こちらもこちらで結構大変です
休憩地点から馬車で走ること一時間。
そろそろ森の端が見えそうになった頃、前方に土煙が上がっているのが見えた。
「前方に何か見える…」
馬に乗ったサフィリアが目を細めた瞬間、少し前を先行していたミルボーンが後方に向かって叫ぶ。
「前方で馬車が襲われてる!!」
「盗賊?!」
「いや、魔獣だ!」
ミルボーンの叫びと共に全員が臨戦態勢に入った。
今回の行商で用意したのは五台の馬車と三頭の馬だ。
先頭の馬にはミルボーンが乗り、馬車の横にはサフィリアが大型馬で周りの警戒に当たっている。最後の一頭にはクルーガが乗っており、最後尾を務めていた。
「ルビー!馬車は一旦止めて遮断空壁を展開してくれ!」
「分かったわ!」
二番目の馬車の荷台に乗っていたルビーは、急いで御者台に飛び乗った。
それと同時に、他の馬車が一斉に立ち止まる。
「遮断空壁を展開するわ!馬車を寄せて!」
ルビーの掛け声に、他の馬車が器用に近寄ってくる。
それを確認しながら、ルビーは前方へと視線を向けた。
偵察に出ていたミルボーンが慌てた様子で戻ってきたからだ。
「貴族の馬車が数台襲われてる!護衛が応戦してるが、相手はマンティコアだ!」
「マンティコア?!」
マンティコアとは、ライオンのような胴体に人のような顔を持つ中型の魔獣である。普段は森の中に生息しており、滅多に街道の方まで出てくることはない。
数人での討伐を推奨されている厄介な魔獣だ。特に尻尾には毒を持っており、迂闊に接近出来ないのが面倒な魔獣だった。
「俺も出ます…」
マンティコアと聞いて、ザルオラが馬車から出て来た。
彼は水魔法の上位である氷魔法の使い手で、遠距離攻撃が可能だったからだ。
「ミルボーンはザルオラと交代して馬車を警護!俺とクルーガ、ザルオラで前方の助太刀に入る!」
本来であれば助太刀に入る必要はないが、さすがに無視は出来ない。
それに、ここで彼らが全滅でもすれば、次に襲われるのはルビー達だ。
「ルビー!後は頼んだ!」
「三人とも気をつけてね!」
先行して駆けて行くサフィリアに、その後ろをクルーガとザルオラが続く。
サフィリア達の腕なら大丈夫だとは思うが、それでも何とか無傷で帰ってきて欲しい。
「お嬢、この遮断空壁はどれくらいもつんだ?」
「時間で言えば三時間は大丈夫よ」
「強度は?マンティコアが突っ込んできても大丈夫か?!」
「試した事がないから保証は出来ないけど、多分大丈夫だと思う」
学院で試した耐火と防寒、そして耐圧は特級を貰っている。
他の魔法はからっきしだったルビーだが、空間魔法の腕だけは自慢出来ると自負しているつもりだ。
とは言えど、人の命が懸かっている身としては、出来るだけ何もない事を祈るしかない。
「お嬢!来たぜ!」
前方から物凄い勢いで馬車が数台連なってくる。
先導するように走ってくる馬には護衛と思われる騎士が乗っており、一目散にこちらへと駆けてきた。
「後続の馬車二台と中にいる人間の保護をお願いします!」
「分かりました!馬車を出来るだけ近くまで寄せて下さい!」
どうやら助太刀に行ったサフィリア達から話を聞いたようで、すぐに二台の馬車が横付けされた。それを確認して、ルビーは範囲を広げて空間遮断魔法を展開する。
虹色に輝く遮断空壁が見えた瞬間、騎士から安堵の息が漏れた。
騎士が着ている軍服は、この国の近衛隊のものだ。普段は王宮や王族の警護に当たっている優秀な騎士。それが近衛だった。
そんな騎士が護衛に付いているとなると、馬車に乗っているのは必然的に王族か高位の貴族だと思われる。
面倒な事になった…とルビーが思うと同時に、馬車から数人の人間が降りてきた。身なりからして、侍女や侍従のようだ。彼らが一斉に向かう一際豪奢な馬車に恐らくこの一団の主人が乗っているのだろう。
「ところで、これで全員ですか?」
