魅了(ダリヤ視点)
その頃のお兄ちゃん…
王宮から早馬で届いた連絡は、実に面倒な連絡だった。
『ギルレイドの第三王女であるステラ殿下との関係を聞きたいので、至急王宮に参上せよ』というお達しである。
「は?」
思わず呟いた言葉に他意はない。
隣国の王女の名前なんて初めて聞くのに、更に関係を聞きたいという言葉の意味が分からなかったのだ。
これはもしかしてまた妹達が面倒に巻き込まれたのかと思って魔空間庫を漁れば、案の定サフィリアの魔空間庫から手紙が発見された。
そして読んで大きくため息を吐く。
「やっとエルの騒動が終わったと思ったのに……」
急いで書いたと思しき手紙の内容には、ステラ王女とやらの駆け落ち騒動が書かれていた。
書いた時点ではまだ未確定のことも多かったのだろう。サフィリア自身もよく分かっていないような文面だった。
だが相手がダリヤの名前を出したこと。
また、身代わりの女がミレーユであることも含め、カンザナイト家が無関係で居られない事は容易に推測できた。
「ステラ王女か……。誰か彼女について知っているか?」
登城の準備をしながら従業員に声を掛けると、本店の支配人が小さく眉を寄せた。
「以前、ダリヤ坊ちゃんに会うために通い詰めておられましたね」
「本当か?」
「ええ。ちょうどルビーお嬢様の婚約破棄の直後くらいでしたよ。お忍びなのか、貴族のご令嬢を装って買い物をされておられました。買い物の初日、何故かお嬢様を訪ねていらっしゃったので覚えております」
「思い出した……。侍女と護衛をぞろぞろ引き連れた女だな?」
「はい。ルビーお嬢様のお知り合いかと思い坊ちゃんに声を掛けましたが、結局は坊ちゃん目当てだったと記憶してます」
ルビーの知り合いなら挨拶をした方が良いかと出向けば、ダリヤ目当てのただの貴族令嬢だった。
その後、一週間毎日大量の買い物をしてはダリヤに会わせろと言われて辟易したと支配人が語る。
「お忍びのようでしたが、侍女が姫様と呼ぶので正体はバレバレでしたね。自国じゃないせいか権力を出してくる事はありませんでしたが、その後ギルレイドの支店には坊ちゃんの登城要請をしてきたそうですよ」
「なるほど……」
ギルレイド支店の支配人が上手く処理してくれたようだが、どうやらその頃から執着されていたようである。
「はぁ……面倒だな……」
「頑張って下さいませ」
従業員達の労いを受けながら、ダリヤは気鬱なまま用意された馬車に乗り込む。
こうして王城に呼び出されるのは何度目のことだろうか。
貴族の令嬢がダリヤに熱をあげる度に巻き起こる騒動。
結婚してから頻度は少なくなったが、それでも半年に一度はお呼びが掛かるほどだ。
お蔭で王城付きの弁護人や司法官とは気軽に挨拶出来るほどの間柄になっている。
『お前さん、うちの国が法治国家で良かったな…』
『全くです…』
王を頂きに構える貴族社会だが、我が国は法の下に平民の保護は確立されている。
そのお蔭で、何度司法局に呼び出されてもダリヤは無傷で済んでいるのだ。
この国が完全なる封建制度だった場合、ダリヤはとっくにどこかの貴族に飼われる身になっていただろう。
それほどまでに、ダリヤの顔は人を狂わせるものだった。
『貴方のその顔は呪いに近いわねぇ…』
そう言ったのは、以前狂愛の呪いでダリヤを助けてくれたクローディア聖下だった。
あの騒動の後、内密に話があると呼び出された教会で告げられた言葉は、ダリヤにとって思いもよらないものだった。
『魅了顔……というのだけれどね』
『魅了顔?』
『ええ。黄金率と呼ばれる完全なる左右対称の容貌のことよ』
魅了顔自体はそう珍しいものではないと聖下は言った。数万人に一人の割合でいるそうである。
人の良さそうな顔。好感の持てる顔。
魅了顔とは本来そういう容貌のことを指し、好意を少し上乗せする程度の影響しかないそうだ。
だが、ダリヤは違う。
元々の容貌が非常に整っていることに加えての黄金率だ。
類稀な美貌に黄金率が重なり、まるで魅了魔法のように人々の心を鷲掴みにするという。
『もちろん嫌いな人間を好きにさせるほどの力はないし、洗脳するような力もないわ。……でもね、貴方の寵を得る為なら何でもするような人間を生み出すことは出来るわ』
怖いわね……、そう言ってクローディア聖下は苦笑を漏らした。
『幸い貴方はその容貌を誇るどころか嫌っているようだし、それならば…と思って話すことにしたのよ』
そうして聖下からはある提案をされた。
それは、黄金率ではなくなることだ。
『実は簡単なのよ』
そう言って彼女が教えてくれた方法は本当に簡単だった。
顔に黒子を入れる。
ただそれだけだった。
馬車の窓に映るダリヤの右の目尻には、現在小さな黒子が一つ刻まれている。
父と相談し、聖下の提案の通りに刺青をする事にしたのだ。
そうして入れられた小さな黒子は、ダリヤをかなり救ってくれた。
話したこともない見知らぬ相手から言い寄られる事が格段に減ったのだ。
もちろん顔の良さに変化がある訳ではないのでそれなりに好かれはするが、盲目的な愛を受ける事はほとんどなくなった。
そして結婚したことで更にそれは減っている。
時々ローズと別れろと脅されることはあるが、司法局に通報して対処して貰っている。
だから、今回のような騒動は久しぶりだった。
けれど久しぶりにしては非常に性質が悪い。
更に、以前から世話になっているエメラルド殿下を巻き込んでいるのが最悪だった。
「はぁ……、そろそろ胃に穴が空くかもしれない……」
それでもルビーとサフィリアが現場に立ち会えたのは幸運だった。
もしルビーがミレーユに気付かなければ、もっと面倒なことになっていただろう。
「何とか穏便に済ませたいものだ…」
一人、馬車の中でため息を漏らす。
しかし結局その思いは叶わず、その日の晩、ダリヤは王都を旅立つことになったのだった。