第5話 顔面にイイのを一発入れられるチャンスかも
宮殿ですれ違う人々とは、これまで挨拶くらいは交わしていたのだけれど、みなわたしを避けるようになっていった。こちらから声をかけても、適当な愛想笑いで去っていくだけで、ひどいのになるとあからさまに無視をされる。
どうやら彼らにとってのルティリカ・バルティエは、お尻の軽ぅ~い悪のご令嬢ということになってしまったようだ。
ま、ガワだけ見れば、アルグレッドに婚約を破棄されたのにレンドールに取り入って、未だ宮殿内に居座っているのだから、そう思われても仕方がないのだけれど。
それでも、わたしとしても帰郷の途中でアレイスター派に襲われるのは避けたいし、言わずもがな、父の治めるレムリカまで帝都から睨まれてしまうのは困る。
本当にカルディナが次代の皇后陛下になったとして、帝都が今後どうなっていくかは興味の範囲外ではあるけれど、カルディナに憎まれているわたしのせいで故郷のレムリカにまで火の粉が降りかかるのは最悪だ。
共和国と帝国に挟まれた一大都市、レムリカ領主という名誉ある地位を、父がさっさとやめたがっていた理由が垣間見れた気がする。
辺境伯、領主というものは大変だ。もうちょっと優しくしてあげればよかった。ごめんね、髭。
あ~、めんどくさ……。
ふふ、何度目だ、これ考えるの。
確かに今は、ここに留まった方が安全だろう。それでアルグレッドとカルディナの婚姻を祝うという態度をズバっと見せてやれば、帰郷後にわたしにもレムリカにも火の粉はこないはずだ。
でもそれって、なぁ~んか腹立つなあ。
そんなことを悶々と考えながら、わたしは与えられた部屋のベッドで眠りにつくのだった。
けれども、この滞在自体が、レンドール殿下の計略にしてやられていたと気がつくことになる日は、そう遠くはなかった。
※
数日後、宮殿内でレンドール以外の全員から孤立していたわたしに、その原因となった当の本人であるカルディナからこんなお誘いがあったのだ。
ああ、本人といっても、わたしの部屋を実際にノックしたのは、彼女の取り巻きの子爵令嬢アディアと男爵令嬢ジリカだったけれど。
「武闘大会?」
文字の書かれた羊皮紙をわたしに差し出して、アディアが言った。
「ええ。ヘメリア宮では年に一度、女性だけの武闘大会が開催されますの」
ああ、これか。レンドールの言っていた帝都をあげてのお祭りというのは。
ジリカが言葉を継ぐ。
「フェリペ共和国との国境線を長年にわたり防衛していらっしゃった彼の名高きバルティエ辺境伯のご息女ともなれば、当然、ルティリカ様も貴族剣術を嗜んでいらっしゃいますわよね」
「いえ、まったく」
「え?」
どうやらわたしを出場させたいらしい。大方、カルディナかこのふたりのどちらかに武の心得があって、なかなかヘメリア宮から去ろうとしないわたしを、大勢の観覧貴族たちの前でやり込めて恥をかかせてやろう、といった魂胆なのだろう。
わたしは受け取った羊皮紙をひらひらさせながら、ため息交じりに呟いた。
「わたし、剣術なんて誰からも教わっていませんよ」
にべもなく返すと、ジリカが言葉に詰まる。
貴族剣術というものがある。貴族として生まれた者は男女問わず、そのほとんどが身につけるために学ぶ基礎剣術だ。
しなやかな細剣を抜いて名乗りを上げ、あくまでも優雅な足運びで、急所を狙って正面から正々堂々と剣を交わす、一種の模擬決闘。
騎士が実際に戦いに使う剣術とはまるで別だけれど、その基礎にはなり得るのだとか。
わたしも幼い頃に父から伝授されかけたけれど、あまりの興味のなさに早々に投げ出して、国境の山へとよく逃げ込んだものだった。
やがて呆れ果てた父は伝授をあきらめたから、結局は教わらなかった。おまえは魔術の才能がないのだから、せめて剣術を覚えなさいと叱られたのが最後だ。
アディアが口を開いた。
「ご安心くださいな。大半の出場者は剣術未経験の若い婦女子ばかりですから」
「はあ……」