「いえ、私以外の護衛騎士は現在あちらで応戦中です。助けを寄越して頂き感謝致します」
どうやらここにいる護衛騎士以外は未だに戦闘中のようだった。恐らくサフィリア達もそれに合流しているはずだ。
「それで、大変心苦しいのですが、もし傷薬などがあれば分けて頂きたいのですが……」
「もちろんです。……マイルス、傷薬の用意をして。それから手分けして水を配って」
「了解しました」
少し落ち着かない様子の若い従業員とは違い、ベテランのマイルスは既に水の準備を進めていた。
それを侍女と思しき人達に配っていると、豪華な馬車の中から一人の男性が降りてきた。
二十代前半と思しき落ち着いた感じの男性は、騎士のような軍服を着込んでいた。黒い髪に褐色の肌という特徴的な容姿をした彼は、隣国ギルレイドの出身と思われる。身なりも非常に良く、騎士が護衛していたことを考えても、彼がかなり高位の貴族なのは間違いない。
少しだけ辺りを警戒しながら降りてきた彼は、騎士と話しているルビーを見つけ、直ぐに傍までやってきた。
「貴女がこちらの商隊の責任者ですか……?」
「はい、カンザナイト商会のルビー・カンザナイトと申します」
「ギルレイドからやって参りました、カザンと申します。この度は危ないところを助けて頂きありがとうございます」
「………旅路での助け合いは商人として当然ですので」
まだ後方では戦闘中だというのに気が早くないだろうかと思ったが、彼からしてみれば、遮断空壁の中ならば安全だと思ったのだろう。
「カンザナイト商会といえば我が国でも聞き及んでおります。助かりました」
「ギルレイドの方にも認知して頂いているとは光栄です」
「ところで、この空間遮断魔法は貴女が?」
「はい。マンティコアの攻撃であれば何とか防げると思いますので、ご安心下さい」
「それは助かります。……ところで、貴女の遮断空壁は馬車を移動したままでも維持は可能なのでしょうか?」
「どういう意味でしょうか?」
まさか、戦闘しているサフィリア達を置いて行けと言うのだろうか?
「…カザン殿!どういうつもりですか?!そもそもあなた方が単独で移動さえしなければこんな事にはならなかったのですよ!」
「騎士殿には関係ない事です。そもそも我々はそちらの護衛をお断りした筈ですが…」
「その結果がこれですか?!我々が居なければどうなっていたか分かっておいでですか?!」
「こちらのカンザナイト商会のお嬢さんがいらっしゃれば問題ありませんので貴方はお戻りを」
何故か勝手に護衛要員にされているが、ルビーはサフィリア達が戻ってくるまでここを動く気はない。
高位貴族と揉めるのは面倒なので出来るだけ敬意を払うつもりだったが、今の話を聞いて一気に見捨てたくなってきた。
事情は分からないが、助けに向かった人間を置いていけという人間がろくでもないのは確かだ。
「……お話中大変申し訳ありませんが、私は従業員達が戻ってくるまでここを動く気はございません」
「そこを何とか!急ぎなのです!」
「でしたら、いつでもどうぞ出て行ってください。引き止めたりは致しません」
「なッ!?」
先ほどまで柔和な態度だった男は、ルビーの言葉に一気に気色ばんだ。
一介の商人にここまで無下にされたことなど無いのだろう。
だが、サフィリア達を置いて行こうという提案をした人間は信用に値しない。
用がなくなれば、今度はルビーが置いていかれる。
「貴様、平民のくせにっ…」
「だから何ですか?気にいらなければ今すぐ解除します」
言いながら遮断空壁の範囲を狭め、彼が降りてきた馬車を範囲の外へと追いやる。
さり気なく護衛騎士の様子も確認したが、彼は何も言わずにルビーに向かって頷いただけだった。
「待て!誰も嫌だとは言っていないだろう!」
「そうですか?…では、私はこれで…」
