王族(エメラルド殿下視点)
「そこをお退きなさい!わたくしは直ぐにダリヤ様の下へ向かわなくてはならないのよ!こんな所で油を売っている暇はないの!」
王女を保護した天幕から、甲高い金切り声が聞こえる。
侍女達が必死で宥めている声も聞こえるが、どうやら周りに当り散らしているようで、今度は食器の割れる音が聞こえてきた。カンザナイト商会がせっかく用意してくれた茶器を投げたようだ。
自分の立場を分かっているのかいないのか、呆れる王女の言葉に思わずため息が漏れた。
「殿下……」
副官であるリースレットが、心配そうにエメラルドを見る。
それに心配ないと小さく手を振り、リースレットが持ってきた書類に目を通した。
「それで、あちらは何と?」
貴族にしか付与されていない通信用の魔具で、既に王都にいる陛下や兄達には連絡をしている。当然、王女の祖国であるギルレイド王国にも真っ先に連絡を入れていた。
「ギルレイドからは直ぐに回収に伺うと連絡がありました。彼女の弟である第三王子殿下がこちらへ向かわれるそうです」
「……話は難航しそうか?」
「いいえ。幸いなことに、関係者の話からも、今回の件は王女主導だったことが判明しております。ただし、こちら側にも協力者がいたのは明白。その辺りが落としどころだと思われます」
王女は自分の命が危険に晒された件については余り深く考えていないようだ。
あくまでもダリヤの下へと行く途中、うっかりニーズヘックに遭遇したと思い込んでいる。
お蔭でこちらの国としても交渉がしやすい。
だが頭の痛い話には変わりなかった。
「それで黒幕連中の方は何か吐いたか?」
「奴らは下っ端でしたが、リーダー格の男のみ主犯と接点がありました。減刑をチラつかせたところ、あっさりと主人を白状しました」
「で?」
「……ファーミング商会です」
「侯爵家か……」
ファーミング商会は最近良い噂話を聞かない。随分とあこぎな商売をしているようで、非常に評判が悪かった。その上先月からは騎士団の納入先からも外されており、ファーミング侯爵が金策に奔走していると言う話はエメラルドも聞いていた。
「奴らが言うには、王女に協力すれば、隣国での商売を融通してくれる手筈だったようですね」
しかし、王女の出す条件が余りにも難し過ぎた。
「ダリヤ・カンザナイトと結ばれたい…と言われた時は馬鹿なのかと思ったそうです」
エメラルドでさえそう思うのだから、直接言われた担当者は度肝を抜かしたことだろう。
「それにしてもそんな無茶をよく叶えようと思ったな……」
「上手く行けば、カンザナイト商会を落とす絶好の機会だと思ったようですね」
「なるほど…」
「しかし水面下でじっくり計画を練っていたにも拘わらず、勝手に王女が暴走したようです」
ダリヤに成りすまして王女と相思相愛であるかのように騙したまではいいが、焦れた王女が勝手に家出計画を進めたそうである。
腕のいい騎士を脅迫するために彼の姉を監禁し、更にはエメラルド殿下との婚姻の為と言い訳して早々にこちらの国にまでやってきてしまった。
「……ファーミングからすれば予定外もいいところのようですね。細かく練られていた計画が台無しになっただけでなく、バレれば後がないような状況ですからね」
だからこそ彼らは、エリックと王女がニーズヘックに殺されるように誘導した。
駆け落ちの末の悲劇。
王女さえ死ねば、ファーミングに繋がるものは何も出て来ない。
全ての罪は我が侭な王女に押し付け、後はダリヤが疑われるように疑念を残せば何とか本来の目的は達成する。
「王女の計画は穴だらけで、彼らもどうやって回避しようか悩んだ結果がコレのようです」
「その割にはお粗末だったな」
「仕方ありませんよ。どうやら王女の暴走は本当に突然だったようです。放置すればファーミングが罪に問われるのは必至。あれが限界だったのでしょう」
王女が暴走する切っ掛けになったのは、エメラルドとの婚姻が早まったせいだと思われる。
