逃避行
逃避行 ~ Run&Run! ~
ダンジョンの一隅、私は、半ば乾いた泥に全身を覆われ、
高鳴る心臓の音すらも抑えつけたい衝動に駆られたまま、
やっと見つけた物陰に、自身の身を潜めていた。
息を殺し、ただひたすらに、目を閉じて必死に祈る。
(お願いっ!お願いっ!・・・通り過ぎて!)
音もなく、目の前の通路を闊歩してゆくのは、忍び寄る魔犬。
最初に遭遇した時は、無音で忍び寄ってきて、
逃げても隠れても、どこまでも追いかけて来るのが恐ろしかったけど、
偶然にも躓いて、泥塗れになったとき、何故か素通りしていった。
もしかして、匂いに反応している?そう思って、そのまま観察してみたら、
殆ど明かりのないダンジョンだからか、目がなかった。
どうやら予想は的中したみたい。
それ以来、カモフラージュにもなるので、身体に泥をつけている。
汚いなんて、言っていられない。
シャッテンの声に追われるようにして、あの小部屋を飛び出してから、
一瞬たりとも気を抜くことができない。
今の私に残されているのは、あの不思議な小刀と、鞄一杯の薬草、漿果。
それも、大分減ってしまった。
お母さんのサンドイッチは、一番未練を誘ったけれど、
悪くなってしまったら悲しいので、最初に食べてしまった。
その時も、最後の一つに手を伸ばそうとした途端に、べちょりと。
上から落ちてきたスライムに、奪い取られてしまった。
あのスライムには、どうにかして今度、復讐してやりたいと思う。
その後も、心身共に休まる暇もなく、今に至っている。
脅威は、それだけじゃなかった。
ダンジョンの処々にある、大小の部屋。そのうちの一つに、
外の風景が見える開口部がある!そう思って近づいてみたら、
文字通りの【口の中】にそれらしい模様のある、儚い希望という、
このダンジョン特有の、トラップ・モンスターだったらしい。
それだけでなく、休憩所と書かれた部屋に入ってみると、
水場に見えたのはスライム溜まり、モンスターのレストだったらしい。
厄介なのが、その大きな身体に他のモンスターを隠して、迷宮内を移動する、
徘徊する壁。私を見つけると、端の方に隙間を作って、
モンスターをけしかけてくる、厭らしい壁。
兎に角、一事が万事、騙し、追い詰め、疲弊を誘う罠・モンスターの数々。
奈落の恋人なんていうトラップもあるので、怪しい場所に投げ込む為、
幾つかの小石を拾って、常に持ち歩くのが癖になってきたくらい。
どうしても逃げ切れない時には、あの小刀で牽制するしかない。
と言っても、私には戦いの心得があるわけでもないので、ブンブンと、
一生懸命に叫びながら、振り回すくらいしかできないけれど。
よく見てみると、最初は仄かに蒼白い光を浮かべていた小刀も、
何体かに切り付けているうち、黒いシミのようなものが浮かんでいる。
段々と増えるシミに、使える限界があるのかもしれない、と不安がよぎる。
・・・眠い。お腹もすいた。太陽も見えない洞穴の中で、裸足で逃げ回って。
もう、何時間が過ぎたのかも分からない。・・・・・・疲れた。
いっそのこと、何も考えずに飛び出して、楽になってしまおうか、と。
何度か考えたこともある。
・・・そっか、心って、こんなに簡単に折れそうになるんだ。
弱気になるたび、お父さんやお母さん、村のみんなの顔を思い出して、
絶対に帰ってみせる!と、気持ちを奮い立たせた。
そうこうしているうちに、目に見える限りモンスターの姿はなし、
私は、また当て所もなくダンジョン内を探索してゆく。
それから幾つかの部屋を覗き込んで、何事もないことに、吐息をひとつ。
ふと自分の姿を顧みると、自慢の白金の髪は泥だらけでクシャクシャ、
服も、最初に破かれたところは、スカーフを結んだりして繕ったけれど、
その後もトラップで引っ掛けたり、スライムに融かされたりでボロボロ。
靴も失って、裸足のまま歩いていた足の裏は、見るまでもないだろう。
少しでも気を抜けば、涙が溢れだしてしまいそうだ。
鞄の中の食料も、いよいよ残り僅かになってしまった。
だけど、今いる小部屋で、遂に見つけた、かもしれない。
外につながる、出口を。
小石を2~3個、放ってみたけど、儚い希望じゃなさそう。
軽く窺ってみても、火山の火口とか空中といった様子もない。
こうなったら、思い切って飛び込んでみるしかない。
最後に、空腹を紛らして、少しでも回復するため、残りの薬草を食べる。
決して美味しいものでもないけど、食べないと動けない。
ひと息を吐いて、一歩を踏み出そうと、慎重に出口を覗いたとき、
べちゃっ、と。
肩に何かが掛かった。次の瞬間、シュウと布地が煙を上げる。
スライム!蒼白になりながら、肩口周りの布を引きちぎって、
恐怖にかられた悲鳴を上げ、私は夢中で走り出した。