取り敢えず遮断空壁は元に戻したが、これ以上この男と話すのは無駄だと感じた。
それに、彼は結局名前をカザンとしか名乗らなかった。
まともに名乗らない男に返す礼儀などない。
「待ってくれ!」
カザンを無視して商会の馬車に乗り込む。何を言われてもルビーがサフィリア達を置いて行く事はない。
「ルビー殿!頼む!我らは急ぐのだ!」
しつこく追ってきたカザンだったが、直ぐに彼はミルボーンとマイルスによって塞がれた。
「申し訳ないですが、これ以上はお通し出来ません」
「私は貴族だぞ!」
そう大声で喚いたカザンだったが、そんな彼は直ぐに護衛騎士によって諫められた。
「カザン殿、申し訳ないがこれ以上は私も許容しかねます」
騎士の言葉に、カザンが黙り込んだ。
そして、乱暴な足取りで馬車へと戻っていく。
「ふぅ……」
引いてくれて良かったが、サフィリア達が戻ってくるまで気が抜けない。
マンティコア討伐もまだ済んでいないというのに、カザンは一体何を考えているのか…。
「申し訳ないカンザナイト殿」
カザンの姿が馬車へと消えて直ぐ、護衛騎士がルビーの馬車へとやってきた。
「護衛騎士様…」
「あ~、名乗っておりませんでしたね。スチュアート・マルチスタと申します」
「マルチスタ様というと、もしかしてステフィアーノ様のご兄弟ですか?!」
「はい。ステフィアーノは兄です」
どうやら彼はステフィアーノの弟、マルチスタ家の三男のようだった。
「お兄様には大変お世話になっております」
「いえいえ、兄こそ貴女には大変お世話になったそうで、色々とお話をうかがっております」
話というのは恐らく彼の婚約破棄や学院での討論会のことだろう。ルビーの婚約破棄騒動ではないと思いたい。
「ところで先ほどの方は随分先を急いでおられたようですが、何かあったのですか?」
「それが、私にも全く分からない状況で……」
スチュアートにも彼がどうしてあんなにも先を急いでいるかは分からないと言う。
彼らはわざわざ迎えに行ったスチュアート達を無視し、単独で先を急いだ挙句にサザルアの森に突っ込んだそうだ。
その結果、入口に陣取っていたマンティコアに追われる羽目になり、スチュアート達が駆けつけなければ危ういところだったという。
詳細に関しては任務の為に説明出来ないが、暫くすれば本隊が合流するので、それまでは我慢して欲しいという話だった。
「本隊というのは、現在マンティコアと戦っている隊ですか?」
「いえ、我らは別働隊で、本隊はエメラルド殿下が率いていらっしゃいます」
「なるほど……」
本隊とカザン一行は合流する予定だったが、彼らが勝手をしたことにより問題が起きたという事のようだ。
カザンの態度を見るに、彼は何かを焦っている様子だった。
わざわざ殿下の合流を待たずに飛び出したようにも考えられる。
「先ほどかなり無礼な態度だったと思いますが、大丈夫でしょうか?」
「構いません。あれは護衛としても甘受出来ない依頼でした。そもそもあの方達はこの国に何をしに来たのか本当に分かっているのか……っ」
スチュアートがそうため息を吐く。近衛隊なんて華やかな職だと思っていたが、思いの外大変そうだった。
「良ければお水でも…」
そうルビーが呟いた瞬間、慌てた様子のミルボーンが飛び込んできた。
「お嬢!」
「どうしたの?」
「さっきの奴ら、出て行きやがった?!」
「「はぁ?!」」
ルビーとスチュアートの声が思わず重なる。
マンティコアが追ってこないのをいい事に、この場を抜けることにしたのだろう。
「くそっ!」
呆然とするルビーを他所に、スチュアートの行動は早かった。
直ぐに馬に乗り、馬車を追う。
出て行ったのは豪華な馬車のみで、侍女達が乗っていた馬車は置き去りだった。
外に出て休憩していた彼女達も呆然としている。
「何なの一体?……何をそこまで急いでるの…?」
