第9話 あんたの無駄に高すぎるプライドって、ほんと最高
やにわに慌ただしくなるコロセウムの西側観客席から、ひとりの中年男性が下りてきた。マントを羽織り、いくつもの勲章を胸から提げている。
相当な地位であることはすぐにわかった。
「お父様?」
カルディナが小さく呟く。
アルがわたしの腕を取って、自らの背後へと強引に導く。わたしを庇うように、マクドガル派の観客席のある方へと。
「ちょ──」
「彼がアレイスター卿だ。ルチカは下がっていたまえ」
あいつが。
ガッシリとした肩幅の、温和な表情の中年男性だ。もっとオーガみたいな人かと思っていた。ぴしっとした豪奢なサーコートを着込み、腰にはロングソードを帯剣している。
カルディナが慌てて彼に駆け寄った。
「お父様。申し訳ありません。女性を相手に、初めて敗北を喫してしまいました。ですが次こそは必ず──」
「どうでもよい」
言葉を言い終えるより先に、アレイスター伯爵がそれを遮る。
「え?」
戸惑うカルディナを、背後からついてきていたふたりの護衛騎士へと押しつけて、アレイスター伯爵はアルグレッドの前へと歩み寄った。
「アルグレッド殿下におかれましては、ご機嫌麗しゅう。昨今のご活躍、耳にしておりますぞ」
「やあ、アレイスター卿。これはどういった余興かな。まだ御前試合は続行中なのだが」
無数の足音の原因、それは。
アレイスター派で固められた西側の観客席から、マクドガル派のいる西側へと、人の流れができている。
それも、全員が抜剣しながらだ。
西側ではすでに、皇帝皇后両陛下を守るようにマクドガル派が動き出していた。あくまでも逃走ではなく、守るようにだ。それはすなわち、出入り口をすでにアレイスター派に押さえられていることを意味していた。それに、マクドガル派の大半は帯剣していない。
レンドールからあらかじめ話を聞いていたわたしには、これが何を意味しているかすぐにわかった。
アレイスター派の武装蜂起だ。
今日がその日だった。
いや、おそらくカルディナが御前試合で優勝していれば、アレイスター派はそのままおとなしく帰るつもりだったのだろう。
カルディナは御前試合での敗北により、アルグレッド殿下の婚約者レースの優位性を失ってしまった。ましてや、殿下のもうひとりの婚約者と思しきライバル、ルティリカ・バルティエに敗北してしまった。その敗北こそが、武装蜂起の引き金となっていたのだ。
なるほど。このコロセウムの御前試合となれば、王侯一族の大半が集まる上に、観戦中は護衛の数も限られる。陛下とその跡継ぎである殿下を殺害するのには、最も適した日だ。被害も少人数に抑えられるし、派閥同士の正面衝突でなければ帝国の軍事力をそれほど削ぐこともない。
虎視眈々と帝国を狙うフェリペ共和国とて、軍事力の減退がなければいきなり戦争を吹っ掛けてくることはないだろう。
「お父様! これはどういうことですの!?」
「黙りなさい、カルディナ。──娘を連れていけ」
アレイスター伯爵の命令を受けて、屈強な護衛騎士のひとりが彼女をひょいと肩に担ぎ上げ、背中を向けた。
「は、放しなさい! 無礼者! わたくしを誰だと思っているの!?」
カルディナは騎士の背中を叩くが、いかんせん鎧の上からでは。
彼女を担いだ騎士が十分に離れるのを見送ってから、アレイスター伯爵は再びアルグレッドへと向き直った。
「失礼しました。殿下」
「かまわないさ。ただ、淑女に対する扱いがなっていないね」
「この後に及んで、交わす言葉はありませんな。あなたを捕らえるつもりもありません。今すぐに剣を抜かれるがよいでしょう。せめて最期は誇り高き皇族らしく」
「そうか。それは残念だ」
アルグレッドとアレイスター伯爵が同時に抜剣した。観客席から下りてきた伯爵の騎士たちも、アルグレッドとわたしを囲んで一斉に抜剣する。
最悪。絶体絶命だ。
なのに、アルグレッドはいつものように飄々としている。
西側観客席が、徐々に制圧されていく。皇帝陛下も皇后陛下も、もはや彼らを守る護衛騎士らに埋もれて姿が見えない。
「参りますぞ、殿下」
「──ああ!」
アルグレッドとアレイスター伯爵が同時に地を蹴った。
轟音を響かせて、火花と殺気が交叉する。両者ともにすぐに剣を引いたが、一瞬早かった伯爵の踏み込み斬りを、アルグレッドはとっさに受け流した。
アルグレッドの反撃を、今度はアレイスターが力任せに受け止める。次の瞬間にはもう弾き合って後退、着地と同時に大地を蹴り、再び互いの剣をぶつけ合う。
たった数合で理解した。
とんでもない達人同士だ。正直、これに混ざりたくはない。死んじゃう。
「やりますな、殿下。さすがはヘメリアの太陽。だが、日はいつか陰るもの」
「はは、どうかな。卿が歳を召されていなかったら、僕はもうこうして話せていなかったかもしれないね。世界の広さを思い知らされるよ」
「それは光栄」
鍔迫り合いから一転し、凄まじい斬撃の応酬が繰り広げられる。
アレイスター派の騎士たちは、わたしにも手を伸ばしてきた。わたしはそれをひらりと躱し、慌てて両手を挙げる。
「ちょ、ちょっと待って! わたし関係ないから! もうレムリカに帰るから!」
そのわたしに、騎士が切っ先を向けた。
「関係がないだと? ふざけるなよ、バルティエの娘! おまえがカルディナ様に黙って敗北してさえいれば、このように帝国人同士で殺し合う必要もなく、政権はいずれアレイスター閣下のものとなっていたのだぞ!」
「ええ~……、そんなご無体な……」
帝国人同士での争いを選んだのは、そのご主人様でしょうに。
わたしは振り下ろされた刃を避ける。マスケット銃を抜けば簡単に倒せるけれど、アレイスター派の騎士はひとりやふたりじゃない。対する鉛弾は一発だけ。
殺るならアレイスター伯爵だけれど。
人を撃ったこと、ないのよね~……。嫌だなぁ~……。あんな速度で斬り合う怪物に、当たる気もしないし……。
せめて剣が欲しい。剣さえあれば、コロセウムの外まで強引に逃げ切れるかもしれない。アルグレッドやアレイスター伯爵くらいの達人がうじゃうじゃいるなら、それも無理だけれど。さすがにあの水準の達人は早々いないだろう。
「わっ、ちょ──」
振り下ろされた刃を、身を引くことで躱し、薙ぎ払いをかいくぐり、わたしは転がりながら逃げ続ける。
この人たち本気だ。
時折、アルが庇うように入ってくれるけれど、アレイスター伯爵の追撃が激しすぎてすぐに距離が離れてしまう。
そのときだ。
「ルティリカ!」
カルディナの叫び声とともに、細剣がわたしの眼前に降ってきた。わたしはとっさにその柄をつかみ、振り下ろされた騎士の剣を受け流す。
シャララと金属が滑り、火花が散った。
カルディナが騎士に引きずられながら、自身の細剣を投げてくれたようだ。
なんで? なんかの罠?
「あなたはわたくしが必ず倒します! つまらないところで死んだら許しませんわよ!」
「……あんたの無駄に高すぎるプライドって、ほんと最高……!」
泣きそ。彼女の高慢ちきなプライドと、グッネグネにひん曲がった性格に救われたようだ。カルディナは再び騎士らに引きずられていってしまったけれど、細剣は残された。
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