だからこそ王女は焦り、このような事を仕出かす羽目に陥った。
「ファーミングも大変なことを仕出かしてくれたものだ……」
幸い、奴らが王女の命を危険に晒したことをギルレイドの人間は誰も気付いていない。
それは偏に、自国の護衛を置き去りにした王女のお陰だ。黒幕の一味を捕まえたのが我が国の騎士であった事が今回最大の僥倖だろう。
そのお陰で、王女はあくまでも逃げる途中でニーズヘックの巣へと近付いてしまっただけだと思わせられる。
ファーミング商会は王女の我が侭で仕方なく手紙を捏造し、脅されて無理矢理協力させられたと、我が国としては主張する事が出来る。
騙すつもりはなく、手紙は王女の為の暇つぶしの遊びに付き合っただけで、まさか王女がそれらを本気にするとは思わなかったと証言させればいい。
そもそも一国の王女が誰が書いたかも分からない恋文を信じる方がおかしいのだ。
後はギルレイド王国がどこまでそれを信じるかだが、王女自身が主導だったことは本人も認めていることから、余り無茶も言ってこないだろう。
だが、事実が明るみに出た以上、ファーミング家はもう終わりだ。
過程はどうであれ、王女を騙した事実には変わりない。爵位返上は当然として、当主の首一つで済めば軽いものだろう。我が国としてはギルレイドが納得するまで首を差し出すだけだ。
そして、終わるのはファーミング侯爵家だけではない。
腕が立ち、空間魔法を使いこなすというだけで目を付けられたエリック。
そしてそのエリックを脅迫するために誘拐されたベルベット。
婚礼の使者をしているというだけで騙されたカザン。
時間稼ぎのために、似ているというだけで追い詰められたミレーユ。
王女の我が侭のせいで、人生が狂った人間が少なくてもこれだけいる。
それは決して許されるべき事ではない。
「さて、そろそろ王女には現実を見てもらおうか…」
音のしなくなった天幕に視線を向け、エメラルドは小さくため息を吐いた。
「ステラ王女よ、どうしてこのような事を仕出かしたのかお聞きしても?」
王女が暴れたのか、天幕の中は酷い状況だった。
それを気にせず悠然と中に入ったエメラルドを、機嫌の悪そうな王女が睨み付ける。
「貴方には悪いと思っているわ。でもわたくしはダリヤ様を愛してしまったのよ。仕方ないでしょ?」
「何が仕方ないのか理解しかねますね」
「これだから愛を知らない方は……っ」
王女の馬鹿にしたような物言いに辟易しながらも、エメラルドは言い聞かせるように王女へと現実を突きつける。
「人を愛することを否定致しませんが、片想いでここまでされるのは如何なものかと?」
「片想い?冗談はよしてちょうだい。わたくしとダリヤ様は愛し合っておりますのよ?自分が振られる立場だからと、下らない冗談は止めて頂きたいわ」
あくまでも上から目線でエメラルドをモテない男にしたいようだが、そもそも国同士の取り決めである婚約を反故にした自覚が彼女にはないようだ。
「ダリヤ様は身分さえ無ければわたくしと結ばれたいと仰いましたわ。ならば王女などという身分は捨てるのみ。それが真実の愛というものよ」
「貴女に庶民の生活が出来るとは思えませんがね……」
「あらっ、彼は豪商のカンザナイト家よ?わたくしを娶れるならお金など惜しくはないでしょ?」
カンザナイトの金は自分に使われて当然だと思っている王女。
大岩を取りに奔走しているルビー達が聞けば怒り狂ったに違いない。
「このキャンプ地にて我らの手伝いをしてくれている商会がいるのは御存知ですか?」
「あぁ…、確かに隅の方に居たわね」
「彼らはカンザナイト商会の者達です」
「あらっ!待ちきれないダリヤ様が迎えを寄越してくれたのね!」
何ともお目出度い思考で顔を綻ばせた王女は、早速天幕を出て行こうとする。
それを慌てて押しとどめた侍女頭は非常に疲れた顔をしていた。
そんな彼女に憐憫の眼差しを向けながら、エメラルドはステラ王女へと現実を突き付ける。
