選択(ミレーユ視点)
部屋を放り出された後も何度もアルビオンを呼んだが、彼が扉を開けてくれる事は決してなかった。
それでも何とか粘るつもりだったが、近隣住人から酷く怒鳴られ、仕方なくアパートを後にする。
こんな時間では友人のところにも行けないし、そもそも泊めてくれるような友人はもういなかった。
恥を忍んで、実家の扉を叩く。
父は起きていたようで直ぐに扉は開いたが、ミレーユの顔を見るなり父の顔色は変わった。
こんな時間に何の用だと言われ、咄嗟に上手い言い訳ができなかった。
だが、何とかアルビオンに追い出されたと告げると、父の顔が憤怒のそれに変わる。
「…何をした?」
「何って?」
最初からミレーユを疑う口調の父に青褪めると、父は畳みかけるように声を上げる。
「アルビオン君は確かに最低なことをした。だが、朝から晩までお前の為に働いているのは俺でも知っている。その彼が何の理由もなく出て行けというのはおかしい。お前は何をしたんだ?」
「な、何もしてない!」
「だったら今から彼のところに行く!どうしてミレーユを追い出すんだと聞くが、それでいいな?!」
止めて欲しいと一瞬思ったが、父が行けばアルビオンも扉を開けてくれるかもしれないと思った。
だから、アパートへと歩いていく父の後ろを黙って付いていく。
取り敢えず話し合うことが出来ればいいと思っていた。
だが、状況は更に悪化しただけだった。
「お前のようなふしだらな娘とは今後縁を切る!二度と俺や母さんの前に姿を見せるな!どこにでも行ってしまえ!!」
「父さん、待って!!お願い待って!」
ミレーユが一緒だと父が言った瞬間、アルビオンは扉越しに事の顛末を父に話して聞かせた。
疑うならアパートの住人に聞いて回ればいいと、決して扉は開けてくれなかったのだ。
閉じられた扉はまるでアルビオンの心を表しているようだった。
「どうしよう……、どうすればいいの………」
怒りでミレーユを置き去りにした父はそのまま帰って行った。母にもこの事は話していることだろう。
取り敢えず、このままここに居る訳にもいかず、ミレーユはどこか泊まれる場所を探した。
だが、所持金は僅か二千ギルほどで、とても宿に泊まる余裕はない。
幸いにして王都の治安はかなり良く、酔っ払いに絡まれることはあっても襲われることは滅多にない。
それでも絶対ではないので、ビクビクしながら、 どこか休めるところはないかと王都の街を歩く。
「……そうだ、エリック……、彼に事情を話して……」
ここ一週間、毎日散歩と言って彼と会っていたミレーユだったが、彼がどこに泊まっているかは知らなかった。
その上、彼は明日隣国に帰ると言っていた。
だからこそ、この国最後の夜に名物料理の店を案内すると言って彼を食事に誘ったのだ。
最初は人妻との会食に躊躇した彼だったが、夫には許可を貰ったと嘘を吐いた。
それならばと快諾してくれたエリックと、久しぶりに楽しい食事をする事ができた。
彼と居る時は、子どものこともアルビオンのことも忘れられた。
まるで独身時代に戻ったようで楽しかったのだ。
『そんなに俺は旦那さんに似てますか?』
『ええ、目と髪の色は同じだし、笑った時の顔もよく似てるの』
もちろん背丈も体格も違うので、アルビオンとエリックを見間違うことは絶対にない。
けれど、ふとした仕草がとてもアルビオンに似ていたので、ミレーユにとっては非常に親しみ易かったのだ。
『旦那さんに似てるなら、俺もミレーユさんみたいな可愛い奥さんが欲しいな…』
この国の名物である火酒に酔ったのか、少し顔を赤らめたエリックがそんな事を言い出した。
このままエリックについて彼の国に行ったらどうなるのか。
ついつい、そんな事を考えてしまう。
そして不意に思い付いた。
エリックとアルビオンは色味の特徴が非常に似ている。
だったら、彼の子種でもバレないんじゃないのか………?
………それは正しく悪魔の誘惑だった。
「遠慮せずにもっと飲んでね」
酒精の強い酒を彼にドンドンと勧める。
口当たりの良いその酒は、酒豪と言われる人でさえも撃沈させるという物だった。
そして、ミレーユは彼を自宅へと連れて帰る。
一晩、思い出と共に彼の子種が貰えれば、それで全てが解決すると何故か思ったのだった。
けれど逆に今、ミレーユは全てを失おうとしていた。
「ミレーユさん……」
「エリック?!」
フラフラと無意識に公園の方へと歩いていたらしい。
気付けば、いつもエリックと会っていた公園のベンチまでやって来ていた。
そしてそこには驚くことにエリックが座っていたのだ。
「良かったわエリック!わたし、家を追い出されて!お願い助けて!」
「……旦那さん、かなり怒っていたね…」
「そうなの!お願い、私とは何もなかったと言って欲しいの!」
「何も?それは違うだろ、ミレーユさん。酔わされた俺が襲われた。そうでしょ?」
「エ、エリック……?」
あの時、まともに歩けないほど酔っていたエリック。
だが、今の彼はとても酔っているとは思えない眼差しでミレーユを冷ややかに見ている。
「あの……、あの、ごめんなさい……。子どもの事で悩んでて……」
「確かにそんな話をしてたね。だからって男を襲うのはどうかな?」
「違うの!そんなつもりじゃなくて!」
「あぁ、言い訳はいいよ、ミレーユさん」
「エリック…」
酷く機嫌の悪そうな彼の顔を見て、初めてミレーユは怖いと思った。
これは誰だ?
