因果①(ミレーユ視点)
どうしてこんな事になったのか分からなかった。
似ているからバレないと彼は言った。
王子と結婚すれば、以前の王女を知っている人間は誰もいなくなる。
魔獣の襲撃の所為で心身を喪失している振りをすれば絶対にバレないと彼は言ったのに、ルビーの姿を見た瞬間、思わず動揺してしまった。
まさかこんな場所に彼女がいるなんて思わなかった。
王都で見かけるよりも質素な旅装束に身を包んだルビー。
アルビオンは所詮お遊びの旅行だと言っていたが、侍女や騎士と会話をする彼女は、誰が見ても商人の顔をしていた。
金持ちのお嬢様の商人ごっこと言ったのは誰だっただろうか?
みんな嘘ばかりだ。
ああ……、どうしてこんな事になったんだろう…
幸せな結婚をしたかったのに…
ただ、愛する人と幸せになりたかっただけなのに……
何がいけなかったんだろう…
◆◆◆◆◆
「ミレーユ、何とか店に近い場所に安いアパートを見つける事が出来た。引っ越そう」
「アルビオン…」
夫であるアルビオンが仕事から帰ってくるなりそう言ったのは、結婚してから三週間ほど経った頃だった。
家から街へは馬車で一時間以上も掛かる上に辻馬車を拾えない日も多く、アルビオンは二時間以上歩いて仕事に向かう日も少なくなかった。
往復四時間を掛けて通うのは大変なようで、日に日に疲れを見せるようになっていたアルビオン。
その上以前は店の営業に出ていた彼も、今は表に出せないと製糸工場の方に向かわされている。そしてそこではかなり魔力を消費する作業をさせられていると言っていた。
事務仕事から肉体労働となり非常に大変そうなアルビオンだったが、それでも自分の仕出かしたことの始末だと言って頑張ってくれていた。
その上彼は引越し先まで探してくれたようだ。
「引越し費用は何とか工面した。狭い家で申し訳ないが、この家だと何か有っても直ぐに医者にもかかれない」
身重のミレーユを心配したのか、アルビオンは自分の持ち物の大半を売り、街への引越し費用を作ってくれたようだった。
仕事に疲れている彼にそこまでさせてしまった自分が恥ずかしい。
「ごめんなさいアルビオン。私も働ければ良かったのに…」
「何を言うんだ。君のお腹には可愛い子どもがいるんだ。君は家で帰りを待っていてくれるだけでいい」
「ありがとう…」
そこから直ぐにミレーユ達は引っ越した。
元々荷物は殆どなく、馬車一台もあれば全てが積み込めたのだ。
久しぶりに戻ってきた街はやはり活気があって良かった。
通勤が楽になった分アルビオンの顔色も以前に比べて良くなっていき、それどころか彼は家事の大半を引き受けてくれるようになった。
食事は出来合いの物を買ってきてくれるだけだが、掃除も全てアルビオンが請け負ってくれた。
ミレーユのやる事といえば、日々の洗濯と、子ども用品を手作りすることだけだ。
本当なら店で縫い仕事をやりたいところだが、両親からは絶対に店へは顔を出さないで欲しいと言われていた。
ミレーユ達の所為で貴族向けの新しい店が駄目になり、他のお針子達から恨みを買っているらしいのだ。
事実、一度だけ両親を訪ねて行った際、酷い嫌味を投げ付けられた。
よく顔を見せられるなと睨みつけられ、余りの怖さにもう二度と店には行かないと決めた。
それ以来、ミレーユは妙に暇を持て余している。
アルビオンは気遣ってくれるが、体調は非常に良好だ。むしろずっと家に閉じこもってばかりで気が滅入るほどだった。
だから時々心配するアルビオンには内緒で友達の家に遊びに行った。
「この間ルビーを見かけたわ。折角声を掛けてあげたのに、ニコリともしないのよ」
「まぁ、ほら、無理を言ってはいけないわアリッサ」
「うふふ…、でも本当にいい気味。あの女の落ち込んだ顔を見るとスッとするわ。ミレーユのお陰だわ」
友人達は口々にルビーの悪口を言っては楽しそうにお茶を飲んだ。
そして、その度にミレーユのお陰だと言ってくれるので、彼女達と会うのは気分が良かった。
