04-1.親友の声は届かない
* * *
「――ガーナちゃあああああああんっ――!!」
ガーナは、ライラの声に振り返りそうになった。
悲しげに苦しそうに自身の名を呼ぶ声が聞こえた気がした。
……今の声。私は知っている。
引き留めようとしている声だった。
その声に振り返れば、追いかけて来た紅髪の少女を見失ってしまうだろう。
それに気づき、また走り出す。足を止めるわけにはいかなかった。
……私を呼ぶ声だった。辛そうな声で――。
それでも、振り返っている暇はない。
例え、名を呼ばれていても振り返るわけにはいけない。
足を止めてしまえば、二度とあの少女を見つけることはできないだろう。
もしも、少女に再び会う機会があったとしても、ガーナは少女のことがわからないだろう。
……必死に私を呼んでいた。
人込みを避けて走る。
前触れのない行為を叱咤する声が飛び交う。
中には、聞き覚えのある声も交じっていた。それでも、走るしかないのだ。
……私を引き留めようとする声だった。
手放すことの出来ないなにかを見つけた気がした。
それと同時に、大切な人を手放してしまった気がした。
……あの子は、私の大切な、――親友だ!!
ようやく、ライラの存在を思い出す。
頭の中を支配するかのように、酷く、ガーナを苦しめていた頭痛が消えた。
まるで、ライラの存在を忘れさせる為だけに苦しめられていたかのようだった。
それに気づくこともなく、走り続ける。
……ごめんね、ライラ。
ガーナには、ライラのことを忘れていた自覚がないのだろう。
なにも言わずに走り出した自分が悪いという自覚はある。
しかし、振り返る余裕はない。
振り返ってはいけないとなにかが訴えてきていた。
振り返ってしまえば、なにもかも終わってしまう気がした。
……ごめんね、本当に、ごめんね。
心の中で地面に頭を擦りつける勢いで謝りながらも、必死に走った。
両腕に大量に掛けられている買い物袋が人にぶつかり、文句を言われても、それに謝っている暇すらない。
「待ってえええええええええええッ――!!」
それは、偶然だった。一瞬、視界に入っただけだった。
ライラの存在すら忘れ、無我夢中で追いかけた。
……やっと、見つけたのよ。
一瞬、視界に収まった綺麗な紅色の髪の少女。
一瞬、血が飛び散る戦場を連想させたそれは美しくも儚い人だった。
……ずっと、探していたのよ。
思い出すだけでも、胸が高鳴る。
不思議と恐怖心は無く、引き寄せられるその少女には懐かしさを感じた。
その人の元へと駆けだすのは、当然だと思えた。
「待ってえええええええっ――!! シャーロット!!」
彼女のことは何一つ知らなかった。
見たのも初めての初めてだった。
けれども、頭の中に彼女の名前であると確信できる言葉が浮かび、気づけば、それを口に出していた。
……“シャーロット”――?
それに驚きを抱きながらも、ガーナは走るのを止めない。
ここで彼女を引き留めなければいけないと、なにかが叫ぶ気がした。
「シャーロット!」
口にしていたのは、この帝国が、純粋な魔法文明を保ったままの軍事国家として長い年月、発展し続けている所以でもある守護神――、始祖と呼ばれている存在である女性の名前だった。
「待ちなさいよ!」
その女性から加護を与えられるようにと願いを込め、名家ではその名が付けられることもある。
だが、目の前の少女はその類いではないだろう。
……もしかしたら、それは本能なのかもしれない。
彼女は本物だ。本物の始祖である。
なにかに引き寄せられるようにして走り出したガーナの眼には迷いはなかった。
ここで呼び止めなくてはならない気がした。
その理由を考える必要もない。
これは本能によるものだ。
そんなことを考えながらも、ガーナは走る。
不思議なことに違和感なく、ガーナの中では綺麗に納まっていた。
「やっと、見つけたわ。シャーロット」
……彼女を見つけたのは、私の運命だったのかも。
彼女は帝国を護る始祖の一人だ。彼女は守護神として崇められる存在だ。
返り血を浴びたかのような真っ赤な髪と眼。
感情が宿っていないかのような冷たい表情。
それは哀しいほどに美しかった。
……だって、私は一目でわかったもの。
呪われているのではないかと揶揄している人々の気持ちも理解できる。
それほどに悍ましい紅色をしていた。
……彼女は人じゃない。
彼女は帝国を危機から救うために、不死鳥の如く、何度も蘇る伝説の存在だ。
……人間ではない別のなにかになってしまっているんだわ。
彼女が身に纏う色は、帝国を死から遠ざけ、敵には災厄を巻き散らすと信じられている。
……それが神様なのかわからないけど。
生きているだけで災厄を振り撒く悪魔のような人物だと恐れられているのも、彼女の恐ろしい功績の数々によるものだろう。
「シャーロット」
名を呼ばれたことに驚いたのだろうか。
ようやく振り返った少女に対してガーナは親しげに声をかける。
「どうしてここにいるの? 貴女はいつだって領地から出てこなかったじゃないの」
まるで昔から知っているかのようだった。
自然と言葉が口から出ていた。
「引きこもりが一人で外に出るなんて普通じゃないわ」
そのことに対してガーナは疑問を抱いていないのだろう。
「お兄様の身になにか起きたのではないでしょうね?」
はたしてガーナの口から出ているのは本当にガーナの言葉だろうか。
まるで別人のように穏やかな声が出ていた。
「どうしたの? どうしてなにも言わないの?」
……私は探していたんだわ。彼女を守る為に。
それは、根拠のない自信だった。
ガーナに対して、名を呼ばれた少女は見定めるかのように眼を細めた。
「なにか言ってくれないと困るわ」
血のようだと感じられる紅色がガーナを見ている。
それを感じながら、ガーナは微笑んだ。
この日を待っていたというかのような穏やかな笑みだ。
「ねえ。応えてよ。シャーロット」
その笑顔は、なにかに憑かれているようだった。
「やっと会えたのに無視をするなんて酷いわ」
普段では想像ができない綺麗な笑顔だった。




