次期ヒルデリー子爵夫婦の事情①(イレーナ視点)
本日二話更新。こちら一話目。
「ヘレナには困ったものだわ……」
王都にいる父から領地にいるイレーナへと、突如急ぎの手紙がやってきたのは今朝の事だった。
次期ヒルデリー子爵として現在は領地で過ごしているイレーナは、家族に何かあったのかと慌てて手紙を読んだものの、その余りにも頭の痛い内容にため息を隠せない。
「どうかしたのかい?」
執務室で眉を寄せるイレーナに、夫であるクラウスが首を傾げた。
「どうやらヘレナがカンザナイト商会に迷惑を掛けたようだわ」
「カンザナイト商会……」
「貴方も知ってるでしょ?王家からの覚えもめでたいあの家に対して迷惑を掛けるなんて……」
今はまだ平民とはいえ、既に叙爵が決まっている豪商だ。領地にいるイレーナでさえ、かの家が王家へ献上した魔空鞄のことは聞き及んでいる。
今はまだ入手は困難な品だが、それでも時期を待てば手に入れられるそれは、貴族であれば喉から手が出るほど欲しい代物だった。
しかしカンザナイト家の不興を買えば、手に入れるのは困難になる事だろう。
「そう言えば、どうやらニーズヘックの討伐もあの家が関与しているらしい」
「本当なのクラウス?」
ニーズヘックの討伐は第二王子殿下の指揮の下で成功したと聞いていたが、どうやらその影にカンザナイト家の三男と長女の存在があるようだ。
「褒章式典も開催されるようだ。参ったね……」
新聞をイレーナへと渡したクラウスの顔には疲れが見て取れた。
父から領地の業務を引き継いでから彼には非常に苦労を掛けているのに、更にここに来て妹の面倒事だ。
「いつもごめんなさいね、クラウス……」
「君が謝る事じゃないよイレーナ」
「でも……」
「手紙には幸いカンザナイト家は大して怒っていないように書かれてあるし……」
「そうね。あの家が寛大で良かったわ」
確かにクラウスの言う通り、父からの手紙にはカンザナイト家と揉めたという話は書かれていなかった。
むしろ、騙されたヘレナを気遣ってくれたとも書かれていた。
「エルグランド様は昔からお優しい方だったから助かったわ」
「………そうだね。争いごとを嫌う彼らしい」
「ええ」
「しかしまさか彼がベルクルト嬢と婚約していたとはな……、誤算だよ……」
「アリューシャ様ね……」
今回の手紙で何より驚いたのが二人の婚約の件だった。
何でも、話し合いの席にはアリューシャも来たらしい。
あの家は伯爵家の中でもかなりの上位に入るため、ベルクルト伯爵家を敵に回さずに済んで良かった。
「それにしてもまさかあの時の手紙がずっと続いていたなんて……」
今でも当時の事はよく覚えている。
淡い青色の綺麗な便箋と揃いの封筒。
それを手に持ったヘレナの嬉しそうな顔は、忘れたくても忘れられなかった。
「ねぇ、お姉様!E・Kというイニシャルに心当りはない?」
「E・K………?」
嬉しそうに頬を染めたヘレナがそう尋ねて来たのは、午後のお茶をしている時だった。
妹が突拍子のない事を言うのはいつもの事なので敢えて理由は尋ねず、イニシャルに心当りのある人物を考える。
「そうね……」
公爵家にそのイニシャルを使う家門はない。
逆に、侯爵家以下にはKのイニシャルを持つ家門が多数存在する。
けれど、ふとイレーナの頭に浮かんだのは、数ある貴族の名前ではなく元クラスメイトの名前だった。
「エルグランド・カンザナイト………」
綺麗な金髪にエメラルドの瞳をした平民の男。
傾国と言われる兄の影で地味な見た目と揶揄されがちだったが、イレーナがそう思ったことはない。
人外級な長男に比べれば、人間味のある良い男だと思う。しかも、高位貴族の覚えもめでたい商家の次男だ。
「カンザナイトっていうと、あの大きなお店の?」
「ええ。彼は元クラスメイトなの」
「もしかしてその方、金髪碧眼の方じゃありませんか?!」
「そうだけど……、彼がどうかしたの?」
