過去の清算
七年前の事件とは、ダリヤがユリーナ嬢によって呪われてしまった忌まわしい事件のことだ。
先日貰った手紙で、ミハエルと間違って呪われたという真実が明らかになっていた。
だが何故そうなったのかの詳細は書かれておらず、少なからずモヤモヤしていたのは事実だ。
「僕が至らないばかりに、ダリヤと君たち家族には多大な迷惑を掛けた。本当にすまなかった」
「ミハエル様……」
「ダリヤは自分が納得しているから謝罪はもういいと言ってくれたが、ご家族に心労をかけたのは事実だ。本当にすまなかった」
真摯な謝罪は、彼の心情を表すかのように実直なものだった。祖父や、王都にいる父とエルグランドにも既に謝罪済みのようで、ダリヤが呆れた顔をしている。
「別にわざわざ謝罪しなくていいと言ったのに、ミハエルが聞かないんだ」
「謝罪するのは当たり前だ。黙っていたことも含め、明らかに僕が悪い」
そう言ったミハエルは、謝罪と共に簡単な経緯を説明した。
ユリーナ嬢とは血縁関係にある事が判明した為、婚約を破棄したそうだ。
だが、その件に納得出来ないユリーナ嬢がその事を恨んでミハエルを呪ったという。
「僕がちゃんと彼女と真摯に向き合って話し合えば良かったんだと思う」
ミハエルはそう言ったが、結婚出来ない事情が事情なだけに、それはもうユリーナの八つ当たりではないかと思った。
今まで黙っていたことも謝罪してきたミハエルだったが、高位貴族の血縁関係なんて醜聞は、絶対に聞かない方がいい案件だ。
「事情があったにせよ、長年黙っていたのはダリヤに嫌われたくないという僕の傲慢ゆえだ。それ故にダリヤや君たち家族に長年心労をかけた。本当に申し訳ない。お詫びと言っては何だが、僕に出来ることがあれば何でも言って欲しい」
ミハエルはそう言うが、悪いのは呪いを掛けたユリーナ嬢だ。
それに多分、呪い以降もずっと苦しんでいたのはミハエルも同じではないかと思う。
ダリヤにいつバレるかずっと神経を張り詰めさせていた事だろう。
「えっと……」
お詫びと言われても何も思い付かずルビーが言葉を濁していると、見かねたダリヤから助け舟が出された。
「ミハエルには、トラーノ商会との取引中止で穴が空いた絹に関してかなりの融通をして貰っている」
「あ~、それであれば私からは何も…」
ルビーの婚約破棄による尻拭いというやつだ。
「それから、ミハエルがカリーナ嬢と結婚したのは、この件でうちに迷惑を掛けない為だ」
確かに事件の当初、ケルビット伯爵からはかなりの難癖を付けられていた。
しかしある時を境にピタリと無くなったのは、エメラルダ王女殿下やクローディア聖下が何かしてくれたのかと思っていたが、どうやらミハエルが押さえてくれていたらしい。
しかもその為の結婚相手が評判の悪いカリーナ嬢だというから、ちょっと責める気にはなれなかった。
「カリーナと結婚したのは打算だから気にしないで欲しい」
「打算?」
「ユリーナと僕の血縁関係を示す物がどうしても見つからなかったからね。ずっと探していたんだ。何も知らない父と母にはどうしても知られたくなかった……」
だからこそカリーナと結婚し、亡くなった伯爵夫人の手紙を探した。
ケルビット伯爵の手に渡れば、それがどんな脅しに使われるか分からない。そして何よりも、何も悪くない両親が苦しむのを見たくなかったそうである。
だからこの七年、ミハエルはアリューシャと同じようにずっとユリーナが残した手紙、そして呪術の書かれた本を探していたのだ。
「カリーナは薄々ユリーナの死に僕が関わっているのに気付いていたんだと思う。お蔭で結婚した当初から酷い浮気三昧の上、散財も凄かったんだ。多分僕が強く止められないのを分かっていたんだろうね……」
だが、さすがに限界がある。
カリーナの遊行資金を制限したところ、公爵家所有の鉱山を勝手に売り払おうとしたそうだ。
「さすがに我慢の限界で離婚を考えていたところに、ルビー嬢の結婚が破談になったと聞いたものだから、直ぐに離婚してしまったよ」
ミハエルの言葉に、サフィリアの眉がピクリと上がる。
「……ルビーの婚約破棄と何の関係が?」
「実は僕、ルビー嬢に求婚してるんだ」
「は?」
呟いた瞬間、サフィリアの視線がダリヤへと向けられた。