「カンザナイト商会は行商の途中で貴女の探索に協力したのであって迎えに来たわけではない。そもそも彼らは貴女とダリヤの事は知らないと言った」
「わたくしとダリヤ様の恋は秘密ですもの。従業員が知らないのも当然ですわね」
少し残念そうな顔をしたものの、王女は仕方ないとばかりに言葉を続ける。
「でもわたくしが女主人になれば感謝するはずよ。冴えない子爵令嬢では、彼らも仕え甲斐がないはずでしょうからね」
一体どんな手紙のやり取りをすればこんな考えに及ぶのかが分からないが、自意識過剰もいいところだ。
大体、彼女は自分が目の前の男に嫁ぐ予定だったことなどすっかり忘れているように思う。
「それで貴女はこの落とし前をどうつけるつもりですか?」
「落とし前?」
「ええ。貴女と私の結婚は国同士の契約によって取り決められたもの。それを反故にするという事は、戦争の覚悟があるという事で宜しいですか?」
「………せ、戦争?…待って、わたくしはそんなつもりは…」
「どんなつもりかは分かりませんが、仮に貴女がダリヤと想いを通わせているとして、だから何なのですか?国同士の契約の不履行は、すみません…では済まない話ですよ?戦争というのは最悪の場合ですが、あの森で貴女が亡くなっていた場合、ここにいる従者全員の首は確実に飛んだでしょう。更にカンザナイト商会は王族に対する謀反で一族郎党斬首の可能性もありました」
もし本当にダリヤが王女と心を通わせていた場合、その可能性もあったのだ。
もちろん今回の件にダリヤが関与していないのは明白だが、王女はそんな事も分からないほど恋愛に思考を溺れさせていたようだ。
「それは……」
王女は天幕にいる侍女達を見て小さく眉を寄せる。
置き去りにした彼女らが、非常に冷めた目でジッと王女を見ていたからだ。
「助けて頂いた件に関しては感謝しております。ですが、わたくしはダリヤ様以外の殿方に嫁ぐ気はございません。エメラルド殿下には申し訳ないと思っておりますので、婚姻に関してはそれ相応の身分の者を必ずやご用意してみせます。もちろん賠償に関してもさせて頂きますわ。ですからこの度の婚姻は白紙にして下さいませんこと?」
個人資産があるので、それを渡しても良いと王女は言った。
彼女の資産の中には、我が国に隣接した漁港もある。一見すれば悪い話ではない。
だが、それならどうして最初からそう言って話し合いに持ち込まなかったのか?
個人資産と言っても所詮は国に属している土地だからだ。つまり王の許可なくして他国に譲渡出来るはずもなく、所詮はステラ王女の描いた絵空事にしか過ぎない。
そしてそれは彼女自身も分かっていたからこそ、このような強引な手法で逃げようと思ったのだろう。
「一つ質問してよろしいですか?」
「ええ、もちろんよ」
婚約の白紙を考えていると思ったのか、ステラ王女は機嫌良く言葉を返した。
「貴女が私との婚姻を嫌がっているのはよく分かりました。ところでどうしてベルベット嬢を誘拐などしたのです?逃げるだけならカザン殿がいれば十分だったのでは?」
「答えは簡単ですわ。カザンの腕ではこの森を抜けるのは不安でしょ?だったら、空間魔法保持者のエリックを使う方が効率が良いではないですか」
「それだけならベルベット嬢を誘拐する必要は無かったでしょう?」
王女が単独で強引に森に入ってしまえば、エリックは否が応でも護衛せざるを得なかった筈だ。
「わざわざベルベット嬢を誘拐などしなくても、協力者に王女の命を盾に脅す振りでもさせればエリックは従ったはずだ」
誘拐されたお蔭でベルベットは今後ろくな縁談に恵まれない状況となってしまった。
例え犯人に何もされていないと主張しても、それを誰が信じるというのだろうか。
婚約破棄をされた挙句、盗賊に誘拐されて慰み者になっていた令嬢。それが周りの認識となってしまう。
