手紙の送り主
「なぁ、ルビー。エルヴィン・カークランドっていう男から手紙が来たんだが、お前知ってるか?」
ルビーが部屋で紫のスライムクッションに包まれて寛いでいると、一通の手紙を持ったエルグランドが訪ねてきた。
どうやら兄への面会を乞う手紙のようで、差出人の名前に心当たりがないか教えて欲しいそうだ。
「エルヴィン・カークランド?……あぁ、学院時代の級友だわ。彼がどうかしたの?」
「俺と会って話がしたいらしいんだけどよ、何の用かは手紙に書いて無くてな」
手紙にはルビーの同級生であり、身分は管財人だと書かれていたらしい。
一瞬、ルビーへの求婚の申し込みかと思ったそうだが、手紙の雰囲気から察するに、どうやらそうでは無さそうだった。
ただ単に、見知らぬ人間だと会って貰えない可能性を考慮してルビーの名を出しただけのようだ。
「どんな奴?」
「どんなって、一言で言うなら真面目かな…?在学中に、最年少で管財人試験に受かった秀才よ」
「それは凄いな!」
「でしょ!クラスみんなでお祝いしたのよ。でも、折角試験に受かったっていうのに、彼は凄く落ち込んでいたのが忘れられないわ」
「何か有ったのか?」
「どうやら恋人に振られたそうよ…」
「受かった日にか?!」
「ええ、周りの男子もどう言っていいのか分からないほどの落ち込み具合だったわ」
「うわぁ……。しかし相手の女性は何だって振ったりしたんだろうな?管財人って言えば、士業の中でもかなりの高給取りじゃないか…」
「受かったと報告する前に振られたみたいね」
「なるほどな。今頃相手の女性も後悔してるかもな」
それはどうだろう。
彼が受かったと知った後も、特によりを戻そうと縋られた話は聞いていない。
何でも令嬢の新しいお相手は、管財人など足元にも及ばない金持ちだったそうだ。
「ん……?」
「どうしたルビー?」
「な、何か忘れてるような……」
そうだ。
確かあの後、エルグランドに恋人がいるかどうかエルヴィンに聞かれたような気がする。
女性に聞かれることは多々あったが、男性に聞かれたのは初めてだったのでよく覚えている。
あの時彼は他に何か言ってなかっただろうか……。
「確か、とある令嬢が兄さんと付き合ってると聞いたが本当だろうかって……」
「俺?」
「でも兄さんに聞いたら知らないって言ったから詐欺か何かじゃないかと思ったわ」
「……どこかで聞いた話だな」
「しかもつい最近ね」
ヒルデリー子爵令嬢ヘレナが、同じような事を言っていた。
いや、同じようなではなく、同じだと考える方が正解だろう。
「つまり彼は何かを知ってるという事か……」
この頃合で手紙を送ってきたという事は、そう考えて間違いない。
「どうするの、兄さん?」
「会うに決まってんだろ」
「私も一緒していい?」
「そうだな。その方が向こうも話しやすいかもな」
こうしてルビーは、久しぶりに級友であるエルヴィンと会う事になった。
「初めまして、エルグランド殿。エルヴィン・カークランドと申します。急な手紙だったにも関わらず、お時間を頂きありがとうございます」
「初めましてカークランド様。ようこそお出で下さいました。エルグランド・カンザナイトと申します。ご存知だと思いますが、こちらは妹のルビーです」
「お久しぶりです、カークランド様」
「ご無沙汰してます、ルビー嬢」
卒業以来、約一年半ぶりに顔を合わせたエルヴィンは、隙のないスーツ姿でカンザナイト家へとやってきた。
管財人として頑張っていると噂に聞いていたが、久しぶりに見る彼は以前より大人びた顔をしているように思えた。いかにも仕事の出来る男といった感じの仕草で、整った容姿と相まって、女性が放っておかないだろうと予測される。
だが、エルヴィンはかなり緊張しているのか、エルグランドを見る表情は些か硬いように感じた。
「話があるという事でしたが、妹が同席しても問題ないでしょうか?」
「もちろん構いません」
ルビーの同席に少しだけホッとしたような顔を見せる彼は、やはりかなり緊張していたようだ。客間に案内してお茶を勧めると、漸くその顔から硬さが取れた。
「それでお話とは何でしょうか?」
エルヴィンが一息吐いたのを確認し、エルグランドが口火を切る。
「先日、こちらへ管財人であるカーネル氏が訪れたと思うのですが、その際の取引相手がヒルデリー子爵家というのは本当でしょうか?」
「どこでそれを?」