マンティコアの討伐はまだ終わっていない。
それにここは大型魔獣の縄張りであるサザルアの森の近くだ。他の魔獣に襲われる危険も高い。
「お嬢、どうやら討伐の方は終わったみたいだぜ」
小さくなっていく馬車を見送っていると、今度は森の方から馬の軍団が駆けてくる。ミルボーンが言うように、どうやらマンティコアの討伐は無事に済んだようだ。
「……エメラルド殿下?!」
先頭を走る馬の上に、見知った顔を見つけた。
この国の第二王子であるエメラルド殿下だ。つまり、本隊が無事に到着したという事だった。恐らくそのお陰で早々に討伐が完了したのであろう。
「カンザナイト!馬車の保護を感謝する!」
馬上からルビーを見つけた殿下が声を張り上げた。
だが、今のルビーにその感謝を受け取る資格はない。
「申し訳ありません殿下!今、保護していた馬車の一台が遮断空壁を出ていきました!」
「どういうことだ?」
「私にも分かりかねます!ただ、直ぐにマルチスタ殿が追われたので、今なら直ぐに追いつけるかと思います!」
「分かった!では、近衛第一部隊は俺に続け!残りの者はこの場で警護に当たってくれ」
「はっ!」
号令と共に、近衛隊が綺麗に分断する。
さすがは騎士団の精鋭達だ。
「カンザナイトには戻ったら話があるゆえ、ここでの待機を命ずる」
「承知致しました」
この場から動くなという命に正式な礼をもって返答すると、満足したように一度だけ頷いてからエメラルド殿下は駆けて行った。
「ルビー!」
「サフィ!お帰りなさい!怪我はしてない?!」
「大丈夫だ」
「……良かった」
馬から降りたサフィリアが、一目散にルビーへと駆けてくる。
その後ろにはザルオラとクルーガの姿もあった。
三人とも少し汚れているものの、見たところ怪我をした様子もなく安心した。
強いのは知っているけれど、何事にも万全という言葉はない。少しの油断が命取りになるのが魔獣との戦闘だ。
「本当に無事で良かったわ……。疲れたでしょ、お茶でも飲んで休んで」
「ああ。……ところで、一体何があったんだ?」
残された馬車の近くで困惑している人達を見ながら、ルビーも小さく首を傾げる。
「それが、保護した馬車の一台が、急いでいるからと勝手に遮断空壁の中から出て行ってしまったのよ」
外からの防御には滅法強い遮断空壁だが、内からは簡単に出て行ける。これは壁の中からも攻撃が出来るように魔術が練られているせいだ。
「もしかして、出て行ったのは一番豪奢だった馬車?」
「そうなの…。サフィは何か聞いてる?」
馬車が駆けて行った方角を見つめながら尋ねると、途端にサフィの眉が困ったように寄せられた。
「あの馬車には隣国からの客人が乗っているらしい…」
「確か、ギルレイドの方よね?カザン様と仰る方と挨拶をしたわ」
「それは男性だよね?」
「そうよ」
何故わざわざ性別を確認するのかと首を傾げると、どうやらあの馬車にはカザン以外にも他の人間が乗っていたようである。
「もしかしてそちらがメインのお客様?」
「ああ、エメラルド殿下の婚約者らしい……」
「じゃあ、あの馬車にはカザン様の御姉妹が乗っていらしたのね」
王族に嫁げる家格という事は、カザンは隣国でもかなりの高位貴族になる。
失礼な態度を取ってしまったが本当に大丈夫だろうか?
そう少しだけ後悔したルビーだったが、続いたサフィリアの言葉に、その思いは直ぐに霧散した。
「乗っていらしたのはギルレイドの第三王女殿下のはずなんだが………」
サフィリアが言葉を濁すので、何となく事情は察した。
どう見てもカザンは王族ではない。要するに血縁関係ではないのだ。
つまり殿下の婚約者は、馬車という密室に男性と一緒だった事になる。
「サフィ、私なんだか嫌な予感がするわ……」
「俺もだ……」
これはもう、彼ら以外の第三者が同乗している事を祈るしかない状況となっていた。