第4話 隠すならもう少し気をつけた方がいい
現在このヘメリア宮は、大別してふたつの派閥に分かれている。
現皇帝陛下ウィリオン・マクドガルを先代から支える文官らと、軍事の統括であるカイデン・アレイスター伯爵を支持する新進気鋭の若き武官たちだ。
クーデターでも起これば武官を押さえられた陛下に勝ち目はないし、両派のぶつかり合いによって疲弊したヘメリア帝国は、国境の街レムリカと接する隣国、フェリペ共和国によって攻め込まれることも予想されている。
それゆえにアレイスター伯爵もまた、動けずにいた。
そこでカイデン・アレイスターが取ったのが、陛下の後釜になるとされているアルグレッド殿下を身内に抱え込むという策だ。つまり娘であるカルディナを、アルグレッドの妻にすること。
むろん、その後には陛下の暗殺なども含まれているのかもしれないが。いずれにせよ帝国の保有する戦力を同士討ちで削ることなく、帝国民から疎まれることもない方法があるとするならば、それは政略結婚しかなかったというわけだ。
わたしがレンドール殿下から聞かされた話は、要約するとそんな感じだった。
レンドール殿下は紅茶を啜りながら、ぽつりとぼやく。
「このような身でなければ、あのお嬢さんを押しつけられていたのは私の方だったのだろうな。弟には気の毒なことをした」
「はあ……」
「もっとも、本当に気の毒なのはカルディナ嬢の方かもしれぬ。おそらくはアレイスター卿より何も知らされぬままに利用されているのだから」
「そっちはざまあみろですけど?」
「ふふ」
殿下が調理場から失敬してきたらしいクッキーを、私に勧めた。わたしは遠慮なく摘まんで食べる。
クッキーといい茶葉といい、材料が高価なだけで、こんなにも変わるのかという味だ。物珍しさもあってのことか、とてもおいしく感じられる。
「それをどうしてわたしに?」
「アルグレッドを救ってやって欲しいのだ」
わたしは、仲良く腕を組んで去っていったふたりを思い出す。
「…………弟さん、寄せて上げた脇肉をカルディナに押しつけられて、鼻の下ビロンビロンに伸びてましたけどー?」
「その言い方よ……」
「失礼。殿下がとても話しやすい殿方でしたので」
わたしは紅茶を片手に、彼に微笑みかけた。
口には出さないけれど、現時点ではレンドールの方が遙かに好印象だ。
「ふふ、キミのような女性は初めてだ。貴族の子女にも宮女にもいなかった」
「光栄です」
「恐縮ではなく?」
「ええ。お褒めにあずかり光栄です。だってそれがわたしですもの」
わたしたちは同時に噴き出し、笑った。
ひとしきり笑ってから。
「ですが、わたしにできることなどありませんよ」
「そうかな」
レンドール殿下がソファに座るわたしの下半身に視線を向けた。いつも通りのぺたんこスカートだ。それを不躾に、じろじろと見るなんて。
不埒な目的があるか、あるいは──中に隠しているものに気づかれたか。
「……あの、殿下?」
「キミがパニエをつけていない理由は?」
ええ~……。
後者のようだ。
「わかります?」
「立っているとまるでわからないが、座ると少し不自然になっている。初日に顔合わせをしたときから、そうじゃないかと疑っていたよ」
「嘘でしょ……。これまで気づかれたことなんてなかったのに……」
「いまのいままで半信半疑ではあった。よもや陛下への謁見に武器を隠し持つなどと、アレイスター卿でさえしない愚行だからな。確信を得たのはつい先ほどだ。肩を借りたときに、申し訳ないが確かめさせてもらった」
ちょ……。
「頬を撲たれるのを覚悟してキミのコルセットの下──ん、んん、足の付け根あたりから大腿部までをまさぐってみたのだが、呆れたことにキミは一切反応しなかった。隠すならもう少し気をつけた方がいい」
「…………不感症でして」
レンドール殿下が目を細めて微笑んだ。
「未婚の女性がそのようなことを口に出すべきではないな。それに、ずいぶんと硬い足だった」
「鍛えていたもので」
殿下が紅茶のカップを優雅に傾けた。
「それでいい。ヘメリア宮内では護衛や騎士を除き、武具の所持は本来禁止だからな。誰に聞かれてもそうこたえろ。まあ、それはさておき、キミがそういう女性で私はむしろ安心したくらいだ」
少し考えてから、わたしは口を開く。
「わたしにもアレイスター派からの魔の手が迫っていた、ということですか?」