だが、その悪口が次第にいつもの愚痴に変わっていくのにそう時間は掛からなかった。
「王子様はどうやら彼女のパーティーに来ていたみたいよ」
ミレーユの結婚式の日、ルビーが自宅の屋敷でパーティーを開いていたのは知っている。
どうやら残念パーティーと言って、友人達を招いていたようだ。
所詮は友達を集めた失恋パーティーだと思っていたが、内容を聞けば、ミレーユ達の結婚式よりも派手で豪華な物だったらしい。
それを聞いた友人達が、あちらに参加すれば良かったと言い出した。
「貴族が沢山くるからって聞いてたのに、結局はアルビオンじゃなくルビーの友達だったのね」
「向こうにはそれはもう沢山のお貴族様が来てたそうよ。食事も凄く豪華だったと聞いたわ」
慰謝料のせいで食事が貧相になったのは申し訳なかったが、その言い方はないと思う。
まるでミレーユの祝いの為じゃなく、貴族と知り合うために式に来たのだと言っているようだった。
事実、数人にはハッキリとそう言われた。
それからは遊びに行っても忙しいと言って会ってくれなくなった。
確かに彼女達も働いている。
だが、休みを合わせて会おうといっても、妊婦を連れ回すのは気が引けると言って取り合ってくれない。
「ところでミレーユ、貴女って今何週目なの?」
「えっと、そろそろ三ヶ月くらいかな…」
「その割にお腹が膨れてないように見えるけど?」
「ワンピースだからそう見えるだけよ」
「ふ~ん……」
お針子だから腹の目立たない服を作るのは得意だと言えば、彼女は納得したような声を出した。
けれどその目は本当に妊娠しているのか疑っているように見えた。
「取り敢えずこの後は病院に行く予定なの」
「そうなの?気を付けてね」
あっさりとそれだけを言われ、偶然会った友人とはその場で別れた。
一緒にお茶くらい飲みたかったが、それはやんわりと断られる。
それを残念に思いながら、ミレーユは一人カフェへと入った。
友人には病院に行くとは言ったものの、ミレーユに行く気はなかった。
お金の余裕もないし、男性の医師に余り肌を見せたくないのだ。
今のところ体調は良好で、臨月になってからいけばいいと思っている。
確かにお腹は余り膨らんではいないが、大きくならない人もいると聞いた事がある。友人は邪推し過ぎだ。
「さて、これからどうしようかな……」
退屈で家を出て来たものの、他の友人達も全員都合が付かなかった。
さすがのミレーユも、自分が友人達に避けられている事には気付いていた。
原因は分かっている。
結婚披露パーティーに貴族が出席していなかった事がバレたからだ。
確かに王子様が来る予定だとは言ったが、ミレーユだって彼ら貴族はアルビオンの友達だと思っていた。
だから嘘を吐いていた訳ではない。
それなのに、まるで騙されたと言わんばかりの友人達の方こそ酷いと思う。
「そう言えば、あの家はどうなったのかしら?」
アルビオンと楽しい新婚生活を送る予定だった屋敷。
あの屋敷はミレーユの理想を形にしたような場所だった。
大通りから一歩外れた閑静な住宅街。家に入ればアンティークな造り付けの家具があり、手入れの行き届いた中庭まであった。
あの場所でアルビオンと肌を重ねた時は、これからずっとあそこに住むのだと信じて疑わなかった。
けれど、結局はあの屋敷もルビーの物だった。
ミレーユが憧れて止まないもの全てがルビーの物だったのだ。
「あっ……」
懐かしさと、そして僅かな悔しさを感じながら向かった先、屋敷があった場所には大勢の人が行き交っていた。工事関係者と思しき男達が大勢屋敷を出入りしている。
「あの…」
「どうした嬢ちゃん?」
「この家、壊すんですか?」
「いいや、ただの改装だよ。何でもサロンを開くらしい」
「そうですか……」
アルビオンと食事をとったダイニングも、可愛い猫足のソファーを置いた居間も、すべて大きなフロアにする予定だと教えてくれた。
