前を向く
貴族フロアで一通り挨拶を済ませ、ルビーはようやく下のフロアへとやってきた。
口々に励ましてくれる友達や、昔から世話になっている人達に挨拶をしていく。
そんな中、ワインを飲みながら楽しそうにしている友人を見つけた。学院時代からの友人で、卒業後も親しくしている二人だ。
「エミーリャ、楽しんでくれてる?」
「もちろんよ、ルビー!貴方こそ今日は一杯食べて楽しまなきゃ!」
「そうだぜルビー!あんな糞アルビオンの事はさっさと忘れて、パァーと楽しもうぜ!」
励ますように大きな手振りで話す男はロイドといい、隣でワインを楽しんでいるエミーリャと二人、学院時代の同級生だった。
成績順で決まるクラス編成において、貴族を押さえてAクラスへと入ったのはルビーを含めて三人だけだった。お蔭で、肩身の狭い思いをしながらも励ましあってきた同士でもある。
現在は二人とも王宮魔術師になっており、平民の中ではかなりの出世頭でもあった。
「殿下やアリス様達も来てるから、あとで挨拶に行ってみたらどう?」
「さすがに貴族ばかりのフロアに行くのは気が引けるわ」
「殿下のことだからその内このフロアまで降りてくるんじゃねぇか?」
「それもそうね…」
下のフロアを見ながらうずうずしていたベルトランを思い出す。
あの調子ではロイドが言うようにその内降りてくるだろう。
「だけどまさかロイドがこっちに顔を出してくれるとは思わなかったわ。アルビオンの結婚式に出なくて良かったの?」
「なんであいつを優先すんだよ?俺はルビーの友達であってアイツの友達じゃねぇっての。そもそもBクラスのアルビオンと俺の接点はルビー以外にないだろうがっ」
「それはそうなんだけど、いつも楽しそうに魔具の話をしていたから趣味友達みたいなものかなっと思ってたんだけど……」
「あ~、あれか……」
思い出したように眉を寄せたロイドは、少し言い辛そうに口を開いた。
「今だから言うけど、あいつの魔具の知識って妙に薄くて、話しててもあんまり面白くなかったんだよ。多分だけど、Aクラスに来ても気後れするから無理矢理話題作って話し掛けてたっぽい」
「なるほど……」
殿下やアリステラを始め、卒業してからも親交のある貴族は多い。だが、最初から親しかった訳ではないし、明らかにBクラスである平民のアルビオンが気後れするのも頷ける。
「最初はお前に会いたいから頑張ってるんだと思って俺も話を合わせてたんだけど……」
「あれは逆っぽかったよね~」
「逆?」
「Aクラスの面子と親交を深めたいから、ルビーをダシにしてる感じっていうか…」
「もしかして、えっと…、結構みんなに迷惑掛けてたみたいな…?」
「迷惑とかは全然掛かってないわ。でも、どうやら彼はBクラスで色々自慢してたって聞いたから、もしかしたらルビーが好きというよりは、上級クラスが目当てなのかとちょっと疑ってた」
思い起こせばエミーリャは時々苦言を呈してくれていた。アルビオンがルビーの留守中に遊んでいるようだと教えてくれたのも彼女だ。とても言い辛そうに話してくれたのを覚えている。
わざわざ彼女が嫌われる覚悟で話してくれたというのに、当時のルビーはそれを余り気にしなかった。
なんとなく、気にしたら負けだと意地を張っていたように思う。
あの時、嫉妬の一つでもしていれば、アルビオンとの関係も変わったんじゃないだろうかと考えてしまう。
「しかし何だってアルビオンのやろうはこんな間際になって言い出したんだよ」
「……それは…」
余り吹聴出来る話ではないので、二人の耳元にこっそりと子どものことを話す。
「……最悪ね」
「あの糞ヤロウ…ッ」
「結婚した後じゃなくて良かったとは思ってるわ。それに……」
二人はまるで自分のことのように怒ってくれているが、今回のことはアルビオンだけが悪いとは思っていない。
「色々考えたんだけどね…、今回の件は、気持ちなんて変わるものなのに、継続させる努力を怠っちゃった私にも責任があると思ってるの」