「ヒルデリー子爵家から、カーネル氏が担当したカンザナイト家の仕事料を負担するとの申し出がありました。その事を不審に思い、独自で運送業者などに問い合わせをして調べさせて頂きました。あくまでもこれは私の個人的な判断で行ったことであり、カーネル氏が情報を漏洩したものではありませんので、その点だけお含みおき下さい」
「守秘義務についてカーネル氏に問い合わせないとお約束しましょう。……それで、どうして貴方はこの件を調べようと思われたのでしょうか?」
「………実は、その……」
そう言葉を発したものの、エルヴィンは中々それ以上を口にしようとはしない。
言い辛い何かがあるのは明白で、何度もルビーとエルグランドの顔を見ながらため息を繰り返す。
「カークランド様、私が居ると話し辛いようなら席を外しますが?」
「いいえ、違いますルビー嬢。……その、自分の情けない行動を話すのが少々恥ずかしく……」
モゴモゴと言い訳を繰り返すエルヴィンを見ながら、ルビーとエルグランドは首を傾げる。
彼が来るまで、もしかしたら今回の手紙の犯人はエルヴィンじゃないかという推測も立てていた。
だが、彼は謝罪に来たというよりも、どちらかと言うと何かを探りに来たような感じにも見受けられる。
「その……、実は俺……、学院時代にヘレナ・ヒルデリー子爵令嬢とお付き合いをしていたんです……」
余程言い辛いのか、口調が随分と素に戻っているが、こちらとしてもその方が聞き易いため、特に突っ込みを入れずに彼の言葉の続きを待った。
「ですが、他に好きな人が出来たからと彼女には振られてしまったんです。その後、彼女の新しい交際相手がエルグランド殿だとヘレナ嬢が話しているのを聞きました」
「だからカークランド様は私に兄の恋人について聞かれたのでしたわよね?」
「はい。どう考えても俺とエルグランド殿との交際期間が被っていたので、エルグランド殿が彼女の二股に気付いていたのか知りたかったんです」
けれどあの時、エルグランドに恋人はいなかった。
しかしエルヴィンは、ヘレナとエルグランドのどちらも嘘を吐いているようには思えなかったそうだ。
そして考えた末にある可能性に行き着いた彼は、別れてから一月ぶりに手紙をヘレナへと送った。
「窓から下げられたハンカチを見て愕然としました。俺からの手紙を、ヘレナはずっとエルグランド殿からの手紙だと思い込んでいたんです……」
イニシャルしか書かなかった自分も悪いが、まさか恋人からの手紙を勘違いするなんて思いもしなかったそうだ。
「まぁ、普通は真っ先に恋人からの手紙だと思うわよね」
「そうだよな……」
寧ろ、何をどうして勘違いしたのか分からないほどである。
どうやらエルグランドの同級生だった彼女の姉の一言があるらしいが、それにしても有り得ないと感じた。
「俺なりにどうしてこうなったのか考えていたんですが、彼女はそもそも俺の名前を勘違いしていたんだと思います」
「勘違い?」
「彼女の親戚筋に、カートランド家という男爵家があります」
「あぁ、なるほど…、KではなくCという訳か」
「おそらく、彼女はずっと俺のイニシャルをE・Cだと勘違いしていたんじゃないかと……」
こればかりは仕方ないと言わざるを得ない。
我がカンザナイト家の名前でさえ、時々間違った綴りで書類や手紙が送られてくる事があるくらいだ。
平民はその辺りが特にいい加減だったし、大体は次に来る時に訂正されているので余り気にしたことは無かった。
ただ、礼節を重んじる貴族としては、少々ヘレナは迂闊なように感じる。
「それにしてもなぁ……、好いて付き合ってる相手だろ?間違うかぁ~~?」
「彼女はそれだけ俺に興味が無かったんでしょうね……」
自嘲気味に苦笑を漏らしたエルヴィンに、エルグランドが小さくため息を吐き出した。
「つまりカークランド殿は、それを根に持ってずっと俺の振りをして手紙を出されていたという訳ですか?」
ヘレナの思い込みは少々異様だとは思うし、エルヴィンが恨んでも仕方ないと思う。だが、エルグランドが巻き添えを食うのはおかしい。
「それなのですが、エルグランド殿に荷物を送ったのはヘレナ嬢で間違いないのでしょうか?」
「ええ。俺と結婚するために、『押し掛け女房』をするつもりだったようです」
「貴族が押し掛け女房って……」
乾いた笑いを浮かべるエルヴィンは、どういった風習なのかよく知っているのだろう。
「彼女は一体何を考えているのでしょうね…」
