第10話 緊張感死んでる人は黙ってて
カルディナの細剣を強く握る。名剣とは言っても、やっぱり細剣じゃ軽くて頼りない。でもいまはこれが命綱だ。
わたしは騎士の横薙ぎを屈んで躱し、細剣の切っ先を具足の隙間へと突き入れる。
「ぐあっ!?」
騎士が足を押さえて転がった隙に逃走を図るも、すぐさま別の騎士たちに囲まれた。剣の雨が降る。
「わっ、きゃっ! ちょ!」
右へ、左へ、ステップで躱し、斬り返す。けれど鎧の表面を削り、火花を散らすだけ。とてもじゃないけれど、激しく動きながらじゃ鎧の隙間なんて狙っていられない。
身を引いて横薙ぎをやり過ごし、すぐさま間接部めがけて刺突を繰り出すも、わずかにブレた切っ先のせいでまたしても金属音だけが鳴り響く。
「ガキが……ッ!」
だから細剣って嫌い! 貴族剣術なんて糞食らえ! 幅広の剣なら鎧ごとぶん殴れるのに!
だめだ。いや。
──鎧の弱点は敏捷性と視界の狭さだ。
「この小娘、猫のように素早いぞ!」
「気をつけろ! 後ろだ!」
「囲め!」
父の言葉を思い出し、わたしはそれこそ猫のように、可能な限り身を縮めながら低空を走る。
「む!? どこへ──!?」
「消えたぞ!」
「下だマヌケめ!」
もはやスカートが破れているだとか、下着がどうのこうのと言っていられる状況ではない。
騎士の具足の継ぎ目に刃を滑らせ、その背後にいた騎士に体当たりをする。ガシャン、とけたたましい音がして、騎士が背中から倒れた。
「ぐあっ!?」
「よし!」
コロセウムの東側通路へと逃げ込もうとすると、なぜかアルがわたしの襟首をつかんで引いた。
「ぐぇ……! このアホグレッド、何すん──の……」
ブォン、と音がして、すぐ眼前のちょうど首の高さあたりをロングソードの刃が通過した。アレイスター伯爵の斬撃だ。
「……どうも」
「はっはっは。アホグレッドか。まあまあ、婚約者の僕を置いて、ひとりで天国まで逃げないでくれたまえよ。寂しいじゃないか」
「元でしょ、元・婚約者!」
何なの、この人も~……。
助かったけど……。本人にアホグレッドとか言っちゃったし……。
足が止まったせいで囲まれてしまった。わたしは仕方なく、アルと背中を合わせる。
アルグレッドの正面にはアレイスター卿。そして無数の騎士たち。わたしの正面には、まあ、騎士が十名くらいかしら。
無理! 無理無理無理無理! 絶体絶命!
だって運良くこいつらを倒せたって、観客席にはまだまだアレイスター派の騎士がいっぱいいるんだから!
王侯席も限界に近い。護衛騎士の数がもう数えられる程度にまで減ってしまっている。
わたしは初めて実感した。
あ。これ死ぬやつだ、と。
アルグレッドに帝都まで連れてこられなければ。
レンドールの口車なんて無視していれば。
後悔したってもう遅い。
防ぐ。防ぐ。防ぐ。
カルディナの名剣とはいえ、何度も何度も騎士たちの使う幅広のロングソードの斬撃を受け止め続けた細剣は、いまにも折れ曲がってしまいそうになっている。
鎧の継ぎ目を狙って裂いても、刃が欠けてしまって思うように効果が得られない。救いがあるとすれば。
「──ぐ!」
さっきからアルがわたしを庇ってくれていることくらいだ。でも、そのせいでアレイスター伯爵の斬撃を防ぎきれなくなって、彼ももう傷だらけだ。
動くたびに汗と、そして真っ赤な血がコロセウムの地面に散っている。
「アル、逃げよう! わたしとあなたなら、コロセウムくらいは突破できるかもしんない!」
「僕はこの国の皇子だからね。そういうわけにもいかないのさ。まだ陛下もいらっしゃるしね」
アルグレッドはボロボロになっても、なぜか爽やかだ。
「この脳筋バカ! 状況わかってんの!? あんたが生きてさえいれば、マクドガル派は蘇るでしょうが!」
「それはどうかなあ」
アルグレッドがアレイスター伯爵の斬撃を受け止め、わたしへと迫っていた騎士を蹴った。よくあの伯爵を相手にしながら、他人に気を配れるものだ。何度も何度も、身を挺してまで。
ほんの少し、死なせるには惜しい気がした。だから。だからなの。
言いたくはなかったけれど、わたしはあえてキツい言葉を彼に投げかける。
「それに陛下は、どう見てももう救えない!」
「いや、救うさ。必ずね」
アレイスター伯爵がロングソードを振り上げて、鼻で笑った。