「それはどうかな。ああ、誤解するな。はぐらかしているわけじゃない。本当にわからないんだ」
わたしはパタパタと顔の前で手を振った。
「ないですよ、ない。ましてや今はもう、婚約者レースからも脱落した身ですし」
「どうかな。アルがキミを案じて意図的に婚約破棄をしたと、私は考えている。だとすれば、キミは婚約者レースから完全に脱落した身とは言い難い」
「それ、弟さんを買いかぶりすぎでは?」
鼻の下アホグレッドですよ、とまでは、さすがに付け加えない。
「だとしてもだ。私がそう考えたということは、アレイスター卿もまたその思考に行き着く可能性がある。そうなれば、レムリカまで帰郷する道中だって安全とは限らない」
「……い、言われてみれば……」
「すべてはアレイスター卿の考え方次第だからな。そうでなくとも、念には念をと、仕留めにくる可能性はそう低くはないぞ」
わたしはようやく自分の立場を理解できた。
話の全貌が見えてくるにつれて、寒気が増していく。
いや、怖いわ。
何が怖いって、アレイスター伯爵もだが、レンドール殿下の視野の方がよほど怖い。
病弱な天然系の陰キャ野郎かと思っていたのに、とんでもなく先見の明の立つ頭脳明晰な企み男だ。完全に見誤っていた。
けれどおそらく、彼の言うことは正しい。
「レンドール殿下は、いずれはアレイスター伯爵が武装蜂起するとみているのですか?」
「旧敵であるフェリペ共和国との件もあるから、おそらくそれは最終手段だろうな。武装蜂起では帝国の疲弊は免れない。そうなると、共和国に攻め入る隙を与えてしまうことになる」
共和国が帝国に戦争を吹っ掛けてきたら、さすがにわたしも困る。
なぜならその最前線にある街こそが故郷レムリカであり、先鋒となって戦うのが辺境伯である我が父、領主レイノルド・バルティエなのだから。
「ただ、手段として用意しているのは確かだ。昨今、帝都に出入りする武器商人の数が増えているのだが、我々マクドガル派の諸侯はもちろん、調べてみたところ民間の武器屋にも大規模な取引実体はなかった」
アレイスター派に全部流れちゃったってことか。
うへぇ、剣呑剣呑。ほとんど確定だわ、こりゃ。
「アレイスター卿にとってはカルディナがアルグレッド殿下を籠絡できればそれが最善。失敗した場合には、どこかの段階で武装蜂起ってところですか?」
「おそらくな。こちらは皇帝陛下を擁するマクドガル派といえども、武に疎い文官が多い。突発的な正面衝突での鎮圧は、正直言って難しいだろう」
「武器と人を揃えて準備をなさっては?」
レンドール殿下がため息をついた。
「簡単に言うな。武装蜂起の日時がわかっていればそうするが、いつ起こりうるかもしれん日に備えて毎日警戒などしている暇は、政務に携わる文官にはない。普段は軍部よりもよほど忙しいのだからな」
「それもそうですね」
無理にそんなことをしても、味方の精神が摩耗するだけだ。
「それで。わたしがあなたの思っている通りの人間だったとして、何をさせたいのですか?」
「させたい? 私は何も強制しない。ただの保護だ」
「保護?」
「しばらくの間、ここにいてくれるだけでいい。食客としてな。それが今現在のキミに取れる、最も安全な選択肢だというだけの話だ」
まあ、確かに。
「でも、退屈なのよね、ここ」
「もうすぐ帝都をあげての、とある祭りが執り行われる。それでも見て気を晴らすといいだろう。もうアルの婚約者ではなくなったのだから、門衛も通してくれるさ」
「あ、そっか」
わあ、楽しみ!
「ただし、行くなら護衛はつけるべきだ。なるべく多くのな」
「う……やめときます……」
「ふふ。それがいい。まあ、祭り自体は窓からでも見えんこともない。コロセウムで行われるからな」
そう言って、レンドール殿下はにっこりと微笑むのだった。
案外、いいやつなのかもしれない。
そんなわけで、食事の時間になるたびに、わたしはレンドール殿下の部屋を毎回訪れるという暮らしになった。
おそらくその姿が、誰かに見られてしまったのだろう。
その数日後からだ。
宮女や騎士、宮殿に出入りしている貴族たちの間で、アルグレッド殿下に捨てられたわたしが、妥協して病弱なレンドール殿下に乗り換えたらしいという噂が流されたのは。
まあ、十中八九、カルディナの仕業よね。
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※次話は21時頃更新予定です。
 




