第3話 この私をはね除けられない女性はいない
それからさらに数日が経過した頃。
どうやら誰かがアルフレッドとわたしの関係について、カルディナに口を滑らせてしまったらしい。わたしに対する彼女の態度が、ある日を境に激変したのだ。
わざわざ他者がいる前でわたしの服装や髪型をなじって嘲笑を誘い、誰もいないところでは足を引っかけられたり、すれ違い様に取り巻きに水をかけられたりもした。
ひどいときには、部屋に戻ると、ドレスがずたずたに引き裂かれていたりもした。犯人はもちろんカルディナ一派だろうけれど、証拠がない。
でもさすがに着衣が減るのは困るので、わたしは護衛騎士に「あらあら、賊の侵入かしら」という体で報告を上げておいた。その注意喚起はすぐに宮殿内に広まり、見回り騎士の数も増やされた。
少なくとも不法に侵入しての悪戯は、これで牽制できるだろう。
そんな中でもアルグレッドは、あいかわらずわたしの部屋を訪れることはなかった。
それどころか時折カルディナとその取り巻きを伴い、宮殿内を闊歩する姿を目撃した。一番腹が立ったのは、アルグレッドと数名の護衛、そしてカルディナが、宮殿の正門から入ってきたときだ。
わたしはヘメリア宮の外に出ることさえ許可されていないのに、どうやらカルディナはアルグレッドとともに漫遊を楽しんできたらしい。
見かけたわたしに駆け寄ってきて、聞いてもいない土産話を散々して、いかに自身とアルグレッドがうまくいっているかを言うだけ言って、彼女は去っていった。
すごい、まるで嫌味の嵐みたい。
アルグレッドはそれを微笑ましく見守っているだけだった。
あいつ、ほんとバカ。イラつく。宮女や貴族の子女たちに問いたい。どこがいいの、こいつの。
そして、待ちに待った日が、ついにやってきた。
わたしがアルグレッドの部屋に呼び出されたのだ。彼の部屋には、なぜかカルディナがいた。だからわかった。これから告げられることの内容が。
言え。ほら、言え。早く。
アルグレッドが言いにくそうに口ごもり、そしてついに。
「すまない、ルチカ。キミとの関係は──」
「──婚約破棄ですねっ!?」
ッシャオラァ! ようやくよ!
「え、あ」
先に言ってやった。もう一秒だってこの関係を続けていたくはなかったから。てか早よ帰りたい。だって退屈なのに面倒だとか、最悪じゃない。
こぼれそうな笑みを隠して、わたしは口を開けた。
「わかりました残念ですわそれでは失礼します殿下。……んふっ」
「……すっごい早口……」
わたしはアルグレッドに形式的な挨拶だけをして、さっさと部屋を出る。
足取りは軽い。たぶんレムリカまで馬車で送られるのだろうけれど、せっかくの機会だ。馬を一頭もらって、ひとりでのんびり旅をしながら帰ろう。温泉とか寄ろう。
そんなことを考えながら自室に戻ろうとすると、途中の廊下でレンドール殿下とばったり会ってしまった。
宮殿に上がって、初日に挨拶を交わして以来だ。
「おや? キミは弟の──」
あいかわらずの顔色。白を通り越して、青ざめて見える。
物腰は穏やかだが、痩せぎすで、あきらかに健康体には見えない。弟とは違って長めの髪色は艶のあるダークブラウンだけれど、あのアホグレッドと兄弟だけあって顔は恐ろしく整っている。精悍な男性というよりは女性的な整い方だけれど。
「レンドール殿下。このようなところにいて平気なのですか? お体の具合は?」
「ああ……」
あまり良くはなさそうだ。
呼吸が苦しそう。胸を押さえて、壁を背にして立っていらっしゃる。なるほど、カルディナの言う通り、歩くだけで息切れしている。
「肩をお貸ししましょうか?」
「すまないね。頼めるかい?」
わたしはレンドール殿下の脇腹に入って、自身の肩に彼の腕を乗せた。
そうしてゆっくりと歩き出す。彼は足を引きずるように。わたしは彼に歩調を合わせて。
「殿下はこのようなところで何をされていらしたのですか?」
「ん? ……ああ。調理場から戻る途中だったんだ」
「調理場?」
レンドール殿下が破顔した。
「多くを一気に食べることができなくてね。時々こうしてつまみ食いにいくことにしているのだ。運動も兼ねてな」
あらぁ、ちょっと親近感! つまみ食いは至福の味わい!
「一国の皇子なのにそのお行儀よ……」
「ははは。キミは相手が皇族でも、はっきり言うのだな。でも、料理長は知っていることだ。だからいつも小皿を用意してくれている」
「そ、そうですか。失礼しました」
「かまわない。それで、ルティリカといったか。キミは? 弟の部屋にいたようだが、どうかしたのか? ずいぶんと険しい顔で出てきたみたいだが……」
婚約破棄されて喜んでいたはずなのに、どうやらわたしの顔は険しかったらしい。
でも誓って嫉妬じゃない。アホグレッドとカスディナに腹が立っていたからだ。うん。
「……あ~……。あはは、婚約破棄をされちゃいました」
何だろう。口に出すと、さらにイラついてきた。
可能であるならば今から取って返し、あいつらの顔面に一発ずつイイのをキメてから帰りたいところだけれど、さすがに不敬罪と暴行罪のいいとこ取りで捕まってしまっては、帰れなくなってしまう。
我慢だ、わたし。
「原因はカルディナ嬢か?」
「はい」
「なるほど。そういうことか。ならばもう少し、宮殿に留まってはもらえないか。そうだな。名目は私の食客でいい。明日からは食事をともに摂ろう」
滞在期間が延びるのは嫌だな。
「なぜです?」
「誰かと食べた方がうまいだろう? ああ、私はこういう身だから、いつも食事は自室でひとりで摂っているのだ。せっかくの料理なのに味気なくてな」
「や、そうではなく、なぜわたしが留まらないといけないんですか?」
一刻も早く帰りたいのだけれど。
レンドールは口元にシニカルな笑みを貼り付ける。
「弟がキミとの婚約を破棄したのは、おそらくキミの安全を確保するためだからだ」
「わたしの?」
「カルディナ嬢には──いや、アレイスター伯爵には気をつけた方がいい。彼に軍事を任せたのは、我が父最大の失策だ。父はアレイスター卿ではなく、キミの父上であるバルティエ卿を選ぶべきだったのだ」
んん? すごいこと言ってない? 皇帝陛下の失策ですって!
あれれ? 退屈だった暮らしなのに、なんかちょっとおもしろくなってきたぞ?
「詳しくお聞かせいただいても?」
「かまわんよ。キミにはそれを聞く権利があるからな。だが、ここでは人の目がある。婚姻前の美しいお嬢さんを誘うのは少々気恥ずかしいところだが、私の部屋で少し話せないか?」
「……かこつけて変なこと考えていないなら」
せっかく無事に帰れるのだから、最後まで貞操は守っておきたい。
「ふふ、言うね」
婚約を破棄されてしまったわたしに怖いものはない。
言いたいことは言う。それだけ。
「ええ。生まれつき口さがないもので」
「はは、いいね。安心材料としては、そうだな、こういうのはどうだ? この私をはね除けられない女性はいない」
そんなことを言いながら、レンドールは気障に片目を閉じる。
ん~。まあ、それもそうか。
腕とか、私より細いし。それはそれで切ないけど。
「そうですね。わかりました」
「…………男として、そこは否定して欲しかったなあ……」
殿下が蚊の鳴くような声を震わせながら、切ない表情で上を向いた。
あちゃあ、失敗しちゃった。
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