王女の暴走
着替えて戻ってくると、無駄にキラキラした男どもが優雅にお茶を飲んでいた。
部屋に居た侍女達は、それはもうここが天国だとでも言うように、うっとりとした表情で嬉々としてお茶を淹れている。
正直、その中に入っていくのは勇気がいった。
「……お待たせしました」
「先ほどよりもマシになったな。さすがに子爵邸の侍女の方々は違う」
要所要所で子爵や侍女を褒めることを忘れないダリヤは流石だった。
こういう口の上手いところは非常に商売上手なところでもある。
「それで殿下、お話はまとまったのでしょうか?」
「ああ、ミハエルの案をそのまま採用する。ギルレイドはファーミングやミレーユの件を突いてくるだろうが、あくまでも彼らは王女の我が侭による被害者だ。ルビー嬢もそのつもりで話を合わせてくれ」
「承知しました」
王女に利用されていたセーチェック姉弟は完全にこちらの味方だったし、彼らの生家であるセーチェック本家も非常に怒っているらしく、ギルレイド王家はそちらへの対応でも忙しいようだ。
また、利用されていたと知ったダリウス・カザンも調査には協力的で、今は憑き物が落ちたように淡々と王女について話をしているようだった。
彼は恐らくカザン本家から廃嫡されるだろう。だが、本人もそれだけの事を仕出かしたと納得しているようで、今は家に迷惑を掛けたことを悔いているそうだ。
「ホント、王女様は何がしたかったんでしょうね」
「何がって、俺の傍に来たかったんだろ?」
「あぁ、うん……、そうなんだけどね………」
来たところで、ダリヤが王女の望む生活を用意出来るとは思えない。
でも、頭に花を咲かせてしまった王女にはそれが分からなかったのだろう。
「ルビー嬢には、彼らと行き合った当時の状況を話して貰うことになるだろう。宜しく頼む。それと、申し訳ないがダリヤには常に引っ付いていてくれ」
「それは構いませんが…」
意味を理解しかねて首を傾げると、ミハエルが意味ありげな視線で小さく笑った。
「ほらっ、大分苛々してるみたいだから、暴走しないように頼むよ」
「なるほど………」
視線を向ければ、聞こえていた癖に他人事の顔をしたダリヤがいる。
本当に機嫌が悪いようだ。
多分、その機嫌の悪さの中には、巻き込まれたルビー達を心配している事も含まれている。
「兄さんはちょっとお疲れのようね」
「お前やエルが次から次へと問題を起こすからだ」
「これが終わったらちゃんと手伝うわよ」
その点については反省しているが、今回の件に関してはルビーは無関係だ。
むしろ完全なる被害者である。
「はぁ……癒しが欲しい」
そう言って折角整えて貰ったルビーの髪を撫でるダリヤ。
ダリヤにとってルビーはこの世で唯一安心して甘やかす事が出来る女性でもある。
その容貌ゆえに女性に対しては必ず一線を引くことを余儀なくされているダリヤにとって、ルビーだけが唯一気を使わなくても良い相手だった。
だから疲れていたり、機嫌が悪いとそれはもうベタベタと鬱陶しいのだ。
そんな事は妻であるローズ相手にしろと思うのだが、それとこれとは別物らしい。妻には男らしいところを見せたいそうである。
本当に面倒な兄だ。
「ダリヤの意外な一面を見たな…」
「そうだね……」
殿下とミハエルが感心したように見る一方、部屋の中の侍女達からは一斉に羨望の眼差しを受けた。
実の兄に構い倒されても全く嬉しくないルビーとしては、替われるものなら替わって欲しいと本気で思っている。
「ほらっ兄さん、もう行くわよ。面倒なことはさっさと終わらせておじいちゃんとサフィに合流しましょ」
「そうだな。………はぁ……、本当に面倒くさい……」
そう言って立ち上がったダリヤに、殿下やミハエルも続く。
そうしてギルレイドとの会合は、ダリヤの機嫌が悪いまま行われる事となった。
「ダリヤ様!わたくしという者が居ながら、その隣にいる女は何ですの?!」
会場に入ってきたダリヤを見て固まったギルレイド一行。
第三王子だというアルタイル・ギルレイドでさえ、ダリヤの美貌に呆然としていた。
護衛の騎士はさすがに表情を崩さなかったが、今回の騒動の張本人であるステラ王女は、やっと会えたダリヤを拝むように恍惚とした表情で見つめている。