サフィリアに睨まれたダリヤが、困った顔をしながらため息を吐く。
「ちゃんと断ってるから、そんな顔で睨むな」
「そう、残念なことだけどダリヤには断られてね……」
言いながら、ミハエルはルビーの手を静かに取った。
「けれど、やはりルビー嬢の口からハッキリと聞きたい」
「あの…っ」
「ダリヤの結婚式の時、君がくれた言葉が僕を救ってくれたんだ。ダリヤとの友人関係に悩んでいた僕を、君は『友達思い』だと言ってくれた。その言葉が僕は凄く嬉しかったんだ」
「ミハエル様……」
七年前の件をダリヤに話せない事をずっと悩んでいたミハエル。
その苦悩は、恐らくルビーの想像を絶するものだったに違いない。
「ルビー嬢、どうか僕との結婚を考えてくれないだろうか?」
愛を請うように跪いたミハエルは、そのままルビーの手の甲にそっと口付けた。
その瞬間、傍でなりゆきを見守っていたサフィリアの顔が無表情になった。
そんなサフィリアを見たダリヤが苦笑を浮かべているが、サフィリアが話に割り込んでくる事はなかった。
「ミハエル様…」
小さく呟き、未だ跪いたままのミハエルに視線を合わせるように、ルビーも同じように身を屈めた。
二人して身を屈めたまま話をする事になったが、そのまま構わずに言葉を続ける。
「お気持ちは嬉しいのですが、やはり私に公爵家は荷が重すぎます」
アリステラを見ていて思うが、ルビーに公爵家の妻など到底務まらない。
「君が何かする必要はないよ。ただ、傍に居てくれるだけでいい」
「それは私が嫌です。私は、お互いに助け合い、支えていける関係を望みます。それに私は商人の娘で、根っからの商売好きなんです。商品を買ってくれた人が笑顔になる瞬間が本当に好きなんです。出来る事なら、ずっとこうやって行商しながら国を周りたいと思っています」
「ルビー嬢……」
「……だからごめんなさい。結婚のお申し出は辞退させて下さい」
「そうか…」
「はい。申し訳ありません……」
「君が謝ることじゃない」
言いながらミハエルはルビーの手を取り、そのままルビーを引き上げるように一緒に立ち上がった。
お互いにしゃがみこんだまま、しかも家族が居る前での間抜けな断り方だったが、ミハエルにはちゃんとルビーの気持ちが伝わったようだ。
「ちゃんと断ってくれてありがとう」
にっこりと微笑んだミハエルは、そのままダリヤに向かって小さく愚痴を漏らした。
「ダリヤが僕のことを沢山褒めてくれていたらルビー嬢も考えてくれていたかもしれないよ?」
「それは無理なご相談です、シュバルツ公爵様」
「ここでそういう口調をするところが本当に腹が立つな。振られた僕を慰めるくらいしろよ」
「無謀な挑戦をしたミハエルが悪い」
小突き合いを始めたミハエルとダリヤに苦笑を漏らしながらも、場を和ませてくれたミハエルに感謝する。
貴族で、しかも公爵家からの縁談だ。
本来なら断れるはずもないものだが、ミハエルはルビーの気持ちをちゃんと尊重してくれた。
とても良い人だと思う。
それだけに断るのは非常に心苦しいが、自分の気持ちを押し殺して嫁いだところで、多分それはミハエルが求めるルビーではなくなっているだろう。
それに…
「えっと、サフィ……。いい加減、その無表情止めない?」
ミハエルが求婚した辺りから無言のサフィリア。
先ほどからずっとサフィリアが気になって仕方なかった。
「サフィはその……、止めなかったね……」
「うん。前にも言ったけど、ルビーの気持ち優先だから」
「そっか…」
「でも、まぁ……、断ってくれてホッとしてる……」
「うん……」
「はぁ~~~~、でもちょっとこれはキツいな……」
ルビーが誰を選ぼうと、サフィリアはその気持ちを尊重すると言った。
時間は掛かるが兄に戻るとまで宣言した通り、その気持ちを無視するような邪魔はしないようだ。
だが、それでも見ているだけの状況と言うのは、思ったよりきつかったらしい。
「シュバルツ公爵様…」
「何だい、サフィリア君?」
「七年前の詫びをという事なら、ルビーへの求婚はこれっきりにして下さい」
「はっきり言うね……」
「……俺も余裕がないので……」
「分かったよ。元より、しつこく言い寄るつもりもなかったしね。ちゃんと断って欲しかっただけだよ」