「エルヴィン殿がそう指示したのではないんですか?」
「いいえ、俺が彼女と別れてから手紙を送ったのは一度きりです」
「一度だけ?」
「はい。確認する為に送った最後の手紙以降、一年以上彼女には手紙を送っていません」
「でも兄さんはつい最近送られてきた手紙も読んだのよね?」
「ああ。会えない言い訳や荷物を送るように書いた手紙も全部読んだ」
手紙は全部で三十八通。
しかし、エルヴィンが送ったのは十通ほどだというのだ。
「つまり別れてから送られてきた手紙は、最初を除いて残りは全て偽物だという事か……」
エルヴィンが今日カンザナイト家を訪ねてきたのは、それを確認する為だというのだ。
彼は、自分が手紙を送らなければ、ヘレナの想いは自然に消滅すると考えていた。
しかしそうはならなかった。
「運送会社に聞けば、カンザナイト家は荷物を歓迎していなかったと聞きました。だからどうしても気になってしまって……」
もし、自分が送った手紙が発端だったらと気が気でなくなったらしい。思い込みの激しかったヘレナが暴走した結果なのではないかと疑っていたようだ。
しかしエルヴィンが最後に手紙を送ってから一年以上が経過している。
だからこそ、どうしてこんな事が起きているのか知りたかったそうだ。
「手紙を送らなくなったエルヴィン殿の代わりに、ずっと俺になりすました誰かが手紙を送っていたという事になるな……」
「でも兄さん、筆跡は同じだったんでしょ?」
「パッと見た感じはな。量が多かったから細かくは見てねぇんだ」
言いながら、エルグランドが何かを思い出したように眉を寄せた。
「そういや、アリューシャが言ってたな。文章がちょっとチグハグな感じがするって…」
「チグハグ?」
「直近になるにつれ、まるで物語の台詞をそのまま写したように陳腐な文章になるんだ。愛情が無くなったからだと思ってたんだが、別人だったと言われれば納得出来るな」
「何が目的なのかしら?」
「犯人がエルヴィン殿なら、振られた腹いせだろうが……」
「俺も考えなかった訳じゃありませんが、もう彼女の為に時間を使いたいとは思わなかったので……」
「ヘレナ嬢に事情を話そうと思わなかったのですか?」
そうすれば、彼女はエルヴィンとよりを戻そうと思ったかもしれない。
だがエルヴィンはそうしなかった。
「彼女にとっての俺は、恋文の相手として真っ先に思い浮かばない程度の存在だったんです。仮に手紙の件が誤解だと分かったところで、もし俺以上の男が現れれば、また彼女はアッサリと別れを切り出すでしょう」
「エルヴィン殿……」
「自分が与えた分だけの愛情を返せとまでは言いません。ですが、彼女の為に心を込めて書いた手紙を勘違いされた時の虚しさは、もう二度と味わいたくないです」
ただ彼は、勘違いさせたままだった事がずっと気掛かりだった。
手紙を出さなくなる事で、ヘレナがエルグランドに迷惑を掛けるかもしれないと考えたからだ。
しかし手紙を止めて以降、彼女がエルグランドに接触したという話は聞かなかった。
だから自然に消滅したのだろうと思っていたが、ここに来てこの騒動だ。
ゆえに、恥を承知で連絡をしてきたという。
「エルグランド殿にはご迷惑をお掛けしました」
「いや、貴方が悪い訳じゃない。悪いのは、俺に成りすまして手紙を送り続けた人物だ」
「しかし俺があの時直ぐにでも事情を説明していれば、こんな事にはならなかったと思います」
けれど、彼だって別れた元恋人に会いたくはなかっただろうし、何よりも折角送った手紙を他人と思われていたなんて自分からは言い辛かった事だろう。
エルグランドもルビーもその事でエルヴィンを責める気は全くなかった。
「ヒルデリー子爵家にも、俺が知っている範囲で説明に伺います」
「そうだな。子爵に事情を話せば、ヘレナ嬢に会うことなく面会も叶うでしょう」
「はい。この度はお話を聞いて頂きありがとうございます」
そう言ってエルヴィンは、何度も謝罪を繰り返しながら、カンザナイト家を後にした。
この後はヒルデリー子爵家へ向かうと言う。
「……本当に真面目な青年だな」
「そうでしょ?ヘレナ様も勿体ない事するわよね」
「まぁ、それだけ俺が魅力的だってことだろ?」
「そうね~、確かに財布の中身は魅力的よね~」
エルグランドがエルヴィンに劣っているとは思わないが、貴族に籍を置く彼を捨ててまでエルグランドを取るという事はそういう事なのだろう。