しかし、彼女はダリヤを暫く観賞した後、漸くダリヤの横にいるルビーの存在に気付いたのか、途端に眦を吊り上げて喚き散らしたのだ。
今にもルビーに飛び掛ってこようとする程の勢いに、両国の騎士が一斉に身構えた。
「この娘は私の妹ですが何か?」
ダリヤが余所行きの話し方でそう言えば、途端に王女の動きが止まる。
「あ、そうなのですね…。しかし妹といえど、そこまで密着する事は許さなくてよ。貴女、ダリヤ様から離れなさい」
上から目線で当然のように命令するステラ。
だが、エメラルド殿下からはダリヤの隣にいるように言われている。
一応窺うようにエメラルド殿下に視線を向けると、殿下は小さく頷いた。
「そのままでいい。それよりアルタイル王子よ、早速本題に入ろう」
「え、ええ…、そうですね」
喚く王女を無理矢理女性騎士に押さえ込ませ、アルタイル王子殿下は困惑したまま席に着いた。
想像よりも遥かに酷い王女の態度に戸惑っている様子がよく分かる。
だが、戸惑っているのは王女の同席を聞いていなかったこちら側も同じで、何故連れて来たんだとエメラルド殿下が渋い顔をしていた。
正直、面倒な予感しかしない。
「ではまず紹介といこう。先ほどのステラ王女の発言で分かったと思うが、この男がそちらが会いたがっていたダリヤ・カンザナイトで隣にいるのが彼の妹のルビー嬢だ」
エメラルド殿下の紹介と共に挨拶をすれば、アルタイル王子は厳しい顔のままダリヤを見つめた。
「ギルレイドの第三王子であるアルタイルだ。………姉は君と恋仲だと言っているが本当だろうか?」
「滅相もございません。私はヴァルテンベルクの一介の商人で、王女殿下のような御方と恋仲など……」
涼しい顔をしながら恐れ多いと断言するダリヤに、益々アルタイルが苦々しい顔をする。
「つまり貴殿は姉とは会ったことはないと?」
「いいえ。一度当方の店にてご挨拶をさせて頂きました。まさかギルレイドの王女殿下とは存じ上げませんでしたが」
「その後は一度も会っていないのか?」
「もちろんです」
「しかし姉は君とは相思相愛の仲だと言っているが?」
「誰かと勘違いされているのでは?」
「嘘よ!ダリヤ様はわたくしを想っていると言って下さったわ!証拠だってあるのよ!」
そう言って王女が出した数十通に及ぶ手紙。
だが、ルビー達ヴァルテンベルク側に動揺は走らなかった。
事前の聞き取り調査で手紙の存在は知っていたからだ。
ファーミング侯爵は手紙の処分を指示していたようだが、王女の性格を考えれば残っている可能性は大きかった。
そしてそれはファーミング侯爵も想定済みだったようで、彼は手紙に関しては何重にも及ぶ安全策を張り巡らしている。
そしてそれはどうやら功を奏したようで、逆に苦い顔をしたのはギルレイド側だった。
「姉上、その手紙は何の証拠にもならないと言ったではありませんか……」
「何を言ってるの?!これはわたくしとダリヤ様の愛の証よ!」
そう言ってテーブルへと撒かれた手紙の数々。
その一通を楽しげな様子でミハエルが手に取り、中身を読んで馬鹿にするような小さな笑みを浮かべた。
「これがギルレイドでは愛の証になるのですか?どうやら我が国とは文化が違うようですね」
「それは…」
「今後ギルレイドの方に手紙を送る際は気をつけた方が良さそうだ」
ミハエルの嫌味と取れる言葉に、アルタイル王子が言葉を濁す。
さり気なくミハエルが開いた手紙に視線を向けると、『貴女は私には勿体無い』などという、丁寧な言い回しの断り文句が並んでいた。
確かに、これでどうやったら勘違い出来るんだろうという内容だ。
恐らく王女は断られた事がないため、それをただ遠慮しているだけだと受け取ったに違いない。お目出度い頭だ。
それにどう見てもこれらの手紙の筆跡はダリヤのものではない。
「言いたいことは多々ありますが、これらはダリヤの手による物ではありませんね。まぁ、王女に送る為に筆跡を変えていたと言われればそれまでですが、どちらにせよそれは証拠にはなりえません」
ミハエルの言葉にアルタイル王子は反論しなかった。
彼もこの手紙に関してはこの場に出すつもりは無かったのだろう。お花畑王女の独断のようだ。
しかしアルタイル王子はミハエルの嫌味で引くほど弱くもなかった。
