当て馬なのか魔性なのか
細々とした問題はあったが、読書サロンは無事に開店を迎えた。
カーディナル卿やステフィアーノが本好き仲間に話してくれたお蔭で、初日からそこそこの客入りだ。
本好きの客は一目瞭然で、目を輝かせた状態で店に入ってくるのが印象的だった。
店の使用方法が少々変わっているため最初の説明には時間を要したが、概ねサロンの出だしは好調である。
「図書館は飲食が禁止されてますし、食事を片手に本など読もうものならマナーが悪いと怒られますから、本好きにとってここは天国ですよ」
うっとりとした顔でそう言ったのは、セシルと一緒に雇ったもう一人の従業員ライナスだ。
彼は本当に本が好きらしく、何故か休みの日にも出勤する変わり者で、『休みの日はちゃんと休みなさいよ!』とセシルに怒られていた。
しかし仕事ぶりは極めて優秀なため、サロンの金銭関係や帳簿の管理は彼に任せている。
「順調な滑り出しは嬉しい限りだけど、平民のお客様が少ないのよね」
識字率が上がっているとはいえ、平民にとって本はやはり高価なものだ。その為、本好きはどうしても貴族が多くなってしまう。
また、貴族が多数出入りしているのを見られている為か、平民にとっては少々入り辛い店になっているようだった。
「宣伝とかした方がいいと思う?」
「セシルちゃんに表に立って呼び込みして貰えばいいんじゃね?」
そう言ったのは、初日から頻繁に顔を出しているロイドだ。
仕事の昼休憩にやってきては、サンドイッチ片手に魔道書を読みふけっている。
カーディナル卿の持っていた魔道書が大変珍しいものらしく、通い詰めて読んでいるのだ。
そんなロイドは、多分このサロンで一番図々しい平民だろう。
ちなみにセシルを雇うと言った時は大笑いしていた。特にロイドもエミーリャも彼女に対して思うところは無いようである。
「セシルちゃんがチラシを配ってりゃ、何も言わなくても男が入ってくるって」
翌日、ロイドの提案で実施したその作戦だったが、恐ろしい程に男性が入ってきた。そして灯に誘われた蛾のように、マイルスとライナスの誘導で二階の女人禁制部屋へと吸い込まれて行く。
「何だか非常に納得がいかないわ…」
最初は憮然としたセシルだったが、その後本好きの人はそのまま通ってくれたので何とか納得してくれている。客引きのようなことをさせて申し訳ないと謝ったら、給金に上乗せしてくれたらいいと言ってくれたので、二階からそのまま隣の本屋に行った客の売り上げの一部を還元した。
それに気を良くした彼女は、暇な時はたまに店の前で笑顔を振り撒いている。
お蔭でサロンは想定よりも順調だ。
だが、そういう時にこそやってくるのが、思わぬ事態だった。
「セシル!良かった!元気だったんだね?!学園を辞めて男爵家も出たと聞いたからずっと心配してたんだ!」
「ステイト様…」
「良かった…、本当に良かった……」
涙ながらにセシルの無事を喜んだのは、セシルが学園で引っ掛けた男性の一人だった。
彼は本当に彼女のことを心配していたらしく、同僚からセシルに似た女性が居ると聞き、慌ててここまでやってきたそうである。セシルを見た瞬間、泣きながら彼女に縋った時は本当に驚いた。
「仕事の邪魔をしてゴメンね。君に似ている女性がいると聞いたら居ても立っても居られなくて」
「いいえ、ご心配をお掛けしました。お陰さまで元気にしております」
「うん。元気な顔を見られて本当に良かったよ」
「ありがとうございます」
「……じゃあ、今度はゆっくり時間をとってまた来るよ」
仕事の途中だったという彼は、名残惜しそうにしながらも終始嬉しそうな顔で帰っていった。
当時の婚約者とは無事に結婚しているらしいが、学院を辞めたセシルの事をずっと心配していたそうだ。
「いい人ね…」
「はい。今思えば、皆さんいい人ばかりでした」
暫く一緒に過ごしてみて思ったのだが、セシルの人を見る目は確かだった。
今日の彼で二人目だが、誰もセシルを恨むことなく、ずっと心配していたと言ってくれる人達ばかりだったのだ。
ちなみにセシルを雇う際、最初にベルトラン殿下とアリステラには報告をした。二人が難色を示すようなら、申し訳ないがセシルには正直に話して辞めて貰うつもりだった。
だが、ベルトラン殿下の反応も先ほどやって来た男性と同じで、彼女の生存を喜ぶものだった。
彼女のことは殿下にとって良い想い出であり、むしろ弱く傲慢だった自分を知る切っ掛けを作ってくれた人物だと思っているらしい。
アリステラに関しても、殿下との仲や将来について考える良い機会だったと、セシルのことを恨んでいる様子はなかった。
「セシルって凄いわね…」
「まぁ、刺されても嫌だから、無茶なことはしなかったわよ」
物をねだる時も小遣い範囲の安物だったそうだ。そこがまた男性には受けたと言っていた。むしろセシルが何も言わなくても自分から高価な物をプレゼントしてくれたそうだ。
