押しかけ女房とは
「エル兄さんお帰り……」
「お、おう…、お前らこそお帰り、つうか、お疲れさん」
物で溢れかえる玄関ホールに驚きながら、木箱の合間を縫って漸く顔を見せたエルグランド。
久しぶりに会った妹弟達との挨拶もそこそこに積み上げられた木箱を見つめる顔には、明らかに困惑が見て取れた。
「カーネルさん、お世話になってます」
「お帰りなさいエルグランドさん」
木箱に封印票を貼る作業をしながら挨拶を交わしたカーネルに、エルグランドが恐る恐る近付いて行く。
「えっと……、これらの中身ってなんですかね?」
「未開封なので断言出来ませんが、恐らく衣類や日用品でしょうな」
「ちなみに家具は?」
「新品ではなく、使い込まれたお品なのでご安心下さい」
カーネルの言葉にホッと息を吐き出すエルグランドは、そのまま玄関を見渡して眉を下げた。
「数はどれくらいですか?」
「木箱や衣装箱の合計が六十二。鏡台などの家具が五つですな」
「はぁ~、多いですね…」
「いやいや、貴族の子女にしては少ない方ですよ」
「言われて見れば、兄貴の時はもっと多かったな…」
ダリヤ宛に送られた物は最高で百を超えたことが一度だけある。
相手はどこぞの伯爵家の次女だった。
「送り主はヒルデリー子爵家らしいわ。兄さん、心当たりは?」
「……そこの長女が学院時代の同級生だな」
「念のために聞くけど、恋仲になったことはないのよね?」
「ある訳ないだろ?近寄ってくる女はみんな兄貴目当てばっかりだったよ」
ヒルデリー令嬢は平民には興味がないのか、最低限の会話しかした事がないらしい。
特に親しくされた記憶もなければ邪険にされた記憶もない。
いわゆる只の同級生という間柄だそうである。
「正直、顔もはっきり思い出せないんだけど……」
「兄さん頑張って…」
「サフィ、お前他人事だと思って……っ」
「いや、俺も経験済みだって」
「……そうだったな…」
サフィリアは騎士学校時代の同級生の妹から、ルビーは隣のクラスの女子生徒から押し付けにあっている。
二人ともダリヤ目当てだったが、その当時ダリヤ宛の荷物は一切受け取らないようにしていた為、ルビーやサフィリア宛に送るという裏技を使われたのだ。
それ以来、事前連絡のない大量の荷物は受け取り不可にしているが、今回は久しぶりだった事、またエルグランド宛だったこともあり受け取ってしまったようである。
ちなみにダリヤ自身は計十八回経験済みで、各運送業者はダリヤ宛の荷物に限り、事前にこちらに問い合わせをするようになっていた。彼らだって大量の荷物を短期間で移動するのは嫌なようだ。
それでもダリヤが結婚してからは一度もなく安心していたのだが、忘れた頃にやってくるのが非常識な人災というやつであった。
「これは私の推測ですが、貴族の間ではカンザナイト家の叙爵は公然の秘密となっております。故に、未婚のエルグランドさんを狙ったんじゃないでしょうか?」
カーネルが言うには、未婚の貴族令嬢にとって正にカンザナイト家は狙い目であると言う。
つまりダリヤ目当てではなく、エルグランドとの婚姻目当てだろうという話だ。
「もしかしたら、これから増えるかもしれません」
有り難くない予想に、ルビー達三人はゾッとする。
今回はエルグランドだったが、サフィリアだって被害に遭う可能性があった。
これは早々に運送業者に根回しし、大量の荷物搬入依頼があった際は先に連絡をくれるようお願いするしかない。
「エル兄さん、子爵家なら交渉人をお願いした方がいいんじゃない?」
「それなんだけど、アリューシャ様が来るって……」
「……アリューシャ様が?」
どうやらエルグランドは今までベルクルト伯爵邸にいたらしい。
アリューシャの父である前ベルクルト伯爵に気に入られたエルグランドは、彼から領地経営の補佐として仕事などを勉強しているという。
そしてそんな最中にもたらされた押し付け荷物の悲報。
今までの前例から何となく事情を察してため息を吐いたエルグランドとは反対に、それを聞いたベルクルト親子は一気に不機嫌になったそうだ。
「何か、喧嘩売られたとか何とか……」
「なるほど……」
公表されてはいないが、エルグランドはアリューシャの婚約者だ。
既に貴族院にもその届け出はされている。
つまり、エルグランド宛に花嫁道具と思しき荷物を大量に送りつける行為は、ある意味アリューシャに喧嘩を売っているに等しい事態でもあった。
「アリューシャ様というとベルクルト女伯爵様ですか?」
「ええ、この度彼女と結婚する事になりまして」
「そうなんですか?!おめでとうございます、エルグランドさん」
「ありがとうございます。ですので、荷物の目録だけお願い出来ますでしょうか?」
「お任せ下さい。明日の話し合いまでに、詳細な書類をお届け致しましょう」
「宜しくお願いします」
既にヒルデリー子爵家には明日の面談予約を入れている。