好きだと言葉にしていたつもりだったし、アルビオンのことを出来るだけ優先していたつもりだった。
けれど、心のどこかで彼の好意に甘えていたと思う。
行商に行かないで欲しいと言っていたアルビオン。
そんな彼の懇願を無視し、どうして分かってくれないのかと彼を放置した結果がこれだ。
もっとお互いが妥協出来る箇所を探して、ルビーも譲歩するべきだったんだろう。
それでもダメなら、早々にちゃんと話し合って結婚を止めるべきだった。
幾らでも話し合うタイミングはあった。
行商に行くと言い張ったルビーにアルビオンが嫌な顔をした時。
アルビオンが女の子と遊んでいるようだと聞いた時。
片手で足りないくらい、お互いに引き返せる時期があったはずだ。
だからこそ、ルビーとアルビオンの双方が会話を放棄した時点で、遅かれ早かれこうなる運命だったんだろう。
ただ、二人の関係に終止符をうつタイミングが非常に悪過ぎた。
「後悔は沢山あるわ。もっとちゃんと話し合っていればもう少し違った未来があったかもしれないって思ってしまうの…」
「ルビー……」
けれど、もう後戻りは出来ない。前を向くしかないのだ。
「直ぐには気持ちを切り替えられないかもしれないけど、くよくよするのは止めにしたの。という訳でエミーリャ、今度飲みながら愚痴を聞いてくれる?」
「任せといて。美味しいワインを出す店を見つけたから行きましょ」
「俺も誘えよ?」
「おごり?」
「馬鹿言うな!王宮魔具師の薄給舐めんな!」
魔具好きが高じたロイドは、王宮の中にある魔具部門に配属されていた。ちなみにエミーリャは魔法師団に入っており、騎士に混じって魔獣の討伐をしている。彼女は火炎魔法の使い手で、今では魔法師団の中でも上位の実力を誇っていた。ロイド曰く、爆炎の魔女と恐れられているらしい。
「それはそうとルビー!この間献上されたあれ、すげぇな!」
ロイドの言う『あれ』とは、今春王家へと献上した『魔空鞄』である。
魔力があれば覚えられる火魔法や水魔法とは違い、空間魔法は生まれ持った資質とされている。ゆえに、空間魔法の最大の利点である『魔空間庫』は、素質がなければ絶対に発動しない。
そんな固有スキルに匹敵する魔空間庫を、どうにかして一般の人達でも使えないかと開発したのが『魔空鞄』である。
祖父の代からの悲願で、昨年の冬に試作品が完成し、今春その研究結果と実物をついに王家へと献上することになった。
その功績により、カンザナイト家は来春男爵位を叙爵することになったのである。
「あれさ、なんでわざわざ献上したんだよ?お前の家から騎士団に売ればすっげぇ儲かっただろ?」
それは確かに考えたが、祖父の一言で王家へと技術を提供する事に決まった。
祖父曰く、日々災害や魔獣からの脅威を守ってくれている騎士団に対して恩返しがしたいというのが理由だった。
この祖父の意見に反対する者は誰もいなかった。
行商から身を興した我が家は知っている。王都を離れれば、どれだけの危険がその旅路に待っているのかを。
「町から町への街道を日々巡回してくれている騎士団のありがたみ、それを分かっていれば当然のことよ」
カンザナイト家の面々は魔空間庫を保有している。ゆえに、どんな非常時においても食べ物や路銀に困る事はない。最低限、その身一つあれば生きていける。
だが、魔獣に対しては非常に無力だ。
ルビーでさえも実際に何度か魔獣に遭遇したこともあったし、父の代には盗賊に襲われる事さえあったと言う。
けれど、他国から見れば我が国ほど安全な国はないらしい。
「うちの国内は本当にビックリするくらい安全なのよ。王都に居ればそれは当たり前なのかもしれないけど、少しでも旅したことがあれば騎士団がどれだけ頑張ってくれているのか分かるわ」
エミーリャからも遠征の過酷さを聞いていた。
ゆえに、保存食の改良にも力を入れていたし、生存確率を上げる魔空鞄の開発は、何をおいても成し遂げたい開発の一つだったのだ。