「ミハエル様……」
「ルビー嬢には手間を取らせてしまったけど、これも振られた男が前に進む為に必要な事だと思って許して欲しい」
「許すも何も、お気持ちは大変嬉しいものでした」
「ありがとう……」
そう言って少しだけ寂しそうに目を伏せたミハエルだったが、次に顔を上げた時はいつもの彼に戻っていた。
「それでは、そろそろ僕は失礼するよ。遅い時間にすまなかったね」
「こちらこそ面倒を掛けてすまなかったミハエル」
「これくらいは何てことない。それじゃあまた明日」
「ああ、おやすみ」
ダリヤと言葉を交わし、部屋を出て行くミハエルを全員で見送る。
結婚の話は本当に驚いたが、七年前の真相を知ることが出来て良かった。
「もしかしたら、ミハエル様とアリューシャ様が組んでいたら、もっと簡単に日記も見つかったんじゃないかしら?」
「あの二人に限ってそれはない。ミハエルとアリューシャ嬢は仲が悪いんだ…」
公爵家の事情をアリューシャに知られたくないのかと思ったが、純粋に仲が悪いだけだった。
本人たちは隠しているようだが、二人の会話は非常にギスギスしているそうだ。
「しかしシュバルツ公爵がまさかルビーに求婚するなんぞ思わなかったのぉ。本当に良かったのかルビー?玉の輿じゃぞ?」
少しだけ意地の悪い笑みを浮かべた祖父は、ルビーに、と言うよりはサフィリアに聞かせるように言葉を紡いでいる。
「勿体ないの……」
「おじいちゃん、意地悪言わないでよ。私に公爵夫人なんて無理に決まってるでしょ。ミハエル様はとても良い方だとは思うけど、私は今みたいに商売の事とか考えている方が好きなの」
「サフィリアと一緒に?」
「ぐっ…、べ、別にサフィだけじゃなくて、みんなと一緒によ」
「なるほどなるほど……。良かったの、サフィ」
カラカラと上機嫌に笑いながら、シトリアはサフィリアの肩を機嫌よく叩く。
「……おじいちゃん、物凄く楽しそうだね?」
サフィリアが言うように、祖父は妙に上機嫌だった。
拗ねたような顔のサフィリアとは反対に、ニコニコと浮かれたような面持ちである。
「サフィが言うように、わしは今、非常に気分がいい。だって今日はトパーズが戻ってきた良い日じゃ。わしが生きているうちに会えるとは思わなんだからな……」
「おじいちゃん……」
「しかも、仇のニーズヘックはサフィとルビーが討ち取ってくれた。これほど嬉しいことはない」
トパーズが亡くなっていた事は悲しいことだが、元より覚悟の上だった。
だからこそずっと、骨の一欠けら、遺品の一つでもいいから墓に入れたいと家族全員が思っていたのだ。
それなのに、思いがけないほど良い状態でトパーズの亡骸は帰って来た。
祖父はそれが嬉しくて仕方ないらしい。
「まぁ、ちぃとばかしギルレイドに難癖は付けられたが何てことはない。………という訳でサフィ、ベルクルトのアリューシャ嬢から貰ったワインを出さんか?飲みたい気分じゃ」
「そうだね」
嬉しい気持ちはサフィリアも同じだった。
彼は一つ頷くと、魔空間庫から先日貰ったばかりのワインを取り出す。
それを見ながら、今度はダリヤが自分の魔空間庫を漁った。
「んじゃあ、今度は俺がそんなじいさんの為に特別な酒を出してやる」
「おっ、フーラッシュの三十年物じゃないか!」
ダリヤが魔空間庫から取り出したのは、年代物のブランデーだった。
手に入れるのが難しいと言われる逸品だ。
「エルの結婚祝いにと思っていたが、トパーズ叔父さんとの再会を祝う為ならいいだろう」
「兄さん、ありがとう」
「礼はいいから、サフィは氷を出せ。ルビー、何かつまみは持ってるか?」
「チーズとサラミならあるわよ」
言いながら、各自が魔空間庫から酒盛り用のつまみやグラスを出す。
その中でもやはり時間停止機能のあるサフィリアが出す物は、ルビー達に比べると中々に良い品揃えだった。
氷は勿論、屋台で買った熱々の串焼きまで出てきた時には場が盛り上がる。
「では、トパーズの帰還を祝して、乾杯!」
「「「乾杯!」」」
その日ルビー達は、明け方近くまでトパーズとの思い出を語り明かした。
泣いて笑って色々と慌しい一日だったけれど、それでもやはり祖父が言うように良い一日だったと思った。