終わりだ! 終わり!」
リンはやっていられないと言わんばかりに声を上げた。
それに対して、ガーナはつまらなそうに文句を口にする。
そのやり取りは、学園で繰り広げられているものとなにも変わらない。
「じゃあ、後一つだけ!」
どうしても聞いておきたいことがあった。
それを本題として切り出すのには勇気がいる言葉だった。
「ジョンとアントワーヌという名前に心当たりはないかい!?」
夢で聞いた名前だった。
……どこかで聞いた気はするんだけどね。
フリークス公爵家の人間として、歴史の教科書に載っているのかもしれない。
しかし、確信は何もなかった。
あの夢で見た光景は、少なくとも七百年以上も昔の出来事である。