「当然、うちの店からも売りに出すわよ?でも、国を守ってくれている騎士団へは別。それに、材料はうちから買ってくれるみたいだし、貴族への貸し出しは一切しないと陛下も約束してくれたから、ちゃんと儲けさせて貰うわ」
魔空鞄の作成に不可欠な魔鋼糸は、魔鋼という金属を細くして作られるカンザナイト家の特許商品だ。
陛下はその独占は認めてくれた。だからこそ、こちらも騎士団への納品価格に関してはかなり勉強させて貰っている。
「試作品は俺も持っているぞ」
「殿下?!」
どうやら早々に貴族の挨拶に飽きたらしいベルトランは、アリステラを伴って一階の平民フロアに降りてきた。
庶民の混じったフロアで煌びやかな二人は完全に浮いているが、ベルトラン達が気にする素振りはない。お付きの護衛が少し可哀想だ。
「これは本当にいいな。俺は小型の物をジャケットに縫い付けて貰っている」
護衛達も足に小型の冒険者用の魔空鞄をつけていた。
「ロイド、魔具部門は大忙しだと聞いているが?」
「ええ。魔空鞄作成のお陰で寝る間もないほどですよ」
「その割には元気そうだな」
「おかげさまでサボることに掛けては筋金入りですので。今日もこのパーティーに出席するに当たり、殿下に挨拶するためと言い訳しましたらバッチリ休暇申請が通りました。ありがとうございます」
そう言って、殿下の名前を語ったと豪語する辺り、ロイドはかなり強い心臓を持っていた。
気安いロイドの態度に眉を顰める護衛も居たが、ベルトランが特に気にした様子もなく、むしろ変わらない旧友に嬉しそうだった。
「俺の名前は高く付くぞ?」
「対価として魔具部門では婚約者であるアリステラ様用の魔空鞄も作成中です。このわたくしめが、婚約者様には絶対に必要だと進言致しました!」
魔空鞄が無償で支給されるのは王族と騎士団員のみである。それは、国を思って献上してくれたカンザナイト家の利益を守るために取られた処置でもあった。
だが、そのお蔭で貴族といえども中々手に入らないのが現状だ。
カンザナイト商会でも販売しているが、予約待ちで年を越してしまう。
「わたくしもついに魔空鞄を持つ事が出来ますのね?!」
「アリステラ様は将来王族に名を連ねる御方ですので当然です。俺が何を置いても精一杯作成させて頂きます。ええ、もちろん絶対に他の仕事はしませんので」
最後が本音と思われる台詞に殿下が呆れた顔をロイドに向ける。
「………お前、本当に口だけは上手いな。俺の秘書にしたいくらいだ」
「それは、本気でお断りします」
真顔で呟いたロイドの言葉に、思わず周りから笑いがもれた。
王族の登場に戦々恐々としていた人々が、二人の気安い会話を聞いてようやく肩の力を抜いたのだ。
殿下もそれを肌で感じたのだろう。
アリステラの腰に優雅に手を回し、ダンスフロアへと誘う。そして慣れた様子で楽団にリクエストをした。
「楽しい曲を頼む」
優雅なワルツではなく、奏でられたのは庶民でも踊れる民族舞踊だった。
それを二人が楽しそうに踊り始めると、釣られるように周りの友人達も踊り出す。
王族が庶民の踊りを知っているのにも驚いたが、簡単な型しかないダンスが優雅に見えるのが不思議だ。
「よし、俺たちも踊ろうぜ」
そう言ってロイドがエミーリャの腕を取り殿下の隣のスペースへと駆け出していった。
少し困ったようにしながらも、エミーリャは仕方ないとばかりに付いていく。
二人は学院時代から付き合っており、年明けに結婚が決まっていた。
その結婚式にはルビーとアルビオンも呼ばれていた。友人代表で挨拶をする予定だったのだ。
「ルビー、眉間に皺が寄ってる……」
「サフィ兄さん……」
嫌なことを思い出し、思わず目が据わっていたらしい。
「今日はパァーとするんだろ?」
眉間に寄った皺を直すように、サフィリアの指がグリグリとルビーの額を押した。
どうやら皺を伸ばしているらしいが、些か乱暴だ。
「もう、お化粧が取れちゃうじゃない」
「我が妹は化粧などしなくても美しいから大丈夫だ」