「それでは王女を混乱させるようなこの手紙を出したのは誰でしょう?」
「ファーミング商会の人間が、王女殿下にダリヤへの繋ぎを取れと脅された結果、苦肉の策として手紙を書いたと自供しております」
「ファーミング商会が?」
「ギルレイド支店の支配人が書いたようですね。エメラルド殿下の婚約者でありながら、ダリヤ・カンザナイトに連絡を取れと言われて随分困ったようですよ?しかも無理矢理押し付けられたのが恋文となれば、彼の困惑も相当でしょう。確かに、ダリヤを騙って手紙を書いたのは褒められた事でございませんが、我が国の王族であるエメラルド殿下を想ってのことです」
浮気の協力を求められて自国の王族を裏切る馬鹿はいない。
ミハエルは暗にそう言っている。
手紙の件は確かにファーミングが悪いが、そもそもの発端はあくまでも王女なのだ。
「とはいえ、王女殿下を混乱させたのは事実。ファーミングの当主である侯爵にはそれ相応の処分を下す予定です」
その決定に不満があるならギルレイドへの引渡しもするとミハエルは断言した。
そこまで言われればアルタイルも何も言えない様子だ。
だが、ここで黙っていられないのがステラ王女である。
手紙を書いたのがダリヤではないと言われ、困惑した顔でダリヤを見ている。
「これはダリヤ様が書いた物ではないの?」
「先ほどからその話をしているのですが?」
「貴方には聞いてないの!わたくしはダリヤ様にお聞きしているのよ!」
この会議室に入ってから、ずっと彼女はダリヤを見ている。
まるでダリヤが自分を迎えに来たと本気で思っているようだった。
あと、ルビーをやたらと睨んでくるのは止めて欲しい。
「ダリヤ様はわたくしを迎えにきて下さったのよね?」
その言葉に、我がヴァルテンベルクだけでなく、ギルレイド側の面々すら頭を抱えるようにため息を吐いている。
「失礼ながら王女殿下。私は結婚して子どもがいる身ですので、王女殿下をお迎えする事は出来ません」
「だったら何故この場所にいるの?分かったわ!エメラルド殿下がいらっしゃるから遠慮しているのね?大丈夫よ、殿下は分かって下さるわ」
断言されたエメラルド殿下の顔が引き攣っている。分かりたくないと絶対に思っているはずだ。
「大変申し訳ございませんが、私はたった一度だけお会いした方を懸想するほど女性には困っておりません」
「なっ?!」
「ちょっと、兄さん?!」
顔に似合わず短気な兄が怒るのも無理はないが、さすがに相手は隣国の王族だ。
不敬が過ぎる。
しかし必死でルビーが止めようとするのとは反対に、何故かミハエルがそれを擁護するように口を開く。
「まぁ、ダリヤはこの通り美しい男ですので王女殿下が勘違いするのも仕方ありません」
嘲るような声のミハエルに、ステラ王女が怒りで目を剥く。
だが、そんな王女を抑えるようにアルタイル王子がこちらを睨み付けた。
「姉を勘違いさせるような事をされたのでは?」
「勘違いね…」
言いながらダリヤが小さく目を伏せながらアルタイル王子を見た。
長い睫が彩る琥珀の瞳が、ジッとアルタイル王子を見つめる。
「正直、私が微笑むだけで誰もが勘違いするんですよ、アルタイル王子殿下」
魅惑と呼んで相応しい笑みがアルタイル王子殿下を射抜く。
途端に真っ赤な顔で固まった彼を誰が責められよう。
「私の愛を請う人間など掃いて捨てるほどいます。幾ら高貴なご身分の方とはいえ、私の記憶に残るのは限られた人だけで、残念ながらステラ王女殿下におかれましては、店の支配人に言われるまで忘れておりました」
王女など記憶に残す価値すらない。
ダリヤははっきりとそう言った。
王族相手に不敬も不敬の発言だが、それを咎める者はいない。
誰もがその言葉に納得するほど、ここにいる誰よりも兄は美しかった。
妖艶と呼んでも違和感のないダリヤの笑みに、免疫のないギルレイドの面々は完全に固まっている。
男女問わず見惚れるダリヤの本気の魅了だ。
貶されたはずのステラ王女でさえ、ボーと兄を見ているのだから恐ろしい。
多分、話の内容などろくに理解していないに違いない。
そして、見慣れているはずのミハエルやエメラルド殿下でさえ、兄を見ながら嬉しそうに頷いているのがダリヤの性質の悪いところだと思う。