姿はエリックなのに、まるで全く別の人間と話しているようだ。
「無駄な会話をする時間がないから簡潔に言うけど、今の貴女には選択肢が二つある」
「……選択肢?」
「そう。俺と来るか、来ないか。ちなみに、俺は貴女の旦那さんに謝罪する気はない。何故なら襲われたのは俺だからね」
言いながらゆっくりとベンチから立ち上がったエリックは、表情のない顔でジッとミレーユを見下ろした。
笑うとアルビオンに似ていると思っていた顔が、酷く冷たく見えた。
「顔だけじゃなく、中身まであの女と同じ貴女には失望した」
「あの女って…?」
ミレーユの問いにエリックは何も答えなかった。
「悪いけど、押し問答をしている時間はないんだ。来るのか、来ないのか。さぁどうする?」
「あなたと行ったらどうなるの?」
「さぁ…。どうなるかはミレーユさん次第かな…」
「どういう意味?」
「上手く行けば、貴女はこれから一生贅沢を甘受出来る身分になる」
「上手く行かなかったら?」
その問いには、何も答えは返ってこなかった。
何も言わず、エリックはミレーユの答えをジッと待っている。
その何の感情も宿していないような瞳にゾッとした。
彼の手を取ってはいけないと、本能が言っている。
「ここに残るのならそれはそれで別に構わない。俺は君の選択を尊重するよ。でもまぁ、これから君がまともにこの街で暮らせるとは思えないけどね」
確かに彼の言う通り、今のミレーユには帰る家さえない。
どこか住み込みでお針子として雇って貰うにも、ミレーユがルビーのドレスを奪ってしまった醜聞はかなり広まっていた。まともな服飾工房への就職は絶望的な状況だ。
他の仕事をしようにも、ミレーユはお針子以外の仕事をしたことがない。計算も余り得意ではないので、商店で仕事をするのは無理だろう。
食堂などで働くか?それとも決死の覚悟で王都を出て地方まで行くか?
どちらにせよ、今よりもギリギリの生活になるのは目に見えている。それに何より、このままでは直ぐに食べる物にも困ることになるだろう。
「ど、どうしてこんなことになったの………」
自分の境遇に思わず涙をこぼすと、目の前のエリックが呆れたような視線をミレーユへと向ける。
「どうしてって、全ては自分の行動のせいだと思うよ」
「エリック…」
「だって、幾らでもここに至るまでに引き返す道はあったんだ」
アルビオンに素直に子どものことを話せば、そもそもこんな事になっていなかったとエリックは言う。
そして、エリックとの二度目の出会いの後、ミレーユには彼に会わないという選択肢があった。
けれどミレーユは毎日昼過ぎに公園まで彼に会いに行った。そして、明日帰国するエリックを食事に誘った。
この時にも、ミレーユには食事に誘わないという選択があった。手を振って別れを惜しむだけで良かったのだ。
更に、酔ったエリックをそのまま帰す選択。
家に連れて帰っても、そのまま寝かす選択。
「幾らでもこの状況から逃れる選択肢があったのに、貴女は全部、自分にとって楽な選択を選んでしまった」
「それは……」
「勘違いしないで欲しいんだけど、俺にその選択を咎める気持ちはないよ。ただ、全て貴女が自分で選んだ結果なのだと知って欲しいだけなんだ」
「エリック…」
「………それでミレーユさん、貴女はどうする?」
エリックと一緒に行くか行かないか。
彼は、もう一度その選択肢をミレーユに突きつける。
「……上手く行けば贅沢が出来るってホント?」
「それは本当だ。美しく着飾り、美味しい物だけを食べることも出来るだろうね」
「貴族のように?」
「………うん、貴族のように」
その言葉に思い出したことがある。
彼は初めて出会った時、知り合いの貴族にミレーユが非常に似ていると言った。
つまり、考えられる可能性があるのは、その女性にまつわる事だと言うことだ。
影武者か何か……。
「命の危険はあるの?」
「……あるよ。でも、それに関しては俺が命に代えても君を守ると誓おう。何なら誓約魔法を掛けてもいい」
彼が生きている限りは、ミレーユの命を守るという誓約魔法。
もしそれを破れば、彼は四肢を失う誓約を掛けると言った。
「……朝一番に教会で誓約をしてくれる?」
「構わないよ。じゃあ、行こうかミレーユさん」
そうしてミレーユは、最後の選択肢である“エリックと共に行く”を選んだ。
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