「実は昨日カンザナイト商会でお買い物をしたんです!!その時にわたくしに似合うイヤリングを選んでくれた方がその方なのですわ!従業員にしては品が良いと思っておりましたが、まさかカンザナイト家の次男だったなんて!」
踊るようにクルクルと回転しながら、浮かれたように手に持った封筒を眺めるヘレナ。
それを見ながら、イレーナは小さくため息を吐いた。
「ヘレナ、貴女また買い物をしたの?」
「お父様が買ってくれたの」
「……お父様…」
貧乏というほどではないが、我が子爵家はそこまで裕福ではない。
だからこそヘレナを甘やかさないで欲しいと常々お願いしているというのに、父は中々イレーナの話を聞いてはくれなかった。
ちょっとしたアクセサリーくらいなら構わないだろうと、ヘレナにねだられる度に買い与えているのだ。
将来領地を預かる身としては不安で仕方ない。
「ヘレナ、いい加減お父様にねだるのは止めなさいと言ったでしょ?」
父の代わりにイレーナが諌めなくてはいけないと身を乗り出せば、それ以上に興奮した様子のヘレナがずいっと手に持っていた手紙を突き出してきた。
「それよりもお姉様!この手紙をご覧下さいませ!エルグランド様からの恋文ですわ!」
「……恋文?」
思い掛けない言葉に、妹に聞かせようと思っていた言葉が消えた。
「まさかエルグランド様がわたくしを見初めてくれるなんて……」
うふふ…と浮かれたように笑うヘレナとは反対に、イレーナの頭がスーと冷えていく。
「ちょ、ちょっと待ってヘレナ。彼が貴女に恋文とはどういう………?」
「それはこれを見れば分かりますわ!一目惚れなのですって!」
そう言って無理やり押し付けられた手紙は、確かにどこからどう読んでも恋文だった。
何故か微かに震える指に違和感を感じながらも読み進めれば、確かにヘレナへの愛が真摯に綴られていた。
だが、その手紙のどこにも送付人の名前はない。
「これ、本当にエルグランド様?」
「このイニシャルの心当りは彼だけですわ!」
「でも………」
それはたまたまイレーナが口にしただけで、イレーナが言うまでへレナは思い出しもしなかったはずだ。
「ねぇお義兄様!お義兄様もそう思うわよね!」
ヘレナの声に振り返れば、ちょうど婚約者のクラウスが部屋に入ってくるところだった。
「ごめんなさい、クラウス。気付かなかったわ……」
「構わないよ、……どうやら取り込み中みたいだね?」
結婚を来月に控えているため、婚約者であるクラウスは既に同じ屋敷で暮らしている。
家を継ぐイレーナの為に彼は婿養子になる予定だ。そのため昔からこの屋敷に出入りしていた彼は、慣れた様子でイレーナの隣へと腰を下ろした。
そして困惑しているイレーナに同情するよう、小さく眉を寄せながら浮かれるヘレナを見つめる。
「随分と楽しそうだね?」
「素敵な殿方から恋文を貰ったのですわ!」
「へぇ、誰からだい?」
「エルグランド・カンザナイト様ですわ!」
「彼から?」
クラウスもイレーナと同じクラスだった為、当然エルグランドの事は知っている。
だからこそ、クラウスも半信半疑の目をヘレナへと向けていた。
そして手紙を見せ付けられたクラウスも、やはりイレーナと同じ結論に達する。
「僕もこのイニシャルだけで判断するのはどうかと思うよ?」
「でも、わたくしの知っている方でこのイニシャルを使うのはエルグランド様だけですわ!」
言いながら、こちらの話に聞く耳を持たず、ヘレナはそのまま自室へと引き篭もってしまった。
「困った子だわ…」
「ヘレナはああ言っていたけど、直ぐに間違いに気付くよ」
「そうかしら?」
「ああ、だってあの手紙の送り主は、恐らくエルヴィン・カークランドだからね」
初めて聞く名に首を傾げれば、ヘレナが今お付き合いしている男性だというのだ。
「まぁ、あの子ったら、お付き合いしている男性がいるのに!」