「……えっと、そういう訳ですので、兄の無実はご理解頂けたでしょうか?」
誰も言葉を発しないので、仕方なくルビーがそう締め括った。
多分、今日のルビーの役割はこれだ。
そしてそんなルビーの発言に、アルタイル王子が慌てた表情でルビーを見る。
「た、確かに彼が姉と恋仲であるというのはこちらの勘違いだったようだ」
「ご理解頂けて何よりでございます。また、兄の非礼をお詫び申し上げます」
不敬も合わせて詫びると、場が少しだけ緩むような気配がした。
そして兄はと言うと、もう自分の出番は終わったとばかりに普段の仏頂面に戻っている。
と言っても仏頂面だと思っているのは恐らくルビーだけで、見慣れていないギルレイドの面々はまだうっとりとダリヤを見つめていた。
「兄さん……やりすぎ…」
周りに聞こえないようにこっそりと苦言を呟けば、ダリヤは不機嫌そうに鼻を鳴らすだけで何も言わなかった。
あぁ…、これは本当に機嫌が悪い。
この後どうやって機嫌を取ろうかと頭を悩ませていると、ようやく我に返った面々達が話を再開し始めた。
「さてアルタイル王子殿下。ダリヤとステラ王女が無関係と分かった今、今度はそちらの言い分をお聞かせ頂けますか?」
「言い分ですか?」
「ええ、書面上とはいえ、既にエメラルド殿下との婚約は済んでおります。その事実を思い出して頂き、是非この度の王女殿下の振る舞いに関する言い分をお聞かせ頂きたい」
言葉は丁寧だが、要するにどう落とし前を着けるかを迫っているのだ。
「こう言っては何ですが、エメラルド殿下が居なければ王女殿下はニーズヘックにより命を落としていたでしょう。また、王女殿下が不用意にニーズヘックを刺激したお蔭で、森の魔獣が荒れるという事案も発生しております」
「その件に関してはファーミング商会の誘導だったと聞いていますが?」
「そうですね。しかし王女殿下に脅されては……」
あくまでもミハエルは王女殿下に脅されたファーミング商会という立ち位置を変えないようだった。
「その上今回こちらのルビー嬢が気付かなければ、殿下は偽者のステラ王女と結婚する羽目になっていた事でしょう。これは我がヴァルテンベルクを謀るつもりだったと仰っているようなものでは?」
「そのような事実は一切ございませんよ。それに、偽者はそちらの国の女性だったと聞いております」
「そうですね。そちらの護衛騎士に騙されて連れて来られた可哀想なお嬢さんです」
可哀想という部分を強調し、殊更大げさに嘆く素振りをするミハエル。
この場は完全にミハエルの独壇場になっている。
綺麗な外見とは裏腹に、さすがは公爵家という言葉の巧みさだ。
「では、取り敢えず決まっている事から申し上げましょう。まず当然の事ながら、エメラルド殿下とステラ王女殿下の婚約は破棄とさせて頂きます。これはステラ王女殿下からの要望でもあり、我が国の総意でもあります」
「………仕方ありません」
さすがにそれはギルレイドも想定済みだったようで、反論する事はなかった。
そして何故か妙に嬉しそうなステラ王女は、多分まだ自分の立場が分かっていない。
「今回の件、エメラルド殿下に一切の落ち度がない点を踏まえてそちらのお話をお聞きしましょう」
「陛下からはステラ王女の直轄地をそちらへと……」
そう言ってアルタイル王子はエメラルド殿下へと詳細が書かれた紙を差し出した。
チラリと見えた文には我が国と隣接した港町を譲渡する旨が書かれており、かなり美味しい内容の慰謝料となっている。
というか、出す気があるなら最初からダリヤに難癖など付けずにさっさと出して欲しかった。
まぁ、王女の馬鹿を誘発したダリヤに文句の一つも言いたかった気持ちもわかる。
しかしそのせいで無駄にミハエルの怒りを買っている気がするのはルビーの気のせいだろうか。
「あの、シュバルツ公爵様…」
「なんだいルビー嬢?」
「これからお国同士のお話になるかと思いますので、平民である私達兄妹は場を辞させて頂いた方が宜しいかと……」
チラリと視線をダリヤに向けると、ミハエルは直ぐに状況を察してくれたようだ。
「殿下、宜しいですか?」
「あぁ、もちろんだ。二人とも遅くまですまないな」