「………思い出まで壊さなくてもいいじゃない…」
ルビーはミレーユの欲しかった物を全て持っている。
それなのに幸せだった思い出まで壊されたように感じてとても悲しかった。
それからはどうやって家に帰ってきたか、余り覚えていない。
気付けばソファーに座って窓の外を眺めていた。
あの屋敷とは比べ物にもならないほど小さな部屋。
寝室と居間しかない狭い我が家だったけれど、それでもここはミレーユのお城だった。
「そうよ……私にはこの子とアルビオンがいる。それだけで十分だわ…」
だが、そう言い聞かせるように自分の腹を撫でた手が不意に止まる。
下腹を中心に、鈍痛が襲ったからだ。
「うそ……っ」
出血を確認し、慌てて近くの診療所へと駆け込む。
子どもに何かあったらどうしようと祈るような気持ちで医師の診療を受けた。
だが医師から言われたのは、ミレーユが思いもよらない言葉だった。
「妊娠はされておりませんので、ご安心下さい」
良かったと言わんばかりの笑顔を浮かべる医師に思わず詰め寄った。
「どういう事ですか?!」
「言葉のままですが…」
「もしかして、子どもは出来てなかったという事ですかっ……?!」
「そういう事になります」
「で、でも…、月のものは三ヶ月前から来てないんですっ!」
「おそらくは遅れていただけでしょう。季節の変わり目や日常生活の変化により遅れることはあります。例えば引越しや職場が変わったりなどはありませんでしたか?」
確かにちょうど月のものが来なくなる前に職場を移ったところだった。
庶民向けから貴族向けの店に変わり、慣れないながらもアルビオンの励ましを受けて頑張っていた頃だ。
「………そんな…」
「貴女はまだお若いのですから気落ちせずに」
むしろ月のものが正常になったのだから直ぐに子どもも出来るでしょうと医師は言った。だが、ミレーユの気持ちは全く晴れない。
重い足取りで家路に就きながら、必死でアルビオンにどう言おうかを考える。
何故なら、職場で大変な思いをしながらもアルビオンが必死で働いているのは、ひとえに生まれてくる子どもに苦労を掛けたくないからだ。
しかし、もし子どもが出来ていなかったと彼が知ったらどうなるのだろう。
どうして最初に病院で確認しなかったんだと怒られるに決まっている。
いや、それよりも嘘つきだと罵られ、別れを切り出されるかもしれない。
「嫌よ…っ、だって…、絶対に出来たと思ったんだもん……。そうだわ……、残念なことになってしまったと言えば……」
しかしあそこまで気を遣って家事を引き受けてくれていたアルビオンに、不注意で転んだとは言い辛い。
だったら今すぐ子作りを開始すれば、妊娠に疎い男性なら誤魔化せるかもしれない。
だが、妊娠が分かってからはそういう触れ合いもない。
「やっぱり素直に言うしか……」
そうだ。
優しいアルビオンなら許してくれる。
むしろ、これでミレーユも働きに出られるのだから、直ぐに慰謝料の借金も返済し終わるはずだ。
そう決意したものの、やはり心のどこかで何とか誤魔化す方法はないかと考えてしまう自分がいる。
「……それにしても、今日は遅いなぁ…」
決意が鈍る前に早く帰ってきて欲しいという願いは空しく、こんな日に限ってアルビオンは中々帰ってこなかった。
いい加減お腹も空いてきたので、早く帰ってきて欲しい。
「そうだ。美味しいご飯を用意して待っていれば、アビィもきっと許してくれるわ」
最近は妊娠を理由にろくに家事もしていなかった。
心配したアルビオンがさせてくれなかったからに他ならないが、それなら今日から家事を頑張ればいい。
「彼が戻る前に買ってこなきゃ…」
夕飯の買い物すら最近はアルビオンに任せたままだったので、彼を助ける為にも直ぐに出掛ける準備を開始する。
けれど、不意に聞こえた扉を叩く音に、ミレーユは慌てて玄関へと駆け寄った。
「どなた?」
アルビオンならノックなどしないはずだと声を掛ければ、聞き慣れた声が聞こえてきた。
