ミレーユの事情
話を聞いたエメラルド殿下は直ぐに王女殿下の捜索隊をサザルアの森へと送った。
侍女達の話を検討した結果、王女殿下は森で入れ替わったと思われたからだ。
一刻を争う事態になっている。
「それでその女の名はミレーユというのか?」
「はい、本人は否定しておりますが、ミレーユ・トラーノで間違いありません」
侍女達の手により化粧が落とされた顔は、ルビーの知っているミレーユの顔だった。
また、普段王女の世話をしている侍女達も、彼女は王女ではないと言い切った。
「姫様には右耳の裏に黒子がございます」
王女本人さえも知らない特徴だ。
他にも足の小指にある傷が彼女には無かったと言う。
「エメラルド殿下が姫様との面識が少ないと知り、誤魔化せると思ったのでしょう」
侍女達でさえ入れ替わりには気付かなかったほど、ミレーユは顔が似ているという。
少々言葉使いがおかしいと思ったそうだが、魔獣の恐怖で混乱しているせいだと言われて納得してしまったそうだ。
そして当のミレーユはと言うと、未だに自分が王女殿下だと言って認めようとしない。
「彼女は自分が今何をしようとしているのか分かっているのかしら……」
もしこれが何かの陰謀でそれにミレーユが加担しているとしたら、戦争に成りかねない事態だ。
彼女は本当にそれが分かっているのだろうか?
もし王女殿下に何かあれば、ルビーの時のように慰謝料だけでは済まないのだ。
「殿下!カザンが目を覚ましました!」
「本当か?!直ぐに行く!」
幸いなことにカザンは本人であると、確認した侍女や侍従が証言した。
彼の所持していた品も侯爵家縁の物であると判明している。
取り敢えずカザンとミレーユは別の場所に隔離され、個別で尋問が行われることになっていた。
「大変なことになったね…」
カザンの取調べへと向かった殿下の背を、サフィリアが困ったように見つめる。
最悪の場に居合わせたのは間違いない。
だが、ある意味絶妙なタイミングだったとも言える。
「……入れ替わりに気付けて良かったわ」
王女殿下が偽者であることはその内バレたとは思うが、王都に帰ってからでは遅すぎる。
この場で気付いたからこそ、直ぐに本物の王女殿下の足取りを追う事が出来た。
魔獣の襲撃による心身喪失という理由がある限り、恐らくルビーでなければ、入れ替わりには誰も気付かなかっただろう。
相手がルビーだったからこそ、ミレーユも思わずあそこまで取り乱したのだ。
彼女もまさかこんな場所でルビーに会うとは思いもしなかったに違いない。
「サフィはあれからのアルビオン達のことを聞いてる?」
「少しだけ…」
サフィリアは出来るだけアルビオンやミレーユの事を話題にしないように努めてくれていたようだ。
だが、こうなった今は出来る限りの情報が欲しい。
「彼女達が街のアパートメントを借りてこちらに戻ってきたのはルビーも知ってるよね?」
「ええ。親切なミレーユさんのお友達が教えてくれたわ」
そろそろ行商に出ようかと考えていた頃、わざわざ声を掛けてくるから何かと思えば、そんな内容の嫌味を言われた。
『贅沢は出来ないけど幸せなのですって。真実の愛って素晴らしいわね』
そうですか…としか答えようがなかったけれど、そんな事を言ってくる暇な人は一人だけではなかったのだ。
余りの鬱陶しさに暫くは戻ってこないつもりで王都を出てきたのだが、この僅かな期間に何があったのか不思議でならない。
「ダリヤ兄さんからの手紙には、最近一人で街を歩いているのをよく見かけると書かれていたよ。彼女はどうやら友人達と上手く行ってなかったようだね。アルビオンが仕事でいない昼間に出掛けていたようだ」
「いつ頃?」
「ちょうどケルビットに着いた頃かな」
読書サロンのために新居予定だった建物の改装を始めた頃から、時々ミレーユらしき人物が周辺をうろつく様になったらしい。
「不審に思った大工が何をしているのか聞けば、愛の巣予定地を惜しんでいるだけだと言われたそうだ」
「愛の巣……」
人様の屋敷を勝手に愛の巣に仕立てあげないで欲しい。
どんな愛の巣にする予定だったのか知らないけれど、徹底的に読書サロン仕様にして貰おうと心に誓う。
「暫くすると見なくなったようだけど、それ以降も街をフラフラしているのが目撃されている」
「フラフラって、彼女は確か妊娠して……、あっ…!」
そこまで思い出したルビーは、慌ててミレーユが拘束されている場所へと走った。
彼女のお腹に子どもがいるのを失念していたのだ。
「すみません!彼女のお腹には赤子がいるんです!手荒な真似は止めてあげて下さい!」
駆けつけた先には、女性騎士二人に尋問されているミレーユが居た。
特に乱暴をされている様子はなかったが、縄での拘束は妊婦には酷だ。