「………そこまでハッキリ言われるとにいちゃん凹むぞ?」
「事実でしょ?でもいいじゃない、アリューシャ様はそんな事気にしないんだから。……良かったわね、エル兄さん」
「おう、ありがとうな」
「お祝いは何がいい?」
結局使うことは叶わなかったが、ルビーの結婚祝いである虹色絹糸を、兄はわざわざ異国の現地にまで買い付けに行ってくれたのだ。
ルビーだってエルグランドの為に何か贈りたいと思っている。
「何でもいいのか?」
「私に用意出来る物にしてよ」
「だったら、一つ提案がある」
「提案?」
物ではなく提案と言ったエルグランドに嫌な予感がした。
眉を寄せながら兄を見上げると、ニヤニヤと悪い笑みを浮かべている。
「な、何が欲しいの?」
「物は自分で好きなだけ買えるだろ?だからさ、いい話を聞きたいわけ~~~」
「いい話?」
「そう。……ほらっ、サフィとの進展とか?」
「……ぐっ!」
それはもう楽しそうに肩へと腕を回してきたエルグランドは、苦い顔をするルビーを人の悪そうな顔で見下ろす。
「うちの叙爵はもう決定だろ?その上正式にニーズヘックの討伐褒章が発表されたらどうなると思う?」
「どうって……」
「カンザナイト家で未婚なのはお前とサフィだけ…。つまり結婚の申し込みが殺到するわけよ」
アルビオンとの婚約を破棄したルビーの元へは、既にかなりの数の申し込みが舞い込んでいる。
父やダリヤが必死で止めてくれているお蔭で、今のところ煩く言ってくる輩はいない。
それにいざとなれば、ミハエルがシュバルツの名を出してもいいと言ってくれている。
だが、サフィリアに限ってはそうもいかない。
「お前はあんま知らねぇかもしんねぇけど、結構いいところの商家や下位の貴族から縁談が来てるぜ」
「……本当?」
「おうよ。今のところ断っても問題ない相手ばかりだが、ニーズヘックの件が発表されれば、それどころじゃなくなるだろうな」
父がサフィリアの意思を無視した婚姻を結ぶことはないだろう。
だが、貴族になれば色々なしがらみに囚われる事になる。
その上叙爵により領地を賜るということは、何か有った際、以前のように他国へ逃げるという選択肢はなくなるのだ。
「別に俺は無理にお前とサフィをくっ付けたい訳じゃねぇ。だが、サフィが他の女のモノになる可能性もあるという事を忘れるな」
「兄さん……」
「急かすつもりはねぇけど、多分叙爵が少し早まる。サフィの為にも、お前はもうちょっと真剣に考えろ」
それだけを言って、結局何が結婚祝いに欲しいかはっきりと言わないまま、エルグランドは部屋を出て行った。
「結婚か……」
閉じられた扉を見つめ、ぼんやりとアルビオンのことを思い出す。
一度は結婚を夢見た相手だというのに、最近では思い出すことも少なくなっていた。
色々と大変な行商だったが、アルビオンを吹っ切る良い切っ掛けになったと思っている。
それに、思い掛けずサフィリアの気持ちも聞けた。
嫌だとは微塵も思わなかった。
けれど、ずっと兄だと思っていたからこそ動揺した。
嫌いどころか、とても好きな相手だと思う。
しかしそれが家族としての好きなのか、男性として好きなのか、それだけが自分の中でハッキリしない。
だから少し時間が欲しいと、待って欲しいとサフィリアには告げた。
彼はいつまでも待つと言ったし、もし兄としか見られないならそれでも構わないと言った。
望むのはルビーの幸せだけだとサフィリアは言ってくれた。
しかしその言葉に甘えて、ズルズルと時間だけが経ってしまったのは事実だ。
『サフィが他の女のモノになる可能性もあるという事を忘れるな』
エルグランドの忠告が、ジワジワとルビーの心に沁み込んで行く。
以前のルビーなら、『綺麗で優しい女性なら大歓迎よ!』と笑い飛ばしたに違いない。
けれど、それはもう出来ない。
「……サフィの隣に知らない女性が立つのは、嫌だな……」
ギュッと無意識に唇を噛み、小さくため息を吐いた。
「ゴメンね、サフィ……。もうちょっとだけ、もうちょっとだけ待って……」
気持ちなんてさっさと切り替えてしまえたらいいのに…
けれどそれが簡単に出来ないからこそ、人の気持ちは複雑なのだとルビーは思った。
次回は、残りの回答編になると思います。
感想、誤字報告をいつもありがとうございます。
相も変わらずの誤字の多さで申し訳ありません。
それと、少し前ですがレビューも頂いておりました。ありがとうございます m(__)m