しかもその男性のイニシャルに思い当たらないなんて、何を考えているのだろう。
だが、お付き合いしている男性からの手紙なら、直ぐにヘレナも間違いに気付くはずだ。
イレーナはそう思い、それから今日までこの事を思い出すことはなかった。
「まさか、あれからずっと手紙の送り主をエルグランド様だと勘違いしていたなんて……。でも、あの手紙は確か当時付き合っていた恋人からの物だったわよね?お付き合いしていた男性は何も言わなかったのかしら?」
「確か彼は当時管財人試験中だったから、手紙を送るだけで余りヘレナとは接触してなかったんじゃないかな」
「時期が悪かったのね…」
「それに、あの後二ヶ月ほどで別れているみたいだしね」
「じゃあ、別れた後もずっと彼はヘレナに手紙を送っていたということ?」
それならばヘレナが勘違いしても仕方ない気がした。
「彼はヘレナに未練があったのかしら?」
「むしろ恨まれてたんじゃないかな……」
「確かに、折角送った手紙を他人と間違われていたなんて知ったら、恨まれてもおかしくはないわね」
無意識にため息が出た。
悩みの種だったヘレナの結婚問題が、ここに来て大きく圧し掛かってきたのだ。
結婚を約束した相手がいるからというヘレナの言葉を信じて、これまで婚約者を無理に作らせることはしなかった。
だが、ここにきてそれがヘレナの勘違いだと分かったのだ。洒落にならない。
「今は昔と違って結婚を急ぐ必要も無いんだし、ヘレナなら直ぐにいい相手が見つかるよ」
「でも……」
確かに昔と違って貴族の結婚は非常に緩くなっている。跡継ぎでなければ婚約者がいないのも普通だ。
それでも貴族女性が独身を通すというのは中々に大変なのは間違いない。
その上、ヘレナは昔に一度だけ婚約を解消している。
解消理由は完全にヘレナの我が侭で、相手の男性が好みではなかったというだけだ。
相手とは円満に婚約を解消出来たのだが、この件でイレーナ達家族はヘレナに政略結婚は無理だと悟った。
幸いにして貴族の恋愛結婚も多くなっている昨今、それならば学院在学中に相手を見つけてくれることを祈っていたのだ。
「そろそろお相手の事を詳しく聞こうと思っていたのに…」
「イレーナ、気に病まないで……。いざとなれば僕の友人を紹介するから」
「クラウス…」
高位貴族は無理だが宮廷勤めの知り合いは大勢いるからと、クラウスは請け負ってくれた。
夫である彼には迷惑を掛けっぱなしで心苦しい。
「いつもありがとうクラウス」
「愛してるよイレーナ。君の憂いを晴らす為なら幾らでも扱き使ってくれ」
その言葉に、イレーナはクラウスの胸に飛び込んだ。
昔から妹に迷惑を掛けられる度に、彼にはいつも慰めて貰った。
ヘレナが物を欲しがる度に、我慢を強いられるイレーナ。
ヘレナはいずれお嫁に行くからそれまでは…と言いながら甘やかす両親の影で、イレーナはどれだけ泣いてきた事だろう。
家督を継ぐのだからと我慢していたイレーナを慰めてくれたのはいつもクラウスだった。
クラウスとは完全なる政略結婚だったが、今では彼なしの生活など考えられないほどクラウスを愛している。
ヘレナは政略結婚なんて嫌だと否定するが、最初の切っ掛けなんて何だっていいのだ。
相手をどれだけ人として思いやれるか。
人としてどれだけ尊敬できるか。
それさえ胸の内にあれば、それが愛情に変わる事だってある。
もちろんお金も外見も人を好きになる要素であるのに変わりない。
だが、それだけで選んだ相手との恋愛など、束の間の遊戯であることをいい加減気付いて欲しい。
「ヘレナ……」
物語のような恋愛は、物語のような登場人物にしか成し得ないのだ。
人が創った物語をなぞるのではなく、自分だけの愛の形をヘレナにも見つけて欲しいと思った。
事情があり、更新をお待たせしてしまいましたm(_ _)m
これからはまた前くらいのペースに戻ると思います。
どうぞ宜しくお願いします。