勘違い
パパ子爵の受難
「ようこそ、お出で下さいましたベルクルト伯爵。カンザナイト殿」
案内した応接間で待っていたのは、真っ赤なドレスを着た妖艶な美女と、三つ揃えを着た金髪の青年だった。
その青年が娘が懇意にしているエルグランド・カンザナイトだというのは直ぐに分かった。
有名な長男に比べて地味だと言われているが、それなりに精悍で男らしく中々の男前だ。
娘のヘレナが惚れるのも頷けるほどだった。
しかも彼は来春の叙爵が確実とされているあのカンザナイト家の次男だ。
跡継ぎでなく次男という点は少々勿体ないが、娘が金で苦労することはないと思うと、これは中々に良い縁組だと思えた。
「初めましてヒルデリー様。エルグランド・カンザナイトと申します」
初手の挨拶をお互いに返し、ヒルデリーは二人に席を勧めた。
ヘレナはある程度話がまとまってから挨拶をさせる予定だ。
「生憎と妻は出払っておりまして申し訳ない」
「いえ、急な訪問でしたので……」
そう言葉を濁したカンザナイトだったが、隣のベルクルト女伯爵は些か冷めた視線でこちらを見ている。
少しだけ嫌な予感がしたが、ベルクルト女伯爵が特に何か言ってくることはなく、会話はあくまでもカンザナイトに任せるようだった。
やはりこちらの読み通り、平民のカンザナイトの為に後見としてやってきただけなのだろう。
そして静かに表情を変えないベルクルト女伯爵とは反対に、にこやかな表情のカンザナイトが何もない空間から書類をいくつか取り出した。
そう言えば、彼は近代随一の魔空間庫の使い手だと聞いた。
平民とはいえ、そんな彼と縁戚を結べるのはかなりの良縁だ。今やっている商売もカンザナイト家の力で益々繁盛するだろう。
「それで、お話があるという事でしたが?」
婚姻の話だと分かっているが、話には順序というものがある。
貴族らしくちょっと固めの言葉で、それでも上機嫌な表情で切り出したヒルデリーに、何故かカンザナイトは困惑した表情を浮かべた。
彼のその表情に、沈めた筈の不安が少しだけ浮き上がってくる。
「今日お伺いしたのは他でもありません。昨日当方へ送られてきた荷物に関してなのですが……」
「ああ、その事だね」
「先にお渡しした目録に間違いはございませんでしたでしょうか?」
「もちろんだ」
手紙で余りにも念を押されたので、家令に指示をして運送業者との書類も確認した。
「では、早々に荷物のお引取りをお願いしたいのですが……」
「引き取り…?」
「ええ、いきなり事前連絡もなく大量の荷物をお送り頂いたせいで、当家は非常に困惑しております」
「連絡をしなかったのは非常に申し訳ないのだが、荷物はそのまま娘の部屋に入れてもらえれば…」
「あの……、お嬢さんの部屋というのを何故当方が用意しなければいけないのでしょう?」
「何故って…」
嫁ぐのだから、部屋を用意するのは当然ではないか?
そう言いたかったが、頭を掠めたのは昨日から気になっていた懸念事項だ。
「も、もしかして……」
「ヒルデリー子爵?」
「その……、一つお伺いしたいのですが、押しかけ女房という風習が平民にはあると聞いたのですが、本当でしょうか?」
「押しかけ女房ですか?確かにそういう風習があるにはありますが……」
「エルグランド。それはどういうものなの?」
「女性が好意を抱いている男性の家に押し掛け、そのまま居付いて夫婦になるものですね」
「随分強引な風習なのね」
「まぁ、これは大体において煮え切らない男を押す場合に使ったりするものです。その気がなくても世話を焼かれる内にその気になったりと…、押しの強い女性が用いる手段の一つでしょうか」
カンザナイトの説明はヒルデリーが下男達に聞いたものと変わらなかった。
要するに、脈のありそうな男を落とす為の手段という事だろう。
しかしそこでヒルデリーは気付く。
どう見てもカンザナイトが娘を憎からず思っているようには見えないからだ。
「あの……」
朝から感じている嫌な予感が、ここに来て更に膨れるのを感じた。
そんなヒルデリーを一瞥し、冷たい視線を浮かべたのはベルクルト女伯爵だった。
「ヒルデリー子爵。もしかして貴方は今回その風習に則ったと?」
「はい…、娘がこういうものは早い者勝ちだと…」
「エルグランド、そうなの?」
「相手に脈がなければただの迷惑行為なのでお薦め出来ませんね。それと、恋人がいる相手にするのは騒動の元ですし、ましてや婚約者や伴侶がいる相手にはご法度です」
淡々と答えるカンザナイトの言葉に冷や汗が止まらない。
これはどう見ても娘がやらかしたとしか思えないのだ。
「あ、あの……、ではカンザナイト殿は娘とは恋仲でも何でもないと?」