言いながら、サフィリアは優雅な仕草でルビーの手を取った。
「お嬢さん、俺と踊って頂けますか?」
「もちろん!」
サフィリアと共にフロアの中心に向かえば、二人を歓迎するようにダンスの輪が開いていく。
踊りながら、みんなが楽しそうにルビー達を迎え入れてくれた。
そして、友人達の間をクルクルと回遊魚のように踊りながら回っていく。
「楽しい?」
「すっごく!」
言葉に嘘はなかった。
結婚出来なかったのは非常に残念だ。
けれど、その事でルビーは家族や友人の大切さを再確認できた。
今もルビーを囲むように友人たちが楽しそうにこちらを見ている。
誰も、振られたルビーを哀れんだりしていない。
元気を出せ。
あんな男と結婚せずに良かった。
こちらを見ている笑顔が、瞳が、そう励ましてくれているのが分かる。
だから、ルビーはもう過去を振り返らないことにした。
反省はこの三日で沢山やった。
だったら、後はもう前を向いて進んでいくだけだ。
「サフィ兄さん…」
「ん?」
「今度の行商は私も一緒に行くからね」
「それは頼もしいな。実は、初めて一人で行くことになるから不安だったんだ」
ルビーよりもしっかりしているサフィリアが不安になることなんてないだろう。
そのように言えば、ルビーが共に行き易くなるのをサフィリアは知っているだけだ。
「そろそろ美味しい栗の時期だから一杯仕入なきゃ。楽しみだわ」
「商売より食い気とはルビーらしい。ちなみに、サクリット村からイソナ漁を解禁したという便りが来ていたよ」
「今年は例年より早いのね」
「という訳で、今年は少し早めに出発してゆっくりと回ろう」
「サフィ兄さん…」
それはつまり、暫くは王都に居なくてもいいと言うことだ。
今回の婚約解消は、端から見れば結婚式の三日前にルビーが振られたという事実だけが残る。
友人や近所の人は同情的だが、全員が全員そうとは限らない。
カンザナイト家の功績を妬む人間は沢山いるし、口さがない人間はどこの世界にも存在する。
アルビオンやミレーユがどう自分の友人達に説明したかは知らないが、彼らの友人の間ではルビーは二人の愛を引き裂くお邪魔虫らしい。
町ですれ違った際に『婚約者を取られて可哀想…』と、全く可哀想に思ってないだろう笑顔で嫌味を言ってくる女性が数人いた。ミレーユの友達だ。
何とでも好きに言えばいいとは思っているが、煩わしいのは確かだった。
「ついでだからサクリット村でゆっくりしてこいって父さんも言ってたし、今後の下見がてら暫く滞在しないか?」
「そうね…」
今度の叙爵にあたり、カンザナイト家は領地としてサクリット村などの海岸沿いの寒村を受領することになっている。
大した税収の見込めない土地だが、それでも行商で懇意にしてきた村々でもあり、カンザナイト家としては、初めての領地経営も頑張るつもりであった。
そう考えれば、暫く現地を見て回るのは都合がいい。
「色々準備しなきゃいけないわね」
「そういう事。悪いけど、落ち込ませてやる暇はないよ?」
「望むところよ」
挑発するように笑えば、サフィリアも嬉しそうに笑った。
そして、腕を器用に上げてルビーをクルクルと回す。
「可愛いよ、ルビー」
披露パーティーで着る予定だった艶やかなサーモンピンクのドレスが、花が開くようにフワフワと広がった。
長兄ダリヤが懇意にしている工房で作ったシフォンのドレスだ。
ルビーの燃えるような赤い髪と相まって、まるで花が開いたように広がるそれに、周りで踊っていた面々も負けじとクルクルと回転した。
そうして出来上がったのは、フロア一杯に広がる綺麗な花々。
踊っている人々も見ている人々も誰もが魅入られる素敵な光景が、軽やかな音楽と共に屋敷中へと広がっていく。
そしてそれは、楽しげな声と共にルビーの心も軽くしていった。
アルビオンの事は残念だったけれど、ルビーは家族や友人に支えられながら新たな人生のスタートを切る。
それを心から祝う事が出来たのだ。