腹の立つことだが、わざわざこちらが相手の家に行かなければいけない。
だが、迷惑料も含めてがっつりと搾り取ってやる予定だ。
管財人の依頼料はそれなりに高額だし、玄関ホールに置かれた荷物の保管料も当然請求する。
「ベルクルト女伯爵様のお手並み拝見ですね」
好奇心を滲ませたカーネルとは反対に、カンザナイト家の面々はため息を吐くより他になかった。
「俺、ちょっと兄さんの姿絵を倉庫で漁ってくる…」
今のエルグランドに出来るのは、アリューシャへのご機嫌伺いという名の報酬を用意するのみであった。
◇◇◇
その日、ヒルデリー子爵は朝から落ち着き無く部屋の中をウロウロと行き来していた。
というのも、今日やって来る客人にどう対応したものかと朝から考えているものの、未だにその答えを出せないでいたからだ。
「お父様、いい加減落ち着いて下さいませ」
「しかし……」
「向こうがわざわざご挨拶に来るというのですから、こちらは落ち着いていれば良いのですわ」
「だがベルクルト伯爵まで一緒というのはおかしくないか?」
「エルグランド様はまだ貴族籍ではございませんので、後見人をベルクルト伯爵様にお願いしたのでしょう」
ベルクルト女伯爵はカンザナイト家の長男と懇意らしいので、その関係でお願いされたのだろうと娘のヘレナは言った。
だが、どう考えても昨日送られてきた手紙はそんな感じではなかった。
急いで書いたらしき手紙には、カンザナイト家と共に明日伺うとしか書かれていなかったからだ。
婚姻に関することであればそれなりの挨拶が有ってしかるべきなのに、そういった事は一切書かれていない。
「ヘレナ、本当に荷物を先に送ったのは問題がなかったのか?」
「しつこいですわよお父様。平民では女性の荷物を先に送るのが常識なのです」
「しかし正式な婚約もまだなのに…」
「そんなものを待っていたらエルグランド様を他の女に奪われますわ。いいですか、お父様。平民には『押しかけ女房』という風習があるのです。先に荷物を送り付けた者が妻の座を射止められるという風習ですわ。要するに早い者勝ちなのです」
そう力説する娘にその気にさせられ、大量の荷物を送った昨日。
届いて直ぐにカンザナイト家からは手紙が届いた。
明日伺いたいという手紙に、結婚の挨拶だと喜んだのも束の間、どうにも手紙の内容がおかしいことに気が付いた。
何故なら、手紙と共に送った荷物の簡単な目録が添えられており、事前に確認しておいて欲しい旨が書かれていたからだ。
簡易だが、どう見ても管財人が作成したと思われる正式な書類。
平民といえど流石は叙爵目前の豪商だと感心したものの、何故こんな目録を渡されるのか分からない。
抜けがないか確認しろと言う意味なのかと好意的に解釈したものの、ずっと違和感が付き纏っている。
そもそも、本当に『押しかけ女房』なる風習が存在するのかは若干疑問だった。
それとなく平民の使用人に確認してみたが、みんな言葉を濁すだけで明確なことを言わない。
ないのかと聞けばあるとしか答えない。
もしかして悪い風習なのかと聞けば、そういう訳でもないと答える。
好意を抱いている相手からなら大歓迎だという者もいたので、結婚への足掛かりとしては問題ないようだった。
疑問は残ったものの、結局は娘のヘレナが言うままに荷物を送ることを了承してしまった。
だが、ここに来て何故か無性に不安に襲われている。
何故なら昨夜、再びカンザナイト家から荷物の正式な書類が送られてきたからだ。
昼間には簡単な形状と個数しか書かれていなかった目録は、更に詳細な物になっていた。
木箱や衣装箱が大きさ毎に分類され、家具の状態についても言及されたものだ。
また、現在それらの荷物はカンザナイト家の玄関ホールに保管されており、一切開封はされていないと管財人によって保障されていた。
こちらとしては何故開封しないのか不思議でならない。
それどころか、カンザナイト家からは絶対に開けないという断固たる意思が感じられる。
故に、段々と後悔が押し寄せてくる。
娘のヘレナは大丈夫だと言ったが、やはりいきなり荷物を送り付けるのは間違いだったのかもしれない。
けれど既に荷物は送ってしまった後だ。今更間違いだったとは言えない。
それにもし間違っていたとしても、子爵家からの縁談だ。向こうからしても願ってもない縁談だろう。
「旦那様、ベルクルト伯爵様とカンザナイト家の方々がお越しになりました」
「分かった。応接室にお通ししろ」
約束の時間に遅れることなくやってきた一行に、ヒルデリー子爵は腹を括った。
豪商と言っても所詮は平民だ。
それに、伯爵位を継いで間もない女伯爵ならどうとでもなる。
だが、そんな子爵の腹積もりは、会って直ぐに霧散することとなるのだ。
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