「フ、この期に及んで世迷い言ですかな、殿下。ヘメリアの太陽とまで言われた貴男が、少々みっともない。潔く、あきらめるがよいでしょう」
その剣を受け止めたアルグレッドの剣が、ついに砕けた。力量が互角なら、剣が勝敗を決める。
「それでは──」
「~~ッ」
伯爵の殿下への追撃を、わたしは横から入ってとっさに細剣で打って払う。
「~~ッ!?」
火花と衝撃が散った。まともに受けずにちゃんと払い除けたのに、全身が持って行かれるかと思った。それほどの重さだ。
アルのバカ、よくこんな怪物と互角に打ち合っていたものだ。それも、わたしを庇いながら。
「おー、やるね。助かったよ、ルチカ」
「もううるっさいっ、緊張感死んでる人は黙ってて!」
じん、と腕が痺れた。
あたりまえだけれど、カルディナとは重さが段違いだ。まるで森のオーガのような力。さらに卓越した技量と、四足獣並の速度と、賢人の知恵と、多くの配下を併せ持つのだから、手に負えない。
だめだ。アレイスターは父様級の剣士だ。わたしが全力を出しても勝てそうにない。それ以前に、さっき受けた腕の痺れさえ取れない。
伯爵が迫る。でかい。でかく見えちゃう。怖すぎ。涙出てきた。
「バルティエの小娘。まったく、貴様ら一族はどこまで私の邪魔をするのか」
次は受け流すことさえできるかどうか。
斬撃を払ったときにわかったの。細剣の刃が死んだ。そもそも細剣は刃同士をぶつけ合わせられるような武器ではないのだから。次は受け流せたとしても、確実に折れる。
どうする? どうしよう? やるしかないやるしかないもうやるしかない!
アレイスター伯爵が再び剣を持ち上げる。アルがわたしを庇うように立ちはだかった。その剣が振り下ろされる直前、わたしは細剣をあえて手放し、破れたスカートに手を入れる。指先に当たるは、重々しき鋼の感触。マスケット銃だ。
アルが目隠しになってくれている。アレイスターからはわたしが何をしようとしているか見えていないはずだ。だから、必ず命中する。
ガーターベルトから銃を抜いてアルの背中から側方へと飛び出したわたしは、伯爵の額に照準を合わせる。
そのときに初めて見せた、アレイスター伯爵の驚愕と絶望に満ちた顔。
「──っ」
なのに、わたしは。
引き金を引くことを躊躇った。魔物ではない。人を殺すことを躊躇った。指先が震えた。その一瞬が命取りだった。
加薬が炸裂する。
わたしが伯爵の額へと撃った鉛弾は、一瞬早く頭部を庇うように下ろされた伯爵の剣の刃を根元から砕き、彼から得物を弾き飛ばすだけに留まってしまった。
しまった……!
アレイスター伯爵が憤怒の形相で吼える。
「いい加減にしろッ、小娘~~ッ!!」
と、父様恨まれすぎ! この人に何したの!?
伯爵は折れた剣を投げ捨てると、すぐさま隣の騎士から剣を奪って。
わたしの頭部へと、剣を振り下ろす。
だめだ。死んだ。
そう思った直後、血まみれのアルが伯爵の両腕をガッシリとつかんだ。ふたりの男が、互いに憤怒の形相でにらみ合う。
「誰を狙っているんだッ、アレイスターッ! 僕を見ろッ!!」
「小癪な死に損ないが……ッ」
伯爵の視線が、再びわたしからアルへと引き戻された──瞬間、ほとんど無意識にわたしは動き出していた。
それこそ、森の魔物や野獣のように。しなやかに。
全身をひねりながら高く高く跳躍し、左足を軸にして、裂いたスカートの隙間から後ろ回し蹴りを繰り出す。
全身全霊、最後に残った渾身の力を絞り出すように、右足に集中して。
「はああああッ!!」
ガツン、と右足の踵に重々しい衝撃が走った。
振り、切るッ!
アレイスター伯爵の顎が跳ね上がり、彼の首が捻れ上がった。汗と唾液と血液が、飛沫となって散る。
「がッ!? くか……ッ!!」
「アル!」
その隙をアルは見逃さない。わたしが名を呼ぶより先に、彼はもう動いていた。
「おおっ!!」
片手でアレイスターの首をつかんだまま地面に叩き伏せ、もう片方の手で剣を奪って素早くその喉元へと突き下ろす。
「~~ッ!?」
「──」
けれど、寸止め。
アルグレッドはアレイスターの喉元へと切っ先を押し当てながらも、その手をぴたりと止めていた。
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※本日の更新はここまでです。
もうすぐ完結します。