「イレーナ嬢とは学院を卒業して以来一度もお会いしていませんし、在学中も余りお話しした事はありません」
「イレーナですか?」
何故ここで突然ヘレナではなくイレーナの名前が出てくるのか分からず、ヒルデリーは思わず聞き返した。
「イレーナは半年前に結婚いたしましたが?」
「では、誰がこの荷物を?」
「もちろんヘレナです」
「ヘレナ嬢……?」
呟いた声は、明らかに彼が困惑している事が窺えた。
その態度に、ヒルデリーの嫌な予感は更に膨らむ。
「も、もしかしてヘレナを御存知ない……?」
「ええ……」
「ヒルデリー子爵、ヘレナ様とはどなたなの?」
「……じ、次女です……」
ヒルデリーの声が無意識に震える。
まさかヘレナと面識がないとは露とも思わなかったのだ。
「ちなみにですが子爵…」
「な、なんですかな?」
「私はアリューシャ・ベルクルト様と婚約しております」
「は?」
「婚約を正式に結んだのは一週間前なのでまだ御存知ないとは思いますが、既に貴族院への届け出も済ませております」
「で、では、今日一緒にいらっしゃったのは……?」
「もちろんわたくしの大切な婿殿にいきなり荷物を送り付けた経緯を聞きたかったからですわ」
パチリ…と持っていた扇子を閉じ、ベルクルト女伯爵は酷く剣呑な視線でヒルデリーを睨んだ。
蠱惑的な唇で小さな笑みを描きながら、ジッとヒルデリーを見つめるベルクルト女伯爵。
まだ若い女だと舐めて掛かれば飲み込まれる。
それをヒシヒシと感じ、ヒルデリーは身を縮込ませる。
蛇の王と言われるバジリスクに睨まれるのとどちらが怖いだろうか?
そんな詮ない事を考えるも、事態が完全に詰んでいることは明らかだった。
◇◇◇
アリューシャに睨まれて押し黙ったヒルデリー子爵を、エルグランドは黙って見つめていた。
正直、思っていたよりも気弱そうな子爵に同情すらしている。
取り敢えず子爵に悪気がなかったのは理解出来た。
しかし理解出来ないのは、今回の騒動が同級生だったイレーナではなく、会ったこともないヘレナという女性だったことである。
通りすがりの女性に結婚を迫られるダリヤならまだしも、一般的な顔立ちをしているエルグランドに一目惚れはあり得ない。
つまり、ヘレナという女性は、明らかに財産目当てだと思われる。
だというのに、親であるヒルデリー子爵が全くその事を把握していないのがおかしい。
「ベルクルト伯爵、それとカンザナイト殿。知らぬこととは言え、ご婚約中のお二人には大変申し訳ないことを致しました。荷物は家人をやって直ぐに引き上げますので…」
「宜しくお願い致します。それと、申し訳ないが管財人の派遣費用はご負担頂きたい」
「もちろんです。士業ギルドに連絡して、費用はこちらへ回して貰います」
ここに来る前は荷物の保管費用や慰謝料も取ってやるつもりだったが、ここまで反省しているならその件は飲むことにした。今後顔を合わせることもあるだろう貴族に対し、無駄な軋轢を生む気はない。
「しかし、どうしてそのヘレナ嬢は面識のないエルグランドに押し掛けようと思ったのかしら」
「わ、私はてっきりカンザナイト殿とはお知り合いなのかと思っていたのですが…」
「エルグランド、貴方本当に面識はないのね?」
剣呑な視線で睨まれ、エルグランドは大きく首を横に振る。
「本当に知らないって…っ」
「それならいいんだけど……」
婚約した途端に浮気疑惑なんて洒落にならない。
これはダリヤの姿絵一枚じゃ足りないかもしれないとエルグランドが考えていると、部屋の扉が小さく叩かれた。
『お父様、ヘレナです。お話はもうお済みになられました?』
年若い女性の可愛らしい声。
だが、やはりエルグランドには聞き覚えのない声だった。
「ヒルデリー子爵、宜しければヘレナ嬢にどうしてこんな事をしたのかお聞きしたいわ」
「いや、しかし……」
「はっきりさせないと、また同じことをされてしまわれるかもしれなくてよ?」
確かにその可能性はあった。
今回の件はどう見ても令嬢個人の単独犯だ。次回から父の協力を仰げないとなると、見えないところで何をするか分かったものじゃない。
「私としても是非お願いします子爵。覚えてないのですが、もしかしたら何処かでお会いしている可能性もありますし……」
「そうですね……、ではヘレナ、入りなさい」
諦めたように発せられた言葉に、一人の令嬢が入ってきた。
レンガ色の髪に茶色い瞳をした女性だ。
「いらっしゃいませ、エルグランド様。お越し頂けて嬉しいですわ!」
優雅な仕草で挨拶を口にするヘレナ嬢。
だが、やはりエルグランドには見覚えがない女性だった。
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