「………彼女のことは昔から気に入らなかったのよ。何が淑女の鑑よ。お兄様達が彼女を見習えとうるさいったらなかったわ。その上ダリヤ様の姿絵を手に入れたと自慢していたのよ。わたくしの恋人の姿絵を所持するなんて…っ。しかも寄越せと言ったのに、あの女は借り物だからと王族であるわたくしの命令に背いたのよっ」
ダリヤの姿絵はかなりの額で取引されているのはエメラルドも知っていた。
何故なら双子の姉であるエメラルダがいつも真っ先に手に入れては気持ちの悪い笑みを浮かべていたからだ。
まさか外国にまで流れているとは思わなかったが、それをたまたま手に入れたベルベットに嫉妬したと王女は言った。
つまり、王女は駆け落ちのついでにベルベットを陥れたのだ。
「カザンにも振られたようだし、いい気味だわ」
酷薄な表情で嘲るように笑うステラ王女。
久々に醜悪なものを見た。
これ以上王女と話すと殴ってしまいそうだ。
「殿下、大丈夫ですか?」
リースレットの心配そうな声。
それに小さく問題ないと返し、エメラルドは天幕にいる全員に聞こえるように口を開いた。
「取り敢えずこれから貴女には近くの街まで移動して頂きます。そこでアルタイル殿下の到着をお待ち下さい」
「アルタイル?どうしてあの子が来るの?」
「当然貴女を迎えにです」
「お待ちになってエメラルド殿下!わたくしはダリヤ様に会わなければいけませんの!ですからこのままわたくしを彼の下まで連れて行って下さいませ。先ほども申しましたが、相応のお礼はさせて頂きますわ!」
弟王子が迎えに来ると聞いて焦ったように縋るステラ王女だが、エメラルドがそれを聞く道理はない。
そもそも彼女は縋る相手を間違えている。
聞きたい事は全て聞けた。
優しい顔をするのはもう終わりだ。
「いい加減に現実を見よ、ステラ王女よ」
「なんですって?!」
「貴女は自分の為だけに周りの者を傷付け過ぎた」
臣下を誘拐して脅迫し、護衛や侍女達を振り切って魔獣のいる危険な森へと進入した。そして更には替え玉を使って時間を稼ぎ、協力した臣下は切って捨てた。
好きになった男に会いたいがための謀略。
サザルアの森という危険なルートを選んだのはファーミングの策略だろうが、そもそも王女がダリヤに恋などしなければ、いや、恋の成就を願わなければ、こんな事にはならなかっただろう。
その為に傷ついた人間が何人いただろう。
もし彼女が亡くなっていた場合、死ななければいけない人間は何人になっていただろう。
「貴女は王族としてこれ以上無く醜悪だ。そんな貴女に協力するなど、私の矜持に反する」
断言したエメラルドを、ステラ王女が憎しみを込めた瞳で睨みつける。
「ステラ王女よ。貴女の望み通り、エメラルド・ヴァルテンベルクの名において、貴女との婚約は破棄とさせて頂く。白紙ではなく貴女の有責による破棄となろうこと、そのからっぽな頭に叩き込んで頂こう」
「か、からっぽですって?!」
「そうだ。王族の存在意義を何も知らない、からっぽの姫。それが貴女だ」
王族とは、ただ単に贅沢を享受するだけではない。
それを享受するに値する義務が必ず発生する。
「王族にとっての真実の愛とは、国を、国民を愛することだ。王族は生まれながらにして国と結婚している人間でもある。貴女が心の底で誰を愛そうと勝手だが、国を愛せない者は我がヴァルテンベルク王家には必要ない」
王族には、愛する妻や夫、そして自分の命すらも国と天秤に掛けなければならない時がくる。
その時、どんなに苦しく涙しようとも、必ず国を選ばなくてはならない。
それが王族として生まれた人間の責務にして矜持でもある。
それを知らない、いや、知ろうともしない人間と添い遂げるなど、エメラルドには絶対に出来なかった。
「もう、貴女と話すことはないだろう…」
後ろで喚く王女を無視し、エメラルドは天幕を後にした。
ファーミングの名前は第11話【戒め①】にも出ていますので、少しだけ思い出して頂けると嬉しいです。