「本来の趣旨は、女性特有の華やかさで皇帝陛下や殿下を楽しませるというもの。ですから出場者は女性に限られていますの。一種の演舞のようなものだと思ってくださいな」
ジリカがアディアの言葉を継いだ。
「そ、そうです。ほとんどの宮女や、中央貴族の娘であるわたくしたちも出場する予定ですのよ。わたくしなんてアカデミアで剣術の覚えはありましても、ドレスのまま出場するつもりですから」
ジリカはドレスのまま。
なるほど。そういうことか。
つまりこれは、ヘメリア宮内で行われる大規模な婚活でもあるようだ。さらに言えば、殿方に自身をアピールする場でもあるということだ。
宮女にとっては見学者である貴族の子息に見初められる機会であり、貴族の息女にとってはアルグレッドやレンドールに限らず、王侯一族に取り入る機会でもある。
だから強さ弱さは関係ない。か弱い女性を守ってやりたいと考える男もいれば、強い女性に惚れる男もいるのだから。
とにもかくにも、異性に自身を知ってもらう場、というわけだ。
もうすぐ帝都を去る身のわたしにとっては、未来になんのメリットもないのだけれど。
「……ちょっと聞きたいのだけど」
「はい?」
ジリカが首を傾げた。
「わたしがこれをお断りしたら、あなたたちは困ることになる? 具体的にはカルディナに叱られたりするの?」
「う……」
ジリカが苦笑いを浮かべる。アディアは苦虫を噛み潰したような顔だ。
別にふたりを助けてあげるつもりはないけれど、これはカルディナの顔面にイイのを一発入れられる唯一の機会かもしれない。狙われているかもしれないといっても、出場者であればアレイスター派もそうそう手は出せないだろうし。
「……まあいいでしょう。参加します」
ジリカは笑みを浮かべて、アディアは胸をなで下ろした。
どうやらカルディナは、取り巻きにも我が儘放題のようだ。友情や尊敬ではなく、腫れ物に近いのかもしれない。
ふたりの立ち去り際、ジリカだけが走って戻ってきた。
「ルティリカ様」
「なに?」
ジリカはアディアがすでに去っていることを確かめるように廊下を見回し、小声でわたしに告げる。
「出場された場合、おそらくルティリカ様は一回戦でカルディナ様とあたります」
「参加用紙にはクジって書いてたけど。いんちき?」
「えっと、そこは、まあ……。でも問題はそれじゃなくて、カルディナ様はアルグレッド殿下のことであなたに目を付けていますから……その……容赦はしてくださらないかも……」
どうやらカルディナは、わたしが彼女以外の者と当たって敗北、脱落してしまう前に、直々に自分の手で痛めつけ、大勢の見物客や王侯貴族の前で恥をかかせるつもりらしい。
あいつ、ほんと性根から腐ってんなあ。
「なので、適当な段階で剣を弾かれたふりをして手放し、彼女の勝利を称えてください。そうすれば騎士の礼儀に則って、追い打ちまではされなくなると思いますので」
「なんで? せっかく出るんだから、がんばっちゃだめなの?」
「カルディナ様の貴族剣術の腕前は、平民も含めたアカデミア女子の中では随一のものでした。男子混合の試合でも、三位入賞されているのです。長引けばルティリカ様が怪我を負う可能性が出てきてしまいます」
帝都のアカデミアには、貴族と平民、合わせて一千名が在籍している。うち半数が女子なのだとしたら、かなりの腕前であることが予想される。
才色兼備というやつだ。性格だけが伴わなかったようだけれど。
「そうなんだ。うん。わかった。ありがと」
「それでは」
ジリカは素早く頭を下げると、早々に走り去っていった。
どうも悪い子ではないようだ。確か、男爵家の令嬢だったかしら。おそらく伯爵家に取り入るため、両親あたりからカルディナの付き人をしろと言われている、といったところだろう。
ちなみにわたしは貴族剣術は使えないけれど、剣は使える。だって、でたらめに振り回すだけなら、誰にだってできるもの。
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※次話は0時頃に更新予定です。