「勿体ないお言葉です」
言いながらダリヤと二人、いそいそと席を立つ。
こんな茶番はもうお腹一杯だった。
しかし部屋を出て行こうとするダリヤを引き止める声が聞こえた。もちろんステラ王女である。
慌てて立ち上がった彼女は、ルビーを睨みながらダリヤに追い縋った。
「お待ちになってダリヤ様!なぜそんな女と出て行くのです?!」
「そんな女とは、妹に対して随分な言いようですね…」
「あ、あぁ、そうだわ、妹だったわね」
そう言いつつも、ステラ王女はルビーを睨む事を止めない。
「ダリヤ様、先ほどのお話は聞いておられましたわよね?」
「ええ、勿論聞いておりましたがそれが何か?」
「わたくしとエメラルド殿下の婚約が無くなったという事はつまり、わたくし達を阻むものはもう何もないという事ですわ!」
自信満々に声を張り上げたステラ王女には悪いが、頼むからこのダリヤの嫌そうな顔を見て欲しい。
「ですから今からわたくしの部屋へ参りましょう」
そう言ってダリヤの腕を取ろうとしたステラ王女だったが、それは逸早くルビーが阻止した。
今、この王女に触れられたら、兄は確実に切れる。
「申し訳ありませんが、兄は長旅で疲れておりますのでこれで失礼させて頂きます」
そう言ってダリヤとステラ王女の間に身を滑りこませると、ステラ王女が眦を上げた。
「お前に言っているのではないの!そこをお退きなさい!」
ダリヤの前に立ちふさがったルビーを、ダリヤとの仲を引き裂く悪女のように見つめてくる王女。
そして彼女はいきなり腕を大きく振りかぶった。
それは誰にも予想出来ない事態だった。まさかそんな暴挙に出るとは誰も予測出来なかったのだ。
「このわたくしが誘っているのです!お前は邪魔よ!」
避ける間も無く、ステラ王女の手がルビーの頬を叩いた。
ガンッ!という音と共に、ルビーの体が壁へと叩きつけられる。
「ルビー?!」
「ルビー嬢!!」
「お前たち何をしている!姉上を押さえろ!!」
追い打ちを掛けるように倒れたルビーを蹴ろうとする王女。
だが、何とか間に合った騎士たちがルビーを守るように王女の前に立ちふさがり、直ぐに彼女は拘束された。
「ルビー大丈夫か?!」
「だ、だいじょうぶ……」
王女の細腕のどこにそんな力があったのかという衝撃だった。
まさか一国の王女が話し合いの場でここまでしてくるとは思わなかったのだ。
お陰で防御が間に合わず、まともに平手を受ける結果になってしまった。
「…いたっ…」
口の中を切ったらしく、喋るとピリピリとした痛みを訴えてくる。
その上どうやら口の端も切れているらしく、それを目にしたダリヤの顔色が一気に変わった。
「このクソ女っ!」
顔に似合わない兄の怒鳴り声に、部屋の中が静まり返った。
さすがに今の発言はマズイと、ルビーは慌ててダリヤの口を押さえる。
「に、兄さん…、私は大丈夫だから、ちょっとだけ堪えて…っ」
ダリヤの手を借りながら身を起こし、かなり感情的になっているダリヤの手をギュッと握った。
どう見てもあちらが悪いのは確実でも、王族相手では所詮平民のルビー達では立場が弱い。
これ以上ここに居てはまずいと、ルビーはダリヤを引っ張りながら強引に出口へと向かう。
「殿下、私達は退室させて頂いても…」
「もちろんだ。誰か、彼女達を部屋に案内して直ぐに治療してくれ!」
殿下の声に、侍女達が慌てた様子でルビー達を先導してくれる。
「お待ちなさい!」
騎士達に抑え込まれながらも、ステラ王女はダリヤに縋る。
だが、王女を見るダリヤの目は底冷えする程に恐ろしいものだった。
まるで虫を見るかのように細められたダリヤの瞳がステラ王女を射抜く。
「……二度と俺に話しかけるな……」
喉の奥から絞り出されたような低い声に、ステラ王女が息を呑んだ。
どうやら自分がダリヤを怒らせたことを漸く理解したようだった。
「……ち、ちがうの…っ、その子が生意気だから…っつい…」
オロオロと言い訳を始めた王女を一瞥することなく、ダリヤは部屋の外へと足を向ける。
「……ミハエル、後は頼む」
「…あぁ、任せて」
部屋を出る直前に見えたミハエルの笑み。
その綺麗で恐ろしい微笑みに、ギルレイドの賠償がおそらく一番最悪な形で終わる未来が見えた気がした。