第2話 パンケーキみたいに膨らんだスカート
宮殿にて、皇帝陛下とレンドール殿下にご挨拶をさせていただいたあとは、待てど暮らせど、夜にアルグレッド殿下がわたしの部屋を訪れてくることはなかった。
最初の頃こそ、夜がくるたびに緊張して吐きそうだったけれど、どうせこないとわかってからは割と気楽になってきた。
そしてひと月が経過した。
本を読んで、お昼寝をして、宮女とお茶を嗜んでいるだけで、豪勢な食事が出てくる。この何不自由のない暮らしが、わたしにとってはとても退屈スパイラルでストレスフル。せめて街に繰り出そうとしても、門衛がそれを許可してくれない。
「皇后になられるかもしれない御方を守ることが、我々の仕事なのです」
わたしは門衛の青年に愚痴る。
「なんなの、ここ? 好待遇な牢獄なの?」
「はあ。そうは申されましても、これは殿下のご命令でもありますから」
「アル? それともレンドール殿下?」
帝都への馬車の中で、アルグレッドはそう呼べとわたしに言った。
「アルグレッド様です」
「ちっ」
「いや舌打ちて……」
へいへい。ごめんあそばせ。
仕方なく、わたしは宮殿内に戻る。
そのとき、ちょうどアルが数名の身なりのよい少女ら三名を連れて通りかかった。玄関広間でわたしを見つけたアルが、こっちに近づいてくる。
「やあ、ルチカ」
「そう呼ぶことを許可した覚えはありませんが」
「僕のことはアルと呼んでくれたのにかい?」
「そう呼べと命じられたのはアルでは? 何でしたら、いつでも殿下にお戻ししますよ」
「はっはっは、殿下はよしてくれたまえ。僕たちの仲じゃあないかあ」
どういう仲よ。婚約者として呼びつけるだけ呼びつけといて、一ヶ月も放っとくだなんて。腹の立つ。イケメンなら何をしてもいいわけではないのよ。
ブスくれているわたしに気づいたのか、短い金色の髪を掌で撫でて、アルは苦笑いを浮かべた。
「あ~、すまない。ご無沙汰してしまっていたね」
「別に」
イラっときたのは、この状況、まるでわたしが拗ねているみたいだからだ。別にアルのことを好きになって宮殿にきたわけじゃないのだから。
彼の背後に控えていた銀髪巻き髪の少女が、ムッとした表情でわたしを見る。
「アル様、こちらの御方はどなたでしょうか。見たところ宮女のようですが、それにしては殿下に対する言葉遣いや礼儀というものをご存じない様子」
色白で、まるでお人形さんのように可愛らしい少女だった。
今朝食べたクロワッサンのような巻き髪を揺らし、両手を腰にあててブルーサファイアのような瞳でわたしを頭のてっぺんからつま先まで視線を動かして。
「…………ふふん……」
臭い虫でも見つけたかのように、思いっきり顔をしかめた。
わお。感じ悪ぅ~い。
アルが若干慌てたように口を開けた。
「カルディナ嬢。彼女は宮女などではないよ。歴とした貴族の子女さ」
「貴族? あなたが? 貴金属のひとつもつけず、髪は伸ばしただけ。ドレスのスカートはぺたんこで、香水もつけていらっしゃらないご様子ですのに? 一体どこの田舎貴族ですの?」
大きなお世話。髪を巻いてもクロワッサンのように食べられるわけではないし、パンケーキみたいに膨らんだスカートでは有事の際に引っかけるのが関の山だ。それに香水は身を隠すに向いていない。
レムリカを囲む山々だったらもう死んでる。こいつ。
わたしがこたえようとすると、彼女は手で制して先に話し始めた。必死で寄せて上げて作ったと思しき、ドレスの胸の谷間に手を置いて。
「ああ、失礼。出自を尋ねるならばこちらから、ですわね。わたくしはカルディナ・アレイスター。帝都中央にて軍事を統括する伯爵家の娘です。本日は殿下のお茶会にお呼ばれして、宮殿にきましたのよ。それで、あなたは?」
伯爵家かぁ~……。めんどくさ……。
中流貴族であることをすっごく誇りに思っていそう。でもなあ、辺境伯は侯爵位相当だから、わたしの方が上流にあたるのよね。
それにアレイスター伯爵の逸話は父からよく聞かされたもの。
卓越した剣術のみならず、もともと魔術方面にも深い造詣を持っていた伯爵は、庶民のための盗賊・魔物退治が認められ、伯爵位でありながらヘメリア帝国の軍事を一手に引き受ける地位にまで上り詰めた傑物である、と。