「アルフレッドです」
「アル君?!待って直ぐに開けるわ」
意外な人物の声にミレーユが慌てて扉を開けると、そこには久しぶりに見るアルフレッドの姿があった。
そしてそんな彼の背には、グッタリとした様子のアルビオンが担がれていた。
「アビィ!どうしたの?!」
「過労だという事で、僕が連れてきました」
「過労?!」
「ええ。どうやら兄はかなり無理をしていたようです」
アルフレッドの話に寄れば、慰謝料で作った借金返済の為、アルビオンはかなり無理をして仕事をこなしていたようだった。
昼食も取らず、ここ一ヶ月は毎日工場に詰めて仕事をしていたらしい。だがそのお陰で絹の生産が以前よりも増し、借金の返済もかなり進んでいるという。
「兄が頑張っているのを父も知って、近いうちに店の方に戻すと話していたのですが…」
「そうだったのね…」
「取り敢えず兄は寝室に運びますね」
「お願いします」
医者には既に診せた後であり、安静にしていれば回復するという話だった。
「アル君、ありがとう」
「いえ、兄弟ですから…」
そうは言いつつも、ルビーと別れた一件でかなりアルフレッドから恨まれているとアルビオンは言っていた。
けれど今の様子を見るに、二人のわだかまりは解けているようにも感じる。
「ところでミレーユさん、体調はいかがですか?」
「おかげさまで元気に過ごさせて貰ってます…」
「そうですか。それは良かったです」
そう言われたものの、アルフレッドから向けられるその視線はかなり冷たかった。
まるでアルビオン一人に働かせてミレーユだけのんびりしているのを咎められているようだ。
「そう言えば今日、貴女を二番区画で見かけましたが…」
「そ、それはお医者様に……」
「そうでしたか。つい、兄を働かせて貴女だけ遊んでいるのかと…」
「失礼だわ!」
「……すみません」
確かに二番区画の方には劇場などの娯楽施設が多いけれど、ミレーユは別に遊び歩いていた訳ではない。ただ、友人達と会えなかったので少し散歩をしてお茶を飲んでいただけだ。
「あと、母から伝言があります」
「お義母様から?」
「はい。出産費用はこちらで用意するので準備しなくて大丈夫だという事です」
「そ、そうですか。助かります」
アルビオンが倒れたことを聞いた義母が、さすがに可哀想だからと用意してくれる事になったらしい。
だが、今のミレーユにとってその言葉は酷く重く感じた。
倒れるまでアルビオンを働かせておいて、実は妊娠していなかったとは言えなくなったのだ。
「では、僕はこれで失礼します。兄が起きたら、明日は店の方に顔を出して欲しいと伝えて下さい」
「分かりました」
お茶すら飲まず、アルフレッドは素っ気無い態度のまま家を出て行った。
言葉使いは終始丁寧なままだったが、彼からは常にミレーユを拒絶するような態度が見え隠れしていた。
彼からすれば、ミレーユは兄を誑かした悪女なのかもしれない。
「はぁ……………」
ますます子どもの事を言えない状況に陥ってしまった。
特に今まで頑なにミレーユを拒絶していた義母がようやく折れてくれる気配を見せている。
それなのに子どもが出来ていなかったと知れば、今以上に拒絶されるのは確実だった。
「どうしよう……」
言わなければいけないのは分かっている。
だが、倒れるまで無理をしたアルビオン。
孫の為だからと漸く態度を和らげ始めた義母。
二人を思うと、とても言い出せる雰囲気ではなくなった。
やはり何としても早々に子どもを作らなければいけない。
結婚式から約一月、計算が合わないと言われるかもしれないが、今ならまだ遅産として誤魔化せるはずだ。
仮に時期を疑われたとしても、無事に生まれてくれば誰も文句は言わないだろう。
「何とか、何とかしなきゃ…っ……」
それ以来ミレーユは、子どもの事がバレてはいけないという妄執に取り憑かれるようになった。
感想、誤字脱字報告ありがとうございます!