最後の騒動
王家主催の夜会、しかもニーズヘック討伐祝賀会を兼ねた大夜会だ。
当然、国中の貴族という貴族が参加するその夜会において、まさかそんな事を堂々と発言する輩がいるとは誰も思わなかった。
しかも叫んでいるのは、ルビーやベルトラン殿下の級友である侯爵家のロベルト・ボルツマンだ。
宰相家の跡取りとして現在は文官として王城に出仕している彼は、ルビーの中では常識人の固まりのような人だった。
ルビーの結婚残念パーティーにも、ミーシャ嬢と一緒に参加してくれた心優しき人だったと思う。
だが、豊満な肉体を惜しげもなく彼に押し付けた妖艶な美女の隣で叫んでいるロベルトは、何か悪い物でも食べたのかと疑いたくなるほどの形相でミーシャを糾弾していた。
「あいつは何をやってるんだ……?」
「ベル様。ミーシャ様が心配ですわ。取り敢えず参りましょう」
「そうだな」
アリステラの言葉に、級友達全員でぞろぞろと騒ぎの方へと移動する。
そんなルビー達一行を、周りの貴族達が興味深げな様子でうかがっていた。
「おい、ロベルト。お前、今が夜会の最中だと気付いているのか?そんな個人的なことを公衆の面前で叫ぶとはどういうつもりだ?」
「殿下!よくぞ聞いて下さいました!」
苦言を呈されているというのに、何故か喜色の笑みを浮かべたロベルトは、まるで自分の味方が来たかのようにベルトランへと歩み寄った。
それに合わせて隣の美女もこちらへ移動してくるが、その女性を見た瞬間、ステフィアーノの顔が一気に歪んだ。
そしてそっと殿下の耳元で有り得ないことを呟いた。
「殿下、ロベルトの隣にいるのは私の元婚約者であるキャロルです…」
「……本当か?」
「化粧が濃いので一瞬分かりませんでしたが、特徴的な口元の黒子で思い出しました。直ぐに伯爵を呼んで参ります」
「頼む」
まさかの事態に固まる級友達を尻目に、ステフィアーノは元婚約者の父を探しに行った。
彼女は確か勘当されたと聞いていたが、どうしてこんな場所でロベルトの隣にいるのかと、誰もが困惑した視線をロベルトへと向ける。
「それで、ロベルト。何があった?」
「お聞き下さい殿下!こともあろうにこのミーシャはステフィアーノと結託して冤罪を捏造し、キャロル嬢を陥れたのです!」
声高々に叫ぶロベルトと反対に、静まり返る級友一同。
自分の台詞で酔って悦に入っているところ申し訳ないが、ステフィアーノに冤罪を被せようとしたのは間違いなくキャロル嬢だ。
まさかあんな大事件をロベルトが忘れているとは思いもしなかった。
「ロベルト、お前何を言ってるんだ?あれだけ……」
「ベル様。ロベルト様がAクラスになったのは三学年からですわ」
「何?では例の件は知らないのか?」
「おそらく…」
ルビーを含め級友のほとんどが忘れていたが、アリステラの言葉で何となく思い出す。
そう言えば、ロベルトは二年ほど外国に留学していたため、同じクラスに編入したのは三学年になってからだった
「あ~、ロベルト。確かにそちらのキャロル嬢はステフィアーノの元婚約者だが、むしろ冤罪を掛けられたのはステフィアーノの方だ。ちなみにキャロル嬢の言う不貞相手は、Aクラスの女子全員。つまり俺の婚約者であるアリステラを含むもので、到底甘受出来ることではない」
「殿下まで騙されておいでなのですか?」
そう言ってミーシャを睨むロベルトだが、私達はただただ呆れるしかなかった。
「えっと、ルビー」
「あぁ、ごめんなさいサフィ。変なことに巻き込んでしまって」
「それは別に構わないんだけど、キャロルさんの様子、ちょっとおかしくないか?」
直接関わりがなかったせいか、一人冷静に状況を見ていたサフィリア。
そのサフィリアに言われて気付いたが、彼の言う通り、ロベルトの腕にしがみ付いているキャロルの様子がおかしい。
青い顔で必死にロベルトにしがみ付いているのだ。
以前の彼女なら、勝ち誇った顔でルビー達を馬鹿にしてもおかしくはない。
それに良く見ると、ロベルトは先ほどからキャロルが縋っている腕で何か妙な動きをしている。
縦、横、そして時には斜めや円を書くように小刻みに動いているのは彼の小指だ。
「……モリアス信号……」
小さく呟いたサフィリアの言葉に、ベルトラン殿下が小さく眉を寄せた。
「……サフィリア、奴の芝居に俺が乗っている間に、内容をアリステラに伝えろ」
「御意」
この中でモリアス信号が分かるのは騎士学校で学んだサフィリアと王族教育を受けた殿下だけだった。
魔術学院では習うことがないので殆どの人間は知らない。
「おいおい、ロベルト。本当にお前はどうしたんだ?ミーシャ嬢とは近々結婚する予定だったろ?キャロル嬢に惚れたというならきちんと順序を踏むべきじゃないか?(モリアス・解読中)」
殿下は絶妙に他人からは分かり辛い動きで指を動かしてロベルトに合図を送れば、彼の瞳が一瞬だけ安堵に揺れる。
そして、更に必死な顔で芝居を始めた。
「殿下もみんなも、ステフィアーノとミーシャに騙されてはいけません!冤罪を被せられたキャロル嬢がどれだけ大変だったか、皆様はお分かりか?!(脅迫・キャロル・腕輪・爆発)」
サフィリアが訳した言葉に、思わず身が固くなったのはアリステラだけではなかった。
隣で聞いていたルビーの肩も無意識に小さく揺れる。
「お前は何も知らないかもしれんが、ミーシャ嬢とステフィアーノには何の関係もない。(発動条件・監視)」
「殿下、お願いですからキャロル嬢の話をお聞き下さい(離脱・爆発・見張り・二階・アールネリオ)」
アリステラの合図で、級友達の中で腕の立つ人間が二階へと向かった。攻撃魔法が得意な魔術騎士団所属の級友達だ。
そしてアールネリオとは、恐らくクレメント・アールネリオ伯爵令息の事だろう。
彼はミーシャに懸想しており、何かにつけては付き纏っていた男だ。学院を卒業してからは見掛けなくなったと聞いていたので安心していたが、どうやらミーシャを諦めた訳ではなかったらしい。
「落ち着けロベルト!(腕輪は魔具か?)」
「私は落ち着いています!(はい)」
ロベルトが頷くと同時、ベルトラン殿下がアリステラの名を大きく呼んだ。
「アリス!」
「……殿下の御心のままに」
言葉と共に、アリステラが持っていた扇子をパチリと閉じた。
そしてキャロルの右腕に嵌った腕輪へとその扇を叩き降ろす。
「…無効!」
ガンッと叩き付けられた扇子の音と共に、黒い何かが腕輪から溢れ、金属で出来た腕輪が溶けていく。
「きゃあ!」
叫び声と共にキャロルの腕からスルリと腕輪が溶け落ち、最後は液体のように床へと水溜りを作った。
「ルビー、あれは…?」
「アリステラ様の…、いいえ、モンテカルロ公爵家の血統魔法、魔法無効化よ」
「……あれが…」
魔法無効化を持つゆえに、アリステラは貴族としては珍しく魔力を持たない。
これは異例のことだが、モンテカルロ家においてはそれこそが家門の誇りであり、どのような魔法攻撃からも王族を守ることに特化した我が国最強の盾である。
「離せ!何だお前ら!?」
力が抜けたように座り込むロベルトとキャロルとは反対に、二階の吹き抜けロビーから一人の男が連行されてきた。
クレメント・アールネリオ伯爵令息だ。
「俺とミーシャを引き裂くあの男に鉄槌を下したまでだ!真実の愛で結ばれた俺とミーシャを引き離すなど悪魔の所業だ!殿下!真実に愛する二人を引き裂くようなことなどお止め下さい!」
彼は酔ったように顔を真っ赤にしながら、拘束する級友達の腕から逃れようと必死になっていた。
「ミーシャ!」
縋るようにミーシャの名前を呼ぶクレメントだったが、彼女が彼に向けるのは侮蔑の視線だけだ。
そしてしつこく彼女の名前を喚くクレメントは、直ぐに到着した騎士達によって会場の外へと連れ出された。
残ったのは、呆然と成り行きを見守っていた貴族と、その中心にいる元Aクラスの面々達である。
「ベルトラン、これは何の騒ぎだ?」
「ルーカス兄上?!」
気付けば緩やかに流れていた音楽が鳴り止み、会場の視線が全てこちら側へ向けられていた。
王太子であるルーカス第一王子殿下までやってきてしまったのだ。
一斉に腰を下げる級友達に続き、ルビーとサフィリアも慌てて腰を折った。
「楽にしてくれ。それでベルトラン、状況説明を」
「はい。ご説明致します」
床に広がった元腕輪の液溜りに小さく視線を向け、ベルトランは現在分かっている状況を口にする。
「まず、そこにいるロベルト・ボルツマンが婚約者であるミーシャ・クラルヴァイン嬢に婚約破棄を宣言した事がこの騒ぎの発端です。そして、その騒ぎを聞きつけた私とアリステラが赴いた際、ボルツマンの発言が余りにもおかしい事に気付きました。矛盾した発言を繰り返すボルツマンに不審を抱いていると、そこにいるサフィリア・カンザナイトがボルツマンの指の動きがおかしい事に気付き、モリアス信号なのではないかと推測を立てました」
「なるほど……。で、モリアス信号でボルツマンは何を伝えたかったのだ?」
ルーカス殿下の言葉に、漸く落ち着いたロベルトが口を開いた。
「まず、王家主催の夜会にて騒ぎを起こした事を謝罪させて頂きます」
そこからロベルトは、何故このような事態になったのかを少しずつ話し始めた。
「この会場に着いて直ぐの頃、ミーシャ嬢と離れた僅かな隙に、私の前へとキャロル嬢が現れました。彼女はいきなり私に抱きつき、私と離れると死ぬと言ってきたのです」
「……キャロル嬢、それに間違いないか?」
「ございません。アールネリオ伯爵令息にいきなり魔具を着けられ、手紙をロベルト様に渡すよう脅迫されました。更に今すぐロベルト様の腕に縋り付かなければ爆発すると言われ、無我夢中でロベルト様を探してお縋りしました。ロベルト様が手紙の指示を実行し、無事に二人の婚約が破棄されれば魔具は解除してやると言われましたが、怖くて仕方ありませんでした……」
「その後、私はキャロル嬢から手紙を受け取り、ミーシャ嬢との婚約をこの場で破棄するように脅されました。言う通りにしなければ、キャロル嬢の巻き添えで会場の中にいる大勢の人間が死ぬことになると」
「ふむ。ではキャロル嬢、君とアールネリオはどういう関係かな?」
「アールネリオ令息は私の客でした。彼は私を久しぶりに貴族らしい場所に連れて行ってくれると言ったので、嬉しくて……、だけどまさか……」
キャロルの言葉に、全員が息を呑む。
彼女は修道院に行った後、適当な家に嫁いでいると思っていたが、まさか娼婦のようなことをしていると思ってもみなかったのだ。
「……ここまでの二人の発言に矛盾はないな。では、何故アールネリオはクラルヴァイン嬢とボルツマンの婚約破棄を狙う?」
「それにはわたくしがお答えさせて頂きます」
そう言って名乗り出たのはミーシャだった。
「わたくしとアールネリオ令息は幼馴染みの間柄です。ですが、父がロベルト様との婚約を調えてからというもの、わたくし達の関係は悪化しました」
「具体的には?」
「わたくしに会う度に政略結婚は可哀想だと言い、ロベルト様を悪く言うようになったのです。しかもそれは徐々に悪化していき、ロベルト様を害するような発言や、駆け落ちを仄めかすような発言を繰り返すようになりました。彼の中で、どうやらわたくしと彼は愛し合っていた恋人同士で、親の政略により引き裂かれた悲劇の恋人になっていたのです」
「それを第三者が証言出来るか?」
ルーカス殿下の言葉に、ルビーを含め、数人の級友が手を上げた。
アールネリオの奇行は友人達の間では有名だったのだ。
「ではカンザナイト嬢」
「はい。わたくしは何度かミーシャ様とアールネリオ様がお話をされている場面を見ております。しかしとても幼馴染みとして話が弾んでいるように見えないどころか、嫌がるミーシャ様の手を握ろうと彼女を追いかけ回しているアールネリオ様を何度も目撃致しました。決してミーシャ様がアールネリオ様に気を持たせるような事をしていた訳ではございません」
このルビーの発言には、多くの級友達も同意した。
「仔細は分かった。以降、この件は騎士団の預かりとする。関係者は後ほど事情聴取をするが、残りの者達はパーティーの続きを楽しんでくれ」
その言葉に、全員でホッと胸を撫で下ろした。
多くの貴族が見守る中での詳細説明は、ロベルトやミーシャが悪意のある醜聞に曝されない為の配慮だろう。
「では、関係者は別室へ」
ルーカス殿下の合図に、広間には再び音楽が流れ始めた。
そして関係者達が会場を離れると、徐々に喧騒が戻ってくる。当然人々の話題は今有ったばかりの騒動に尽きた。
「初めての夜会でこんな事になるとはな……」
「そうね。貴族って怖い…」
そんな事を呟いていると、キャロルの父を呼びに行っていたステフィアーノが戻ってきた。だが、直ぐに関係者として呼び出され、疲れた足取りで会場を出て行く姿が見えた。
「……ステフ様、完全なとばっちりね」
心なしか背中には哀愁が漂っているように見える。
「それにしても、こんな場所に来てまで“真実の愛”という台詞を聞くとは思わなかったわ」
「あれ何だろうな…、流行ってるのかな?」
「セシルさんが言ってたけど、一部の女性向けの小説であるんですって。平民の少女が貴族に見初められてどうのこうのってやつ」
「へぇ……」
「小説の世界を体験したようなセシルさんに言わせれば、そんな美味い話あるわけがないそうよ。……物凄く実感が篭ってたわ」
少々ヤサグレ気味な表情で絶叫していた。
それに上手く結ばれたとしても、恐らく結婚した後の方が大変だと思う。
平民が貴族の仲間入りをするという事は、それほどに面倒なのだ。
今日、それを嫌と言うほど痛感した。
「はぁ……」
「疲れた?少しバルコニーの方へ移動する?」
「そうね…」
人々は騒動の話題に夢中で、ルビー達を気にする者はほとんどいなかった。
お蔭ですんなりとバルコニーへと体を滑り込ませる事が出来た。
バルコニーは基本的に早い者勝ちで、誰かが利用している間は邪魔をしないのが暗黙の決まりだ。
「ふわぁ~~、風が気持ちいい~~~」
本来なら冬のバルコニーなど寒いだけなのだが、さすがは王城、温度調整の結界がバルコニーに張られている。
お蔭で程よく気持ちいい風が頬を掠め、ワインで火照った熱を冷ましてくれた。
「さすがに暗くてあまりお庭はよく見えないわね」
手摺りに身を寄せて眼下を見下ろしても、見えるのは僅かな明りだけで、さすがに真冬の庭園に出て行く人影もなかった。
それでも等間隔に配置されたランプの光はどこか幻想的で、サフィリアと引っ付きながら静かにそれを眺める。
「この夜会が終わったら、少しゆっくり出来るな」
「そうね。夏からこっち、まさかこんなに忙しくなるなんて思いもしなかったわ」
叙爵が決まっていたとはいえ、ルビーは結婚してカンザナイトを離れる予定だったし、まさかニーズヘックの討伐にまで参加する事になるとは夢にも思っていなかった。
それもこれも全てあの日、アルビオンから別れを告げられてから何もかもが変わった気がする。
「………ねぇ、サフィ」
庭園の明りに目を向けながら、ルビーはギュッとサフィリアの手を握る。
「あの日、アルビオンに別れを告げられた日から、ずっと、考えていたことがあるの」
彼は言った、『真実の愛に気付いた』と……。
では、ルビーと過ごした日々は真実ではなかった?
それ以前に、そもそも愛ではなかったのか?
けれど、好きだという気持ちから始めた交際だった。
それが真実ではなく、偽りだとはどうしても思えない。
「真実の愛って何だろうね?………アルビオンに言われてからずっと考えてたんだけど、私には難し過ぎて、未だに良く分からないの……」
「ルビー……」
「ねぇ、サフィにとっての真実の愛ってなに?」