「彼女は妊娠しているのか?!」
「確か妊娠四ヶ月前後の筈です!」
そう叫んだものの、ミレーユの腹は膨らんでいるどころか、折れそうに細い華奢なものだった。
「ど、どういうこと……?」
「貴女が言うようにとても彼女が妊娠しているようには見えないが…」
「でも、私は彼女に子どもが出来たからと…」
あの時アルビオンは確かにそう言った。
つまりあの時点で最低でも一、二ヶ月は経過していたはずだ。
「もしかしてミレーユさんじゃない……?……でも…」
どこからどう見ても彼女はミレーユだし、彼女自身が自らトラーノの姓を出したことでそれは証明されたも同然だった。
そこへ、今度は慌てた様子のサフィリアが駆け込んでくる。
「ルビー!頼むから話は最後まで聞いて!」
「ご、ごめんなさい、サフィ…」
素直に謝ると、サフィリアは小さく息を吐き、そして座っていたミレーユを冷めた目で見つめる。
「ルビー、彼女は、………ミレーユ嬢は恐らく妊娠してなかったんだよ」
「ど、どういうこと……?」
ルビーが首を傾げた瞬間、それまでずっと黙ったままだったミレーユが泣き始めた。
「ぁぁ…ああぁぁ…、みん、な…こども…こどもって……ぇ」
嗚咽を漏らしながら、顔を真っ赤にして泣くミレーユ。
どうやら彼女の前で子どもの話は禁句だったようだ。
「あの……」
もしかして子どもは残念なことになってしまったのだろうか。
それならばルビーは謝らなければいけない。さすがに無神経すぎた。
だが、謝罪しようと思って開いた口は直ぐに閉じることになった。
「…に、妊娠して、なかった…の…ぉ……妊娠してなか…ったのよぉ…」
「……ミレーユさん?」
「で、でも……、アビィ…には、言えなくて……」
アビィというのはアルビオンの愛称だ。
つまりやはり彼女はミレーユで間違いない。
そして泣きじゃくる彼女の弁を引き継ぐようにサフィリアが言葉を紡ぐ。
「彼女が妊娠していないというのは街でも噂になっていたんだ」
三ヶ月経ってもつわりで大変な様子もなく、更に腹も膨れてこない彼女を周りは怪しんでいたらしい。
「恐らくだが、彼女は最初から妊娠してなかったんじゃないかな?」
「そんな……」
子どもが出来たからと、ルビーはアルビオンに別れを告げられた。
だが、彼女が最初から妊娠していなかったとしたら、また話は違ってくる。
「ど、どうして……」
その話が本当なら、ルビーは別れなくても良かったのではないだろうか?
いや……、違う……
子どもが出来ていようがいまいが、アルビオンとミレーユがそういう関係であったのは間違いないのだ。
むしろ結婚後に発覚するより遥かに良かったと思う。
しかし……
「ルビー、落ち着いて……」
僅かに震える肩を慰めるようにサフィリアの手が置かれた。
「君とアルビオンの別れ話に子どもは関係ない。そうだろ?」
「…ええ…、そうね……」
真実の愛だと言っていた二人。
子どもはその愛の結晶であって、例えその存在がなくとも、二人が愛し合っていた事に変わりはない。
それこそ真実の愛があれば二人で乗り越えていけるのではないかと思ったが、ミレーユはどうやら違ったようだ。
「が、頑張って働いてく、れてる…アビィ…には、言えなくて……、あぁぁぁ…っ!ごめんなさい!ごめんなさい!!!こんな事になるなんて思ってなくて!!!」
そこから彼女はずっとアルビオンへの謝罪を繰り返しながら泣き続けた。
言葉の端々から、かなり周りから言われて精神的に参っていた様子が窺える。
だが、どうしてこんな場所で王女殿下の替え玉になったのか、一向に話す様子はなかった。
ずっと自分の境遇に悲嘆にくれ、アルビオンに謝り続ける。
だが繰り返す言葉には、迷惑を掛けた殿下やルビー達への謝罪はない。
「ルビー、後は騎士様にお任せしよう…」
もっと話を聞きたいと思ったが、泣き喚くだけのミレーユとはこれ以上の会話は成立しそうになかった。
ただ、ミレーユが何かまずい事件に巻き込まれたのは間違いなさそうだ。
「さっき兄さん宛てに手紙を送ったよ。後一時間もすれば確認してくれるはずだから、返事を待とう」
「分かったわ」
落ち着けばミレーユは素直に話してくれるだろうか。
後はカザンがどれだけこの件について話してくれるかを期待するしかない。
「王女殿下は一体どこに行ったのかしら…」
「……無事だと良いんだけどね」
このまま王女殿下に何かあれば戦争を引き起こしかねない。
そんな最悪な事態は何としても避けたかった。
感想や体への労わり頂、誠にありがとうございます。
個別返信出来ておりませんが、ありがたく読ませて頂いております。
腰は一度やると癖になると言いますので、頂いたアドバイスを参考に頑張ってケアしていこうと思っております。