キィ、うらやましい。ハンカチーフを咥えながら、父レイノルドはそう付け加えた。
アカデミア時代のライバルだった父と伯爵は、剣術でしのぎを削った仲だったそうだ。本当かどうかは知らないけれど、当時は父の方が強かったらしい。
片や最前線の地方領主に飛ばされ、片や中央軍事を一手に引き受ける地位に抜擢とは。ずいぶんとまあ差がついたものだ。
地位はバルティエ家が上だけれど、帝国にはアレイスター家の方が重用されている。だからこそ余計に面倒くさい。
まいったな。
聞かれたからには、こたえないというわけにもいかないし、なるべく事を荒立てたくはないのだけれど。
ここは穏便に。
わたしは微笑みを浮かべ、スカートを摘まんで膝を少し曲げる。
「レムリカ領主、バルティエ辺境伯の娘、ルティリカ・バルティエです。宮殿には最近上がったばかりですので、田舎貴族の身。至らぬことは多々ありますが、どうぞご教示ください」
「バル──!?」
カルディナが言葉に詰まった。その取り巻きらしき少女らも、わたしとカルディナの合間で視線を泳がせている。
そうなるよね~。両家の関係性は、極めてややこしいのだから。
「ま、まあ、宮殿の出入りに関しましてはわたくしが先ですし、仕方がありませんわね」
何が仕方ないのだろう。
ん?
「カルディナ様はヘメリア宮に出入りして長いのですか?」
「ええ。父の職場でもありますし。ルティリカは?」
そっちは呼び捨てかあ。ま、同い年くらいだしね。これくらいはね。
宮殿にはすでに住んでいる。そう言えば角が立ちそうだ。嘘をつくことと黙っていることは、必ずしも同じではない。
「わたしはごく最近です」
「ふふん」
カルディナはレンドール殿下の婚約者だろうか。これと姉妹になるのは面倒くさそうだ。ああ、宮殿に上がってから、何度面倒くさいと思ったことだろう。
一応、彼女のことも聞いてみるか。
「カルディナ様は、レンドール殿下とご婚約を?」
「は?」
カルディナが一瞬ぽかんとした顔をした。直後、取り巻きふたりと同時に噴き出して大笑いをする。
パン、と両手を合わせて。
「うふ、うふふ! あはは、まさかっ! レンドール殿下は陛下の後を継げないほど病弱な御方ですもの。気の毒ですけれど、歩いているだけで息切れをなさるようでは、国家元首どころか妻を娶る余裕もありませんでしょう?」
どうにもこのカルディナ、人を不快にする作法が身についていらっしゃる。病弱であることは本人の問題ではなかろうに。
「ということは……?」
わたしはアルを睨む。
すっと視線を逸らされた。
こいつか~。こいつがカルディナを呼んだのかぁ~。
それを裏付けるように、カルディナが張った胸に右手をあてた。
「もちろん、アルグレッド殿下のため、宮殿に参じましたに決まっていますでしょう。だから、あなたは侯爵家の令嬢かもしれませんが、わたくしは将来的には皇后になりますの」
にんまりと笑って。ご丁寧に、取り巻きふたりも同じように。
アルグレッドは否定しない。すっとぼけた表情で。
「それまでは、ルティリカ。よきお友達でいましょうね~。──そ・れ・ま・で・はっ」
アルに呼ばれたのは、わたしもなんだけどね……。
カルディナではなく、わたしはアルグレッドを睨む。
おい、こっち見ろや、色男。目ぇ逸らしてんじゃないよ。この腐れ色男が。ハゲろ。明日までにハゲてしまえ。
「それでは、ごきげんよう。──行きましょう、アル様」
「あ、ああ。そうだね」
カルディナがアルグレッドの腕に両腕を絡めて胸を押しつけ、こちらに勝ち誇った視線を向けながら去っていく。
少し迷ったけれど、わたしは自身もまたアルグレッドに呼びつけられたことを彼女には言わなかった。
だって面倒だから。この婚約を破棄されたらされたで、故郷であるレムリカに帰れるし。
馬とともに野を駆け、山の恵みを採取し、川の流れに足を浸して、領民の子供たちの笑顔に囲まれる。わたしは貴族だけれど、レムリカでのそういう暮らしだけは、とても気に入っていたのだから。
両親はしょんぼりするだろうけれども。
父よ……。
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