「と、ところで、やっぱりこれも恋愛問題になる?……首?」
「しないわよ。さすがに昔のことで目くじら立てるつもりはないわ」
「良かった……」
採用時の約束を覚えていたセシルは、首になったらどうしようと不安だったらしい。
さすがのルビーも昔のことを蒸し返すつもりはないし、やってきた男性はみんな安心した顔で帰っていくので、これ以上は何も言うつもりはない。
「だけど、一度セシルさんには男爵家へ連絡しておくことを僕は薦めるよ」
「ライナスさん、どうしてですか?」
「男性方を見る限り、セシルさんに恨みはないようでしたが、彼らの婚約者はそうではないでしょ」
その言葉にセシルは息を飲む。
学院時代も、セシルに文句を言ってきたり、虐めのようなことをしてきたのは全部彼らの婚約者達だったからだ。
「恐らく男爵家では少なくない慰謝料を払っておられると思いますよ。だからこそ、その後どうなったのかちゃんと把握しておくべきかと」
「………そうですね。非常に気乗りしませんが、一度連絡をとってみます」
背中に暗雲を背負いながら、それでも渋々セシルは頷いた。
そうして、約三年ぶりに男爵家へと手紙を送ったセシルは、その後の男爵家の現状について初めて知る事になる。
「返信が来ました……」
四日後、想像よりも早くセシルの下へ男爵家から返信があった。
送付人は男爵ではなく義兄だったようだ。どうやら二年ほど前に義兄が後を継いだらしい。
「えっと、まず私が粉を掛けていた男性は全部で八名ほど居たの。その内三名は既に当時の婚約者と結婚済みで、残りの二名も結婚まで秒読みと書いてあるわ」
「つまり八名中は五名は大丈夫ということね?」
「ええ。相手の婚約者の家から抗議は来たようだけど、菓子折りを持って謝罪に行っただけで済んだみたい」
謝罪に行ったのは男爵ではなく義兄だったようで、申し訳ないことをしたとセシルは落ち込んでいた。
だが、落ち込むのはまだ早い。問題は残りの三名だ。
「男性に関しては特に心配しなくて良いと書かれてるわ。むしろ男性やその家族からは感謝されてるみたい」
何故感謝されているかと言うと、相手の婚約者に問題が多々あったからだ。
それがセシルと噂されることによって浮き彫りになったという事である。
「そもそも、婚約者との仲が良好な男は私になびかないのよね……」
「相手に不満があるからセシルに浮気したって事ね」
「まぁ、そういう事よ。ベル様みたいに婚約者と上手くいってるところにとって私は、体のいい当て馬よ、当て馬!」
「あ~、なるほど……」
確かにベルトランとアリステラはあの件以降急速に仲が縮まったような気がする。
お互いに言いたいことを言える仲になったからだろう。
「じゃあ警戒するのは婚約が破談になった女性という事ね」
「でも兄さんの手紙だと、一応慰謝料を払って示談にはなってるみたい」
二人だけで遊びに行ったりと、浮気と思われる行為はしていたそうだが、精々手を握る程度だったせいもあり、慰謝料の金額も大した物ではなかったそうだ。
むしろ、元から不仲だったものを、セシルのせいで不仲になったような言い方は気に入らないと、義兄がかなり戦ったそうである。
「お兄さんやるわね」
「……うん、結構なやり手だったわ」
娼館に売られるのを逃してくれたのもこの義兄だったことから、セシルも彼のことは恨んでないらしい。
「示談も済んでるから、迷惑を掛けられるようなら、容赦なく向こうの家に抗議してくれと書いてあるわね」
「良かった……」
これでこちらの方針は決まった。
会えば謝罪はする。だが、それ以上難癖をつけてくるようなら抗議するという事で意見は一致した。
「あの糞男爵は領地に引っ込んでるみたいだから、今度の休みにでも兄さんに会いに行って来るわ」
「そうね、ちゃんとお礼を言った方がいいわよ」
「うん」
そんな話をした翌週、元義兄に会いに行ったセシルは、その翌日にはスッキリとした顔で職場に現れた。
元義兄には、父の暴走を止められなかったことを謝られたらしい。
その後は和やかに話は進み、終始和やかにお茶を飲んだそうである。
今後は従兄妹として付き合っていく事になったそうで、何か問題があれば頼ってくれとまで言われたそうだ。
「……もしかして恋の予感?」
「兄さんは結婚してるわよ」
最初は渋い顔をしていた奥さんも話をするうちに打ち解けたそうである。
ちなみに奥さんは兄ダリヤの信者らしく、近々読書サロンにくると意気込んでいたそうだ。
「カンザナイト商会で勤めてるって言ってから態度が変わったの。ダリヤ様のお陰だわ。さすがダリヤ様!全ての女性を虜にする魔性は昔から健在だったのね~~」
そう言ったセシルだったが、微笑むだけで男性を骨抜きにするセシルも